京都にある牛若丸(源義経)ゆかりの寺院 鞍馬寺

伝承によれば、東大寺、唐招提寺にゆかりの深い唐の高僧、鑑真和上の高弟であった鑑禎(がんてい)上人が、宝亀元年(770年)にこの地に草庵を造り、毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の始まりである。

1947年(昭和22年)になって鞍馬弘教が立教され、現在はその総本山となっているが、蔵馬寺の宗派には遍歴があり、寛平年間(889~898年)には峯延が入寺して真言宗の寺になったが、その後に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復している。

以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下に置かれ、寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようだ。

「仁王門」は俗界から浄域への結界とされている。

 「仁王門」をくぐり、坂道を上がると約10分で「由岐神社」に到着する。

大己貴命と少彦名命を主祭神とする由岐大明神は、もともと京都御所に祀られていたが、天慶元年に起きた都の大地震、その翌年の平将門の乱(天慶の乱)と、相次ぐ世情不安に、天慶3年(940年)9月9日当時の朱雀天皇の詔で、御所の北方にあたる鞍馬に天下泰平と万民幸福を祈念し遷宮された。

遷宮の際には、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々に篝火を焚いて神道具を先頭におよそ1キロにも及ぶ行列ができたという。

鞍馬の人々はこれに感激し、この儀式と由岐大明神の霊験を後世に伝え守ってきたのが、有名な火祭の起源だ。

 戦国時代には豊臣秀吉の厚い信仰を受け、慶長12年には豊臣秀頼によって本殿と拝殿が再建された。特に拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい様式で、桃山時代の代表的建造物として、現在は国の重要文化財に指定されている。

 「中門」から「本殿金堂」前広場の石段下までは、『枕草子』に「近うて遠きもの」の例として綴られた九十九(つづら)折りの参道が続く。九十九折り参道が終わると石段が見え、そこを上がると「本殿金堂」前の広場に出る。

 「本殿金堂」に祀られている「本尊」は「尊天」といわれ、月輪の精霊であり慈愛の象徴である「千手観世音菩薩」、太陽の精霊であり光の象徴である「毘沙門天王」、大地の霊王であり活力の象徴である「護法魔王尊」の三身を一体としたものという。

鞍馬寺正殿前の六芒星の中心に立つと、気を受けると言われ、今は話題のスポットになっている。 ただ、信者は踏まないように大切にしているらしい(笑)。

さて、鞍馬寺は牛若丸(義経の幼名)が修行した場所で、ゆかりの遺構が多く残されている。

鞍馬の天狗から兵法と剣術を学んだ源義経は、五条大橋で弁慶をうち負かし、平家追討に貢献するが、実兄である源頼朝に命を狙われ、奥州平泉でこの世を去った。

義経の人生は運命的で、父の源義朝は幼き時に起こった平治の乱で平清盛に敗れて命を失う。母の常磐御前は、敵将の平清盛に身を任せるのと引き替えに子供たちの命を永らえ、義経は共に暮らすうちに清盛を本当の父のように慕ったといわれる。

しかし常盤御前が清盛の元を離れることになった七歳の時に、義経もまた鞍馬寺に出され、覚日阿闍梨の弟子となる。義経は昼間は東光坊で学業に励み、夜が更けると僧正ガ谷で天狗に兵法と剣術を習った。

 写真は牛若丸が修行に通う途中で喉の乾きを潤したという「息つぎの水」。それから800年以上の歳月を経た今も清水は湧き続けている。

更にその先には、奥州に出向く牛若丸が名残を惜しんで背丈を比べたと伝わる「背比石」、義経の魂を祀る「義経堂」、謡曲「鞍馬天狗」で鞍馬天狗と牛若丸が出会ったと云われる「僧正ガ谷不動堂」がある。

 「奥の院魔王殿」の前からは一気に下り坂となる。山道を約15分歩いて下りると「西門」に着く。ここから貴船神社は近いので、奥の院から鞍馬寺の方へ引き返すよりも、「西門」を出て貴船神社に参拝するのがお勧めだ。

絵馬発祥の地。京都のパワースポット貴船神社

鞍馬寺
京都府京都市左京区鞍馬本町
☎075-741-2003

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