司馬遼太郎記念館 大阪


ゴールデンウィーク前の出版を予定している「車中泊温泉地ガイド」の本格的な執筆に入り、今は自宅から遠出のできない日々を過ごしている。幸いにも取材をする気にもならないような天候続きで、すこぶるペンは進むのだが(笑)、せっかくカメラを新調したので、前々から機会があれば訪ねてみたいと思っていた場所へ日帰りで行ってみることにした。

20141018司馬遼太郎

司馬遼太郎。
大河ドラマをご覧の方なら、その名を知らぬ人はいない… そう断言できる昭和屈指の歴史小説家の記念館は、うちから20キロほど離れた東大阪市にある。

氏の作品をよく知らない人のために紹介しておくと、これまで大河ドラマの原作となった作品は「竜馬がゆく(龍馬伝ではなく1967年の大河ドラマ)」、西郷隆盛の生涯を描いた「翔ぶが如く」、また山内一豊と妻の千代を描いた「功名が辻」など計6作、そしてスペシャルドラマとして3年越しで年末放映された「坂の上の雲」がある。ちなみに今放映中の黒田官兵衛についても、著書の「播磨灘物語」の中で、その才覚を詳しく描いている。

また1971年からは、週刊朝日に紀行随筆『街道をゆく』の連載を開始している。しかしロングセラーとなった同シリーズの「濃尾参州記」の取材を終えた1996年2月10日、深夜に吐血して倒れた司馬遼太郎は、翌々日の午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため帰らぬ人となった。享年72歳。まもなくその命日がやってくる。

さて。記念館は安藤忠雄氏がデザインしたモダンな建物で、松山にある「坂の上の雲ミュージアム」とどこか似た感がある。特筆すべきは司馬遼太郎の膨大な資料を保管している書斎をイメージした展示室だ。撮影禁止なので中の様子はこちらのサイトでご覧いただきたい。

天井まで届き、もし大地震がきたらどうするのだろうと思わんばかりに収集された書籍は、こんな本が世の中にはあるのか… と思うものばかりであった。

最後に筆者が知る司馬遼太郎氏の取材エピソードを紹介したい。 
それは3年ほど前に取材で城崎温泉を訪れた時に聞いた話だが、城崎温泉には「禁門の変」に破れ、自国へと逃げ帰る途中の長州藩家老、桂小五郎が一時期身を寄せていたとされる宿(現在のつたや)がある。
その桂小五郎の足跡を取材するため、司馬遼太郎は此の地を訪れ同じ宿に逗留した。その時執筆していたのが、のちに大ベストセラーとなる「竜馬がゆく」だ。とはいえ、確かに桂小五郎は登場人物のひとりだが、主人公は坂本龍馬であり、桂小五郎は「禁門の変」には参加もしていなかった。すなわち、軽く流そうと思えば可能な場面とも思える。

 しかし実際にきちんとしたものを書こうと思えば、取材活動の大半は「伏線を敷く」ために費やされる。特に歴史物は常に「裏取り」が求められ、先駆者のいない分野では、その調査におびただしい時間を要するに違いない。

実はこの頃、桂小五郎は京都の三本木の芸妓・幾松との恋に落ちており、幾松は危険を承知で小五郎を献身的に支え、やがて明治維新を迎えて妻となる。その中で桂小五郎は、命からがら京を脱出するきっかけを作り、長州人のみならず坂本龍馬を除く世の中の誰もが「ありえない」と思っていた、天敵の中の天敵「薩摩藩」との同盟締結に尽力していくことになる… その心境の変化と生き様を語るには、この時期の行動をつぶさに追うことが、おそらくもっとも重要な伏線と考えたのだろう。

だが出版ビジネスにおいて、そこまでの取材が許されるのは、「ほんの一握りの選ばれた先生」と、自腹をも厭わない情熱家、そしてお金持ちの趣味人だけだ。司馬遼太郎氏が「龍馬がいく」を執筆していた当時、そのどれであったかは分からないが、彼の作品に宿るリアリティーが、常にそういった日の当たらないところにも手を抜かない取材を積み重ねた賜物であることは確かで、リスペクトに値する。

話には聞いていたが、実際にその仕事場を見るとオーラはすごい。小五郎や龍馬になりきれるまで調べるという信念を、垣間みた気がした。

 司馬遼太郎記念館
住所: 〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11−18
電話:06-6726-3860
オフィシャルサイト

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