大原美術館に行く前に、知っておいてよかった! と思える話

大原美術館をググってみると、約 1,450,000 件のウェブページがヒットする。倉敷アイビースクエアが約 325,000 件であることと比較すれば、その注目度の高さは一目瞭然。やはり大原美術館が倉敷のランドマークであることは、数字の上でも確かなようだ。

その大原美術館を超ダイジェストに紹介すると、こんな感じになる(笑)。

クラボウの2代目社長、大原孫三郎が設立した日本初の西洋美術中心の私立美術館。モネ、ルノワール、ピカソなどの著名な画家の作品をコレクションしている。

突っ込まれたらすぐにバレることなので書いてしまうが、筆者は絵のことはさっぱり分からない。ゆえにモネの作品を見て、「ほ~、これがあの有名な岐阜県の池にある睡蓮(スイレン)の絵ですか!」と感想を述べる人の部類に属している(笑)。

そんな筆者ゆえに、この美術館は楽しかった。まさに、モネ、ルノワール、ピカソ~!である。

だが、この美術館はそれでいい。ということが、次の話を読めばきっとわかる。

大原美術館の生みの親である大原孫三郎は、親の代から紡績業を営む倉敷の名家に生まれたが、やがて事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立。大原美術館の創設も、その社会貢献活動の一環だったといわれている。

自らも日本絵画のコレクターだった孫三郎には、パトロンとして援助していた男がいた。それが洋画家・児島虎次郎で、その才能と美術に対する真摯な姿勢を高く買っていた孫三郎は、虎次郎に三度にわたる渡欧をうながす。

虎次郎は異国で制作に励むかたわら、ヨーロッパへ行く機会のない、多くの日本の画家たちのために、西洋名画の実物を日本へもたらすことの必要性を大原に説いた。大原は児島の考えに賛同し、名画の買い付けを児島に一任する。

そんな経緯から大原美術館は誕生するわけだが、日本に美術館が数えるほどしかなかった昭和の初期に、地方都市の倉敷に本格的な美術館ができたというのは、画期的なことだったに違いない。ちなみに、ニューヨーク近代美術館の開館は1929年。大原美術館はその翌年に扉を開けている。

話のついでにこれも書いておこう。大原美術館と倉敷アイビースクエアには、知る人ぞ知る関連がある。

それは写真の睡蓮。咲いてなかったのは残念だが、実はこれはフランスにあるクロード・モネのアトリエの庭から、2000年6月に直接株分けされたものだという。

ボランティア・ガイドさんといっしょに周れば、こういうことも教えてくれる。

大原美術館オフィシャルサイト

〒710-8575岡山県倉敷市中央1-1-15
☎086-422-0005

大人1,300円(児島虎次郎記念館と共通)
9時~16時30分(閉館17時)・月曜定休

さて。ここまで書くと、大原孫三郎を熱くさせた児島虎次郎という人物に興味が湧くのが普通だろう(笑)。

大原美術館を隅々まで観てヘロヘロになる前に、アイビースクエアに移動し、その一画にあるこの記念館に足を運んでみてはどうだろう。絵のことが分からない筆者が云うので当てにはならないが、「朝顔」などの作品から受けるイメージは、和製ルノアールのようだった(笑)。

嬉しいことに料金は既に支払い済み。本館のチケットを見せれば、もうお金は要らない。

PS 

アイビースクエアにあった児島虎次郎記念館は、ホテル「倉敷アイビースクエア」が2017年秋から全面改装に着手するため、同年12月に閉館し、2020年に「新児島館」(仮称)として、旧中国銀行倉敷本町出張所に移転開館する予定であることがわかった。なお閉館中は虎次郎の作品の一部が、大原美術館本館で公開される。

旧中国銀行倉敷本町出張所は本館の近くなので、きっと見学客も増えるだろう。

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