よくわかる「寺田屋事件(寺田屋騒動)」 坂本龍馬と西郷隆盛ゆかりの伏見

坂本龍馬が襲われたのは、「寺田屋」なのか「近江屋」なのかどっちだっけ…? 

幕末を「テスト勉強」で覚えてきた人ならそれが普通。学校を出てしまえば、興味がないことを特に知る必要はない(笑)。

だが京都を旅するのなら、幕末の顛末には興味を持ったほうがいいと思う。

理由は同じ土地に行っても「見てみたい場所」が変わるからだ。とりわけ、それが顕著なのが伏見の町。「寺田屋」はその意味における伏見のランドマークといえるだろう。

ちなみに冒頭の答えは、いずれも「正解」。ただ「寺田屋」ではドラマチックな展開で九死に一生を得るが、「近江屋」ではそれが起きずに命を落とした。

くしくも2017年は「大政奉還」、2018年は「明治維新」から150年になる。

2010年に放送された「龍馬伝」以来、久しぶりに伏見にスポットライトが当たるだろう。そこで現在放送中の「西郷どん」でも、おそらく夏前には登場するであろう「寺田屋事件(寺田屋騒動)」を、この機会に詳しく説明しよう。

まず、寺田屋事件(寺田屋騒動)というのは2つある。

ひとつは文久2年(1862年)に発生した、薩摩藩士の尊皇攘夷派粛清事件。

庶民としては龍馬襲撃事件のほうに興味がわくが、歴史学者にとってはこちらのほうが重要らしく、一般的にはこちらを「寺田屋騒動」、あるいは「寺田屋事件」と呼んでいるようだ。

【寺田屋騒動の顛末】
この頃の京都は、長州藩を筆頭にした尊皇攘夷派と呼ばれる「幕府討伐勢力」が勢いを増しており、世の中の構図は尊皇攘夷派 VS 公武合体派(=江戸幕府=京都守護職の会津藩+その配下にあった新選組)となっていた。そして、そのどちらに時代が傾くかというキャスティング・ボートを握っていたのが「薩摩藩」だ

だが当時の薩摩藩は、一部の過激な尊王攘夷派と、リベラルで家臣の信望が厚い西郷隆盛派、そして実質的な藩主にあたる島津久光率いる保守派の、3つの派閥に割れていた。

事件はその久光が千人の兵を率いて上洛したことが引き金で勃発する。上洛にあたり久光は、扱いにくい西郷隆盛一派を捕縛し、大阪から帰藩させるよう命じる。そして京都に着くと、朝廷から尊皇攘夷派鎮圧の命を授かった。

この展開に驚愕した薩摩藩士の有馬新七ら尊皇攘夷派は、寺田屋に集結し、諸藩の尊皇攘夷派志士と共謀して、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義を討ち、その首を久光に奉じることで、強引に倒幕を促すことを画策する。

事前にそれを察知した久光は、襲撃計画を中止するよう、寺田屋にいる有馬に使者を送るが説得できず、最後は薩摩藩士同士による斬り合いに進展した。

薩摩藩は乱闘によって破壊された宿の修復と迷惑料の他に、同士討ちの口止め料として、多額の金銭を寺田屋に手渡したという。

寺田屋の近くにある大黒寺は薩摩藩とゆかりが深く、寺田屋騒動で亡くなった有馬新七以下9人が「伏見寺田屋殉難九烈士」として墓所に葬られている。墓石の文字は、有馬新七を幼年期から知る西郷隆盛の直筆だ。

それから4年後、同じ寺田屋で伏見奉行所による坂本龍馬襲撃事件が起こる。

龍馬は薩摩藩の寺田屋騒動が起きた年に土佐藩を脱藩しているが、その後勝海舟の弟子になったことで、運命が大きく変わる。後に妻となるお龍と出会うのはそれから2年先の1864年。翌1865年には長崎で亀山社中を立ち上げ、1866年1月20日には、遂に悲願の薩長同盟締結を成し遂げる。

まさに疾風が如く時代を駆け抜けようとしていた龍馬に、災難が降りかかったのは、それからわずか2日後のことだった。

1866 年(慶応2年)1月24日午前3時頃、用心棒として長州藩が遣わした三吉慎蔵とともに寺田屋にいた坂本龍馬は、伏見奉行所の幕府役人に襲撃される。

入浴中だったお龍の機転で龍馬は事態を悟り、三好は槍、龍馬はピストルで応戦したが、手首を切られた龍馬は裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破って裏通りに逃れた。なんとか追っ手をかわし、5町ほど(500~600メートル)走って濠川に達した龍馬は、材木納屋で意識が薄れて動けなくなる。

そこで龍馬は「もはやここまで」という三吉の切腹をいさめ、薩摩藩士がいる島津屋敷(現在は松山酒造の敷地)へ助けを求めに行くよう指示を出し、救援を待った。 一足先に島津屋敷へ知らせに走ったお龍と三吉の連絡により、龍馬は島津屋敷に無事担ぎ込まれ、一命をとりとめた。 

さて。一連の事件の舞台となった寺田屋は、残念なことに1868年の鳥羽・伏見の戦いで焼失。現在その跡地は庭になっており、坂本龍馬の像などが建てられている。

ガイドブック等でよく見る西側の旅籠は、旧宅にならう形で明治に建てられたもので、中の見学も可能だ。

建物や展示品が「本物」に越したことはないが、それに固執したところで何も変わらない。逆に、もし焼跡に全く関係のない住居や工場が作られていたとしたら、我々は何ひとつ見ることができず、こういう素敵な話も書けない。そのことを思えば、再建はありがたいと思う。

まあ、お城を筆頭に史跡とはそういうもんでしょ(笑)。

最後は駐車場について。無料なのは嬉しいが、停められるのはたったの2台だけ。しかも前の道は狭いので、空き待ちは難しいというか、普通は気が引ける(笑)。

寺田屋の近くには坂本龍馬商店街のほかに、黄桜や月桂冠の見学施設もあるので、コインパーキングにクルマを入れ、あわせてじっくり見て廻るほうがいい。

春は寺田屋のすぐ裏を流れる濠川沿いの桜並木に花が咲く。

なお、島津屋敷で生気を回復した龍馬は、西郷隆盛の勧めで、お龍を伴い鹿児島の霧島温泉に傷の湯治に向かう。結果として、それが日本で一番最初の「新婚旅行」ということになるらしい(笑)。

坂本龍馬と西郷隆盛については、他にも詳細な記事が多数あるので、よろしければぜひ旅の参考に。

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寺田屋
伏見区南浜町263
 ☎075-622-0243
見学料 大人400円
拝観・開館時間 10:00~15:40

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