江戸時代の天守が残る  伊予松山城


松山市の中央、標高132mの勝山山頂に本丸があり、裾野に二之丸、三之丸がある日本有数の平山城で、姫路城、和歌山城とともに日本三大平山城のひとつに数えられている。

松山城

平城とはいえ高台にあるため、現在は場内へロープウェイかリフトで行くことができるようになっている。

松山城

天守最上階は360度の展望が開けており、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができる。

松山城

さて。自慢の天守は黒船来航の翌年にあたる1854年(安政元年)に再建されており、日本に現存する江戸期以前に建築された12の天守の中ではもっとも新しいが、我国最後の完全城郭建築ともいわれている。

松山城

城内の21棟の建造物は国の重要文化財に指定され、戦災や不審火で失われた建造物も、その多くは木造で復元されている。また天守曲輪、本丸、二之丸の石垣はほぼ完全に残っており、当時の縄張りもほぼそのままだ。全国でも屈指の名城と呼ばれる所以がそこにある。

松山城

なお日本には松山城が2つあり、もうひとつは岡山県の高梁市にあることから、「備中松山城」(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ばれている。一般的に「松山城」といえば、格式の高いこの城を指すことが多いようだが、混乱を避けるために「伊予松山城」(いよまつやまじょう)と称することもある。

 

よしあきくん

今度は松山城の歴史を簡単に振り返ろう。
築城に着手したのは、もともと秀吉の家臣で、関が原の戦いでは徳川方についた西国大名の加藤嘉明(よしあき)である。だが、松山城の完成直前に会津藩へ転封となり、次に城主となった蒲生氏郷の孫・蒲生忠知(がもう ただとも)が後を継いで、二之丸などを完成させた。しかし跡継ぎに恵まれず、在藩7年でお家断絶となってしまう。

徳川家ゆかりの松平定行が城主となるのは1635年。それ以降、明治維新までの235年間にわたり、松山は四国の親藩大名としての役目を担ってきた。この間、天守は1642年に五重から三重に改修され、更に1784年の落雷で焼失した後、1854年に再建されて今日に至っている。

松山城の詳細情報は、オフィシャルサイトで。

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