「リアル侍ジャパン」 呼子の名護屋城


戦国時代と言えば、「川中島の戦い」や「桶狭間の戦い」など、文字通り日本の有力武将同士が領地の覇権をかけた戦を長きにわたって続けていたのだが、豊臣秀吉が天下人となったことで、情勢は大きく変わった。戦地は日本から朝鮮半島へと舞台を移すことになる…

そして佐賀県の呼子には、当時の「明」との大戦に備えて築かれた、まさに唯一無二ともいえる真の「サムライ・ジャパン」の拠点跡が今も残されている。

名護屋城は、文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)に際して築かれた平山城で、五重の天守や御殿を擁し、その規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであったという。

だが秀吉の死後、大陸進攻が中止されたために城は役目を失い、主な建物は写真の唐津城に移築されたとされる。この幻ともいえる巨城跡は、国の特別史跡に指定され、平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定されている。

 1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、「戦国サムライ・ジャパン」が死闘を繰り広げた文禄・慶長の役は、16世紀における世界最大の戦争とされるのだが、大学受験に日本史を選んだ人以外は、たぶんその内容をよく知らないと思う。

確かにこの戦は日本が仕掛けた純粋なる侵略戦争だけに、隣国の心情を思えばそのことを掘り返すのはあまり気持ちの良いことではあるまい。ゆえにここでは、歴史上の事実を客観的に記載するだけにとどめたい。

ただ心の片隅に、「戦国サムライ・ジャパン」の実力とは如何なるものであったのか… という思いが残る人には、このサイトをお勧めしたい。なかなか興味深い記述がある。

【稲垣朝則のオリジナル・ウェブサイト】

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