比叡山延暦寺の「くたびれない拝観方法」

 「古都京都の文化遺産」に名を連ねる延暦寺の所在地は、厳密に云うと、京都市ではなく滋賀県の大津市である。

そうツッコミを入れたい人のために予め云うと、世界遺産の定義は【古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)】となっており、さすがにそのあたりの表記に抜かりはない(笑)。

延暦寺の敷地面積は実に広大だ。その全てを見て回るとなれば、最低でも半日仕事にはなるだろう。

そんなわけで、さほど仏閣には興味がないという人には、延暦寺発祥の地とされる東堂をゆっくり見ることをお勧めしたい。

 その中心になるのは、延暦寺の総本堂である「根本中堂」だ。現在の建物は江戸時代に徳川家光の命で復興された入母屋造りの国宝である。中には創建以来、絶やさず灯され続けてきたという「不滅の法灯」と、その奥に最澄自作と伝わる薬師如来が安置されているのだが、当然ながら「撮影禁止」(笑)。ここでお見せできないのが残念だ。 

この根本中堂では、無料でお坊さんの説法というか、ほとんどガイドに近いような楽しい話を聞くことができる。時間は10分ほどだが、内容はなかなか興味深い。

例えば、なぜ小指の隣の指が薬指と呼ばれるようになったのか、あるいは「油断禁物」の油断とはどこからきているのか…あえてここでは答えを明かさないので、ぜひ現地まで足を運び、聞いてきていただきたい。

ところで、比叡山が戦国時代に織田信長によって焼き討ちされたことは周知の事実である。大河ドラマを見ていれば、関ヶ原の戦いと同様、幾度となくその場面が繰り返されるわけだが、実はこの根本中堂は、その前になんと延暦寺の僧侶自らの手で焼かれている。

延暦寺の宝物は、同年代に生きた弘法大師が建立した高野山の金剛峯寺に比べると確かに少なく感じるのだが、本当に貴重なものは、信長のせいで失われたと言うより、おそらくこの時点で消失してしまったのだろう。

 

今度は最澄の話を少し書こう。 

最澄が生きていた頃、この寺は比叡山寺と呼ばれていた。

年号をとった「延暦寺」という寺号が許されたのは、最澄の没後、824年(弘仁14年)のことである。時の桓武天皇は最澄に帰依し、天皇やその側近である和気氏の援助を受けて、比叡山寺は京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として栄えるようになった。

 「伝教大師」と呼ばれる最澄は、805年(延暦23年)に遣唐使として唐に渡った。遣唐使としての最澄の功績は、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想を学び、日本に伝えたことといわれている(四宗相承)。

最澄帰国後の延暦寺は、菩薩僧を育成するため、12年間比叡山にこもって修学修行に専念する教育制度を確立し、今で言う総合大学としての性格を持っていた。

鎌倉時代以降には、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、禅では臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人などがここで時を過ごしている。

それに関連する逸話は、入場門から大講堂に続く歩道沿いにパネルでわかりやすく展示されているので、ぜひ読みながらゆっくりと歩を進めてもらいたい。

ここは、特にお子様連れにはお薦めの「世界遺産」だ。どうせなら、ちょっと予習しておき、妻のみならず我が子や孫からもリスペクトを得ようではないか(笑)。

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知らなきゃ損する、比叡山延暦寺へのアクセスガイド 

比叡山延暦寺 オフィシャルサイト

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