「醍醐(だいご)の花見」で有名な京都の世界遺産 醍醐寺

極端に云ってしまえば、京都で春に桜が咲かない寺社仏閣は皆無に等しい。

だが、時間と予算に限りがある観光客にとって大事なのは、その中の「本当に高い拝観料を払ってまで観る価値があるところ」はどこかだ。

その意味からすると、筆者は天下人となった豊臣秀吉が一世一代の花見を催した、この醍醐寺を筆頭に選びたい。

醍醐寺は京都市伏見区にある真言宗醍醐派総本山で、本尊は薬師如来、開基は空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)。

建立されたのは平安時代の874年。当時は醍醐山の山頂付近に御堂があり、修験者の霊場として発展する。現在もそこには、薬師堂(国宝)・開山堂(重文)・如意輪堂(重文)・清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿(国宝)など、国宝、重要文化財に指定された数々の堂宇が点在し、上醍醐と呼ばれている。

907年、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺(私的にお願い事をする寺)に定め、醍醐山の麓に壮麗な伽藍群を建立する。それが下醍醐、いわゆる今の醍醐寺である。

平安時代末期の1115年には三宝院が建立され、醍醐寺は京都有数の大寺院になるが、室町時代の1467年に勃発した応仁の乱による兵火で、下醍醐の伽藍は五重塔を残して焼失し、衰退してしまう。

その再建を担ったのが、天下人となった豊臣秀吉だ。1598年に醍醐の花見を行ったことがきっかけで復興が始まり、焼失した伽藍の大部分が再建された。

ところで。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動という言葉をご存知だろうか?

明治維新後、新政府は「王政復古」の一環として神仏分離を押し進めるが、それに呼応するかたちで、仏教寺院・仏像・経巻を破棄し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す廃仏毀釈運動が盛んになる。

それに巻き込まれ、醍醐寺も多くの子院を失うが、幸いにも寺宝の流出と醍醐寺自体の伽藍の破壊は免れた。その後、火災や震災によって伽藍の一部が被害を受けることはあったが、大きく荒廃することなく現在に至り、1994年(平成6年)には世界遺産に登録される。

というように、桜がなくても行ってみたくなる醍醐寺だが、やはり気になるのは「醍醐の花見」。そこで、最後はその話でまとめよう。

醍醐寺では、憲深林苑(けんじんりんえん)で咲き始める河津桜をかわきりに、しだれ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラ、そして、三宝院の大紅しだれと金堂わきの大山桜が咲き終わるまでの約3週間にわたって、様々な桜が咲き誇る。

実はその多くは、秀吉が「醍醐の花見」を催すために、数ヶ月かけて近隣諸国から移植をしたものだという。その数およそ700本。いかにも秀吉らしい逸話だ。

またいっぽうでは、秀吉と良好な関係を築いていた第80代座主(ざす=住職)の義演(ぎえん)が、秀吉の最期が近いことを感じ取り、英雄の最後にふさわしい大舞台をしつらえるために、あちこちに桜を手配をして、醍醐の花見を実現させたともいわれている。

そして慶長3年3月15日(1598年4月20日)、後に「醍醐の花見」と呼ばれる盛大な宴会が、三宝院裏の山麓において催された。

それは、豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催しで、九州平定直後に催された北野大茶湯と双璧を成す、秀吉一世一代の催し物として語り継がれている。

その時、秀吉は何を想い、家族とともに満開の桜を愛でたのだろう。

その約5か月後、秀吉は幼き秀頼を家康らに託してこの世を去るわけだが、一連の歴史が判明し、様々に描かれている現代だからこそ、その場に足を運んで感無量になることも多い。

なお醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年4月の第2日曜日に「豊太閤花見行列」を催している。ガッツがある人は、ぜひ!(笑)。

醍醐寺 オフィシャルサイト

地下鉄東西線 醍醐駅下車
有料駐車場はあるが、桜の時期は電車が無難だろう。

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