倉敷の「明治維新」を現在に伝える 倉紡記念館(倉敷アイビースクエア)

倉敷を代表する観光スポットに、この施設を挙げていないガイドブックはない。確かに、ホテルを中心とする複合観光施設となった「倉敷アイビースクエア」は、観光都市・倉敷の看板施設であることに間違いない。

ただ倉敷のことを本当に理解するには、その前身である倉敷紡績所(クラボウ)と、倉敷アイビースクエアを分けて考えたほうがいい。

たとえば、なぜここが「アイビースクエア」と呼ばれるようになったのか…

その名の由来になっている「アイビー(蔦)」は、もともと紡績工場内部の温度調整のために植えられたものだ。

当時社長だった大原孫三郎氏が、従業員の健康に配慮し、夏は赤レンガを覆って暑さをしのぎ、冬は落葉して太陽の暖かさが伝わるこのグリーンを選んだという。

ということで、ビジュアル用というのはハズレである(笑)。

ちなみに、学生時代にここを訪ねたことがある筆者は、赤レンガが母校を連想させたことから、アメリカのアイビーリーグにその由来があるのかと思っていた。当時はポパイやホットドッグ・プレスに、アンアン・ノンノン全盛の時代で、なんとなくファッショナブルにも見えたしね(笑)。

学生時代の知識なんてその程度なわけで、「今時の若者」に偉そうなことを云おうとは思わない。むしろ疑問があれば、即「グーグル先生」に教えを請う21世紀の学生たちのほうが、よっぽど正しいことを認識している。

話を本論に戻そう。

ではなぜ、江戸時代に天領として栄華を誇った倉敷に、若い女子たちが過酷な仕事をしなければならない紡績工場が必要だったのか…

倉紡記念館に入れば、その謎が解ける。

「米と絹のほかに主要産業のない国家」。

馬遼太郎氏は小説「坂の上の雲」の中で、明治初頭の日本をそう現したが、それは江戸幕府というバックボーンを失った倉敷でも同じだった。ただ違うのは、倉敷にあったのは「絹」ではなく「綿」。

ちょうどその頃、日本政府は綿花から綿糸を製造する「紡績業」を、今後の主要産業にすべく官営紡績所を設立していた。ご承知の通り、シルクは高級品で国民を養うには「線が細すぎる」のだ。

いっぽう倉敷では、将来を憂いた3人の青年が、地元の富豪が一堂に会する集会で、このチャンスに周辺で採れる綿花を使った紡績工業を立ち上げるべきと提案。それに賛同した有志によって、代官所跡に倉敷紡績所が設立されることとなった。

昭和44年、クラボウ創立80周年の記念事業のひとつとして、かつての原綿倉庫を改修して作られた倉紡記念館には、日本の紡績産業の歴史が、倉紡の軌跡を通じて理解できるよう展示されている。

倉敷に帆布やデニムの店が多いのは、このことと深い関係がある。

〒710-0054  岡山県倉敷市本町7-1
☎086-424-0517
大人250円

開館:9:00~17:00(16:45まで受付)・無休

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