浮世絵師・歌川広重(安藤広重)の描いた「東海道五十三次」の景観が唯一残る、「薩埵峠」

「薩埵(さった)峠」という地名は知らなくても、この光景を見たことがある人は多いと思う。なぜなら、ここは江戸時代から知られる「富士展望の名所」で、歌川広重が残した「東海道五十三次之内 由井 薩埵嶺」に、当時の景観が残されている。

こちらがその絵だが、赤丸を記したところが下の写真の道だ。

約400年前の薩埵峠は断崖絶壁で、旅人が今にも転落しそうに描かれており、ここがいかに難所だったかがよくわかる。

ちなみに、難所の薩埵峠を通らず海岸線を安全に通行できるようになったのは、広重がこの絵を書いてから約200年後。1854年(嘉永7年)の大地震で海岸が隆起してからだという。

21世の現在はその狹い海岸線を、東海道本線・国道1号線・東名高速道路が、まるでプラモデルのように走っている。これを再び広重が浮世絵に描くとしたら、どのような絵になるのか見てみたいものだ(笑)。

「歌川広重」と「東海道五十三次」

ここからは少し歴史を深掘りしよう。

この写真を見て「永谷園のお茶漬け」を思い出せた人は、多少なりとも「広重」と「東海道五十三次」に興味のある人だと思うが(笑)、筆者と同年代の人は、歌川ではなく「安藤広重」のほうがピンとくるのではないだろうか。

察しの通り「歌川広重」と「安藤広重」は同一人物で、本名は安藤重右衛門。歌川豊広に入門して浮世絵師となり、美人画、武者絵、おもちゃ絵、役者絵や挿絵などを描いてきた。そのため現在は、雅号である「歌川広重」として紹介されているようだ。

ちなみに教科書は、2017年2月の学習指導要領改定案を受け、江戸時代の浮世絵師「安藤広重」を「歌川広重」に統一している。

さて。広重は創作活動に勤しむいっぽうで、円山応挙の影響を受けて写生を重視し、独自に腕を磨いていく。そして37歳の時に、有名な版元の「保永堂」から依頼を受けて世に送り出したのが「東海道五十三次」。合計55枚からなる連作の絵だ。

実際に東海道を歩き、53の宿場に足を運んで描き上げた作品は、瞬く間に江戸の庶民の間で評判となり、広重は風景画家としての地位を確立する。その後は先行して活躍していた、ふたまわり以上年の離れた巨匠・葛飾北斎のライバルとなり、後世に並び称される存在となっていく。

大胆な構図と斬新な色使いを兼ね備えた広重の遠近画報は、西洋の画家たちにも影響を与え、何点かの作品をゴッホが模写した話は有名だ。

さて。そんな歌川広重に興味のある人にお勧めなのが、薩埵峠の近くにある「東海道広重美術館」だ。

1994年にオープンしたこの美術館は、由比地区整備事業の一環として、荒廃していた由比本陣跡を活性化した「本陣公園」の中にある。

館内では映像による歌川広重の紹介をはじめ、「錦絵」(木版画)の「東海道五十三次之内 由井 薩埵嶺」が、どのような手順で色付けされていくのかという、趣向の凝らされた展示が行われている。

薩埵峠からクルマで30分ほどのところなので、時間が許せば、ぜひ合わせて訪ねていただきたい。

東海道広重美術館 オフィシャルサイト
☎054-375-4454

入館料:一般510円
9時~17時(入館は閉館の30分前まで)・毎週月曜定休

薩埵峠 マイカーアクセスガイド

薩埵峠までクルマで行くことは可能だが、アクセスルートには注意が必要だ。

「東海道広重美術館」のある由比から「薩埵峠」に通じる道(上記マップの右側)は、細くて車両同士が対抗できないところが多く危険。筆者はハイエースでかろうじて通り抜けることができたが、二度とは通りたくない思いだった(笑)。

2車線が確保されて走りやすいのは、「興津インター」からアクセスするマップの「お車でのアクセスルート」だ。

静岡市の写真付きマイカーアクセスページ

なおマップの文字が小さくて見えない場合は、クリックするとPDFページが立ち上がる。

駐車場の収容台数は6台程度と小さく、マイクロバス以上のサイズは停められない。トイレがあるので車中泊は可能だが、夜景を撮りにくる人が多いので、長時間駐車は避けたほうが無難だろう。

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