坂本龍馬ゆかりの船宿 京都伏見の寺田屋


寺田屋といえば、伏見奉行に坂本龍馬が襲撃を受けた宿としても有名だが、実は幕末に起きた「もうひとつの大きな事件」の現場でもある。

龍馬の銅像

残念なことに、戊辰戦争の火蓋になった1868年の鳥羽伏見の戦の折に、寺田屋一帯は激戦地となり、かつての建物は焼失している。現在、その跡地は庭になっており、坂本龍馬の像などが建てられている。

寺田屋

ガイドブック等でよく見る西側の旅籠は、旧宅にならう形で明治に建てられたもので、中の見学も可能だ(10:00から15:40まで受付、16:00営業終了、大人400円)。

寺田屋騒動

さて。寺田屋で幕末に起きた「もうひとつの大きな事件」とは、
文久2年(1862年)に発生した、薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件である。

庶民としては龍馬の襲撃事件に興味がわくが、歴史学者にとってはこの事件のほうが重要らしく、一般的にはこちらを「寺田屋騒動」、あるいは「寺田屋事件」と呼んでいる。せっかくなので、その話をもう少し詳しく記載しよう。

【寺田屋騒動】
この頃の京都は、長州藩を筆頭にした尊皇攘夷派と呼ばれる「幕府討伐勢力」が勢いを増しており、世の中の構図は尊皇攘夷派 VS 公武合体派(=江戸幕府=京都守護職の会津藩+その配下にあった新選組)となっていた。そして、そのどちらに時代が傾くのかというキャスティング・ボートを握っていたのが「薩摩藩」である。

だが、当時の薩摩藩は、一部の過激な尊王攘夷派と、リベラルで家臣の信望が厚い西郷隆盛派、そして実質的な藩主にあたる島津久光率いる保守派の、3つの派閥に割れていた。

事件はその久光が千人の兵を率いて京都に上ったことが引き金で勃発する。上洛にあたり久光は、扱いにくい西郷隆盛一派を捕縛して大阪から帰藩させるように命じており、京都に着くと、まず朝廷から尊皇攘夷派鎮圧の命を授かった。

この展開に驚愕した薩摩藩の有馬新七ら尊皇攘夷派は、寺田屋に集結し、諸藩の尊皇攘夷派志士と共謀して、関白九条尚忠と京都所司代酒井忠義を討ち、その首を久光に奉じることで、無理矢理に倒幕を促すことを画策する。

事前にそれを察知した久光は、襲撃計画を中止するよう、寺田屋にいる有馬に使者を送るが説得できず、結局藩士同士の斬り合いに進展する。

結果、6人が死亡し2名が重傷、一部の尊皇攘夷派は説得に応じて投降した。 後日重傷を負った2名は、藩命に逆らった罪で切腹となり、投降した藩士は各藩に引き渡された。薩摩藩は乱闘によって破壊された宿の修復と迷惑料の他に、藩同士の斬り合いについての口止め料として、多額の金銭を寺田屋に渡したという。

大黒寺

寺田屋の近くにある大黒寺は薩摩藩と縁が深く、寺田屋騒動で亡くなった有馬新七以下9人が「伏見寺田屋殉難九烈士」として墓所に葬られている。なお、墓石の文字は、有馬新七を幼年期から知る西郷隆盛の直筆と伝わる。

坂本龍馬脱藩の道

いっぽう、坂本龍馬と寺田屋の結び目も、どうやら文久2年(1862年)にありそうだ。

この年に龍馬は脱藩し、沢村惣之丞とともに京にも足を運んでいる。龍馬伝では、寺田屋の女将・お登勢が亡き母に似ていることから龍馬が気に入り、以降定宿にするような設定だった。他では1865年に薩摩藩からの紹介で定宿となったという説もあるようだが、筆者はそれよりも早いのではないかと推測している。

いずれにしても、その後江戸で勝海舟の弟子となったことから、龍馬の運命は大きく変わる。後に妻となるお龍と出会うのはそれから2年先の1864年。翌1865年には長崎で亀山社中を立ち上げ、1866年1月20日には、遂に悲願の薩長同盟締結を成し遂げる。坂本龍馬襲撃事件が勃発するのは、それからわずか8日後のことである。

寺田屋

1866 年(慶応2年)1月24日午前3時頃、用心棒として長州藩が遣わした三吉慎蔵とともに寺田屋にいた坂本龍馬は、伏見奉行所の幕府役人に襲撃される。

入浴中だったお龍の機転で龍馬は事態を知り、三好とともに応戦したが、手首を切られ、裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃れた。追っ手をかわし、5町ほど(500~600メートル)走って濠川に達した龍馬は、水門を経て入り込んだ屋敷裏手の材木納屋で救援を待つ。

建物そのものが「レプリカ」とはいえ、寺田屋では当時の様子を伺うことができる。

寺田屋

お龍が入っていたというお風呂

寺田屋

襲撃された当時の刀傷が残る部屋

それらが当時の「本物ではない」とわかった上で見るなら、筆者は全く構わないと思う。なぜなら、もし焼跡に全く関係のない住居や工場が作られていたとしたら、今は何も見られないのだから。お城を筆頭に、史跡とはそういうものだ(笑)。

寺田屋

 ☎075-622-0243
伏見区南浜町263

京阪電車 中書島下車徒歩約5分
市バス 京橋下車徒歩約2分

見学料 大人400円
拝観・開館時間 10:00~15:40

見学所要時間 約20分


無料駐車場は道を挟んだ向かいにあるが、2台しか停められない。満車なら徒歩10分ほどのところにある、月桂冠の大倉記念館や黄桜などの資料館の駐車場を利用するといい。

伏見薩摩藩邸跡

最後に。襲撃後に龍馬が担ぎ込まれた、薩摩島津伏見屋敷跡もちゃんと残されている(現在は松山酒造の敷地)。ここは見つけるのに、ちょっと手こずった(笑)。

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