日本最古の模擬天守を誇る、淡路島の洲本城 


別名三熊城と呼ばれる洲本城は、クルマ旅の淡路島観光では「穴場」的存在かもしれない。

このお城には2つの見どころがある。
1つはご覧の見事な石垣だ。名城と呼ばれるお城には、もっと高くて立派な石垣があるが、どこも手入れが行き届いていて、オールド感というかクラシックな風合いが抜けてしまっているように感じる。

洲本城

もちろん、それは安全上致し方のないことだろう。だが、この洲本城の石垣には、今も適度に荒れた感じが残り、当時の雰囲気が漂っている。とりわけ本丸南側の虎口と大石段、そして本丸西側の高石垣は見事なものだ。

洲本八景

もうひとつは景観だ。天守のある展望所からの見晴らしは抜群で、大浜を一望する光景は、洲本八景のひとつにも選ばれている。

洲本城の石垣

では、その洲本城の歴史を振り返ろう。
室町時代の末期にあたる1526年(大永6年)、洲本城のある三熊山に最初の築城を果たしたのは、三好氏の重臣・安宅治興であった。熊野水軍の頭領である安宅氏は、由良に城を築き、そこを本拠地として淡路島内八箇所に城を築いたとされているが、洲本城はその中のひとつであった。だが、当初の洲本城に石垣はなかったという。

石垣

その後、洲本城は織田信長・豊臣秀吉の支配下に置かれるが、今に残る素晴らしい石垣の始まりは仙石秀久にあるようだ。仙石秀久は秀吉による有名な四国攻めの水軍の城として、石垣の要塞を築き始めた。しかし秀久は、その後の秀吉の九州攻めの際に軍律違反を犯して失脚し、淡路国には脇坂安治が入って新たな城主となる。

脇坂安治は淡路水軍を吸収し、豊臣水軍の中核を形成。後にこの水軍が北条氏の小田原城攻めで海上封鎖作戦を行い、戦果を挙げる。

脇坂安治は、洲本城を改修して水軍の本拠地とし、天守の造営、石垣の大改修などを行ったが、この際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。 現在も残る洲本城の石垣は、この時代に築かれたものだそうだ。

洲本城模擬天守

明治維新により洲本城は廃されたが、1928年(昭和3年)に昭和天皇御大典記念として鉄筋コンクリート製の模擬天守が建造された。

ちなみに、この模擬天守は江戸時代の天守を復元したものではないにも関わらず、模擬天守としては日本最古のものであることから、1999年(平成11年)には国の史跡に指定された経緯を持つ。

このように歴史を振り返ると、洲本城が興味深い遺構であることがわかるのだが、世間一般にあまり注目されていない。というより、地元の淡路島でさえもそうなのだ。その理由としては、

①江戸初期の一国一城令で、天守をはじめとする建物が全て取り壊されてしまった。
②豊臣秀吉の時代には、兵站・防御拠点として機能し、非常に重要な存在であったが、後方部隊であったため、歴史の表舞台に上がることがなかった。
③城が直接軍勢に攻められたことがない。

などが考えられるという。

新天守

その洲本城の模擬天守は2013年に改修工事が行われ、今はきれいに化粧直しされている。安全のため展望台としての利用はできなくなったが、お城そのものが高台にあるので、景色は天守に登らずともよく見える。

洲本城
〒656-0023 兵庫県洲本市小路谷1272-1
入場料:無料
駐車場:無料
山頂部大手門跡脇(馬屋曲輪跡)に無料駐車場あり。(約20台)

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