江戸幕府の始まりと終焉の場所  京都・二条城


ここは、世界遺産に認定される遥か以前から観光名所とされてきただけに、修学旅行で訪れた人も多いと思う。

二条城

国宝の二の丸御殿は、廊下が「うぐいす張り」になっており、歩くとキュッキュッと音をたてることを覚えてはいないだろうか。もっとも… 筆者を含めて「それしか記憶に残っていない」というのは、本人よりも大事なことが教えられなかったガイドのほうに問題がありそうだ(笑)。

二条城

二条城は、1994年にユネスコの世界文化遺産、『古都京都の文化財』の中の一つに登録されているが、その主だった理由は、二条城のある場所がかつての平安京の大内裏だった位置に被っており、旧桂宮御殿を移した本丸(重要文化財)と豪壮な二之丸御殿(国宝)を有することだと推測される。

だが、歴女にとって大事なのは、そこではあるまい…

二条城

現在の二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城で、徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われた。つまり、江戸幕府の始まりと終わりの舞台なのである。

坂本龍馬

それは奇しくも、誕生日と命日が同じ日である、坂本龍馬と不思議な因縁でつながっているようにも思える。
そこで、坂本龍馬がシナリオを描いた「大政奉還」の舞台裏をのぞいてみよう。

「大政奉還」とは、1867年(慶応3年)10月14日に第15代征夷大将軍・徳川慶喜が、明治天皇に対して大政(統治権)の返上をし、翌日に天皇がその上奏を許可した歴史的な事件だが、その背景には 薩長同盟を結び、倒幕運動を進める薩摩藩と長州藩らの影があった

とはいえ… 平清盛が「武士の世」を築いて以来、日本の政権は常に血で塗り替えられてきた。それが約700年の歳月を経て、初めて「平和」に執り行われたのだから、確かに大事件といえるに違いない。

土佐藩邸跡

「大政奉還」の「立役者」となったのは、徳川慶喜宛に建白書を書いた土佐藩主の山内容堂であるが、その筋書きは坂本龍馬と、藩政の後藤象二郎によって練りあげられた。世に言う「船中八策」である。

折しもそれは岩倉具視らの画策で、朝廷から討幕の密勅が出されようとしていた直前で、結果として倒幕派は慶喜に先を越された形となった。

さらに慶喜は24日に将軍職の辞職を申し出るが、それは朝廷に政権を渡しても、政治を動かすだけの力はないと見切り、いずれ徳川家が政権の実権を握り返せると見通してのことだった。大河ドラマ「八重の桜」で、小泉孝太郎がその姑息な役を好演していたのは記憶に新しいところだ。

だが、「大政奉還の最終章」を残したまま、坂本龍馬はこの世を去ってしまう。そして倒幕派の巻き返しが始まった…
伏見の鳥羽で両派はついに激突。
世の中はやはり過去と同じく、「血で塗りかえる政権交代」の道へと突き進んでいくわけだが、この戦いの雌雄を決めた倒幕派の一手が、あの有名な「錦の御旗」である。

大政奉還は、結局のところ「龍馬とともに消えた夢幻」だったのかもしれない。

二条城
☎075-841-0096
開城時間 8:45~16:00(ライトアップの期間18:00~21:00)
休館日 1月、7月、8月、12月の毎週火曜日・年末年始12月26日~1月4日
入城料 大人600円、中・高生350円、小学生200円


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