知られざる日本の製鉄技術を現代に伝える、「菅谷たたら山内」

「良くも悪くも、雲南・奥出雲を面白くしているのは、スサノオ」の記事でも少し触れたのだが、雲南市の吉田町には、奥出雲地方で「たたら製鉄」が盛んに行われていたことを示す、素晴らしい遺構が残されている。

それを守り続けてきたのは松江藩鉄師筆頭であった「田部家」だ。田部家の繁栄とともに吉田町の中心部は「企業城下町」として栄え、風土と文化を色濃く残す、往時の暮らしぶりを現代に伝えている。

たたら製鉄の話を始める前に、少し日本の鉄の歴史を振り返ってみたい。

日本列島における人と鉄との出会いは弥生時代の中期で、中期の後半には鉄素材を朝鮮半島南部から輸入し、国内で原始的な鉄器の生産が開始されていたことが分かっている。

この時代の日本は鉄鉱石を確保するため、百済と親交を深め、朝鮮半島南部に積極的に進出していた。任那(みまな)には日本の拠点があったといわれており、その証となる出土品も確認されている。

だが663年に、朝鮮半島の支配を強めようとする唐と、百済・日本の連合軍がぶつかった「白村江(はくそんこう)の戦い」が勃発。大敗を喫した日本は、朝鮮半島の拠点と鉄鉱石の供給源を失ってしまう。

さらに国内では、唐の侵攻を恐れた大和朝廷が、福岡に「太宰府」を置き、都を海から離れた大津に移すという極端な国防策がとられていくわけだが、その話はまた別の機会にするとしよう(笑)。

さて。都合のいいことに、ちょうどその頃、国内で鉄を作る方法が発明された。

それが「たたら製鉄」だ。従来の鉄鉱石を原料にする製鉄法とは異なり、砂鉄から鉄を精製する「たたら製鉄」は、日本独自で開発されたものだといわれている。

たたら製鉄が行われていた跡」は、東北から九州にかけて点在しており、その「発祥地」は今もまだ特定されていないようだが、奥出雲ではそれが高度な進化を遂げ、近代まで続けられてきた。

その背景には、良質の山砂鉄に加え、強い火力を生み出す木炭の原木を豊かに有する山と、土砂から山砂鉄を精製できる清流、そしてその時に出る、赤い錆を含んだ泥水が水田に被害を及ぼすのを防ぐ、高度な土木技術があったとされる。

さて。吉田町の「たたら製鉄所跡」の見どころは、大きく2つに分かれている。

ひとつはこの「鉄の歴史博物館」だ。「鉄」に関する資料を「木造家屋」で観せるとは、なかなか粋な計らいだが(笑)、ここには「たたらの仕組みが分かる模型」や、実際に精製された「鉄」のサンプルなどが展示されている。

必見は「たたら製鉄技法」を記録したドキュメント映像の「和鋼風土記」だ。

そこには後年に伝えるべく再現された、砂鉄の収集方法から3昼夜通しで鉄づくりを行う様子が克明に描かれている。

女性や若い人には古臭くて退屈かもしれないが、この動画を見ておかないと、次に行く「菅谷たたら山内」での感動が半減する(笑)。

鉄の歴史博物館 オフィシャルサイト
〒690-2801 島根県雲南市吉田町吉田2533
☎0854-74-0043
営業時間:9時~17時・月曜定休、料金:おとな510円

「鉄の歴史博物館」から、もうひとつの見どころである「菅谷たたら山内」までは、歩道を歩けば約3キロほど。徒歩で行けなくはないが、クルマなら10分ほどで移動でき、駐車場も用意されている。

「山内」とは、「たたらで働く技術者たちの集落」を意味するが、ここでの見どころは「高殿」と呼ばれる建屋に保護された「たたら製鉄の設備」だ。

高殿で連続操業する大規模なたたらを「高殿たたら」、あるいは「永代たたら」と呼ぶ。江戸時代後半にこの「高殿たたら」が完成したことで、最盛期の中国山地一帯の鉄生産量は、国内総生産の大半を占め、中でも奥出雲地方は日本随一の生産地へと躍進する。

なお、ここではスタッフから直接たたらの説明を聞くほうがいい。もし接客中なら、待ってでも最初から聞くことをお勧めする。

「菅谷たたら山内」オフィシャルサイト

ちなみに、奥出雲の「たたら」に関するもっとも詳しい記述があるのは、以下のサイト。テキストがもう少し大きいと見やすいのだが、内容は素晴らしい。

日本遺産「出雲國たたら風土記」

さて。「菅谷たたら」はアニメ映画「もののけ姫」に登場する「たたら」のモデルになったと云われている。

たしかに大勢で「ふいご」を踏むシーンは象徴的だが、ジブリがここで参考にしたのは「製鉄」というよりむしろ、「山内」での人々の暮らしだったように思える。

実際の山中と映画の湖畔ではロケーションに違いはあるが、最盛期の山内は、映画と同じように若い人の活気が満ちあふれていたに違いない。ゆえにジブリのファンで菅谷を訪ねたいという人は、高殿の周囲にも目を配ってみるといい。


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