お城めぐり入門 城郭と城の違い? よく分かるニッポンの城 

まず最初に、「よく分かるニッポンの城」と銘打ったこのコーナーには、特に「お城大好き」というわけではない旅人でも、「このくらいは知っておいて損はないレベルの知識」をまとめてある。

その中で筆者が「プロローグ」として取り上げたいのが、「城郭(じょうかく)」という耳慣れない言葉だ。

ウィキペディアには、「城」とは敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備と説明されている。

写真は彦根城だが、確かに「天守がある大きな城」には、外堀・内堀があって、さらに石垣の上に櫓(やぐら)が建てられ、そうそう簡単には「本丸」に近づくことができない。

「城郭」というのは、こういう「フルセットの城」と理解すれば分かりやすい。

しかしかたやで、日本各地には「砦(とりで)」あるいは「出城」と呼ばれる、小規模な城も存在した。

写真は、秀吉が難攻不落の「小田原城」を攻略するために築いた、通称「一夜城」の跡。こちらはまさしく「砦」だが、本城を守る衛星のような「出城」を含めると、その数は「城郭」よりも圧倒的に多かった。

筆者はウィキペディアのように、これらを「城」と云う表現で、ひとまとめにしてしまうのはどうかと思う。

それは川中温泉のように「たった1軒の温泉宿」と、草津温泉のように「多くの旅館と外湯や温泉街を持つ温泉地」を、同じ「温泉」と呼ぶのに等しく、現地を知らない人間には曖昧すぎる表現だからだ。

ただ、冒頭で記したように、「お城マニア」ではない人が旅先に選びたい「砦跡」や「出城」というのは、先ほどの「一夜城跡」や、この写真の「真田丸跡」程度で、指折り数えて数ヶ所しかない。

ゆえに貴方がまわろうとしている「城」が、「城郭」もしくは「城郭だった城」であることはよく承知しているつもりだ(笑)。

ところで。江戸時代には「城郭」が200ほど存在していたと聞く。

しかし周知の通り、明治維新後の新政府による「廃城令」と、太平洋戦争の戦禍により、その大半は「原型」を失い、当時からの天守を残す城は、全国でわずか12ヶ所、「城郭」まで残っているといえるのは、たったの2城になってしまった。

逆に云えば、2つの災いによって「城郭」の姿を失った多くの城跡は、「天守」もしくは「櫓」、あるいは「堀と石垣」を残した「城跡公園」にするしかなかった。

つまり、その2城以外では「城郭」の残骸しか見ることはできない。

ゆえに「城」を見るなら、願わくば最初、できれば早いうちに「城郭」をほぼそのまま現在に伝える世界遺産の「姫路城」か、同じく世界文化遺産の登録候補に名を連ねる、「彦根城」に足を運んでみていただきたい。

本当の日本の城がどういうものだったのかは、この2つからしか伺えないが、そこで「本来の姿」を知れば、他の城跡公園に行っても「今はないもの」のイメージが浮かんでくる。

ぜひとも桜の季節に訪ねたい! 築城400年。国宝にして世界遺産候補の彦根城

最後に。筆者は城跡公園になった過去の名城にも、足を運ぶ価値があると思っている。それはその城に残るエピソードだ。

たとえば、岡山県の備中高松城は「日本100名城」に名を連ねてはいないが、秀吉の家臣、黒田官兵衛が軍師としての名をあげた「水攻め」の舞台だ。戦国時代の武将が主人公となる「大河ドラマ」では、幾度となく登場するので名前を知る人は多いだろう。

羽柴秀吉・軍師官兵衛ゆかりの名城、備中高松城址(蛙ケ鼻築堤跡)「水攻め」の真実

またエピソードは古い時代ばかりとは限らない。

写真は島根県に残る津和野城だが、ここから見た情景を、さだまさしは「案山子」という名曲にしたためた。「歴史はちょっと」という人でも、こういう話題なら楽しくなるのでは(笑)。

津和野城跡から見える、さだまさしの名曲「案山子」の情景 

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