博多の屋台めぐりと、黒田官兵衛の墓参り


今回博多にやってきた理由は2つある。まずひとつはグルメと屋台と車中泊事情の取材、そしてもうひとつは黒田官兵衛ゆかりの地の巡礼だ。黒田官兵衛は息子の長政とともに、この地に眠っている。

博多は大都会で、天神のような繁華街では、クルマはかえって足手まとい。立駐に入れないキャンピングカーはなおさら厄介なので、大濠公園の平面駐車場に停めて、そこから地下鉄と徒歩を利用するといい。それにしても、モバイルというのは本当に重宝なお道具だ(笑)。

博多にはラーメン、モツ鍋、水炊き、ひとくち餃子等の専門店が数多く存在するが、一番驚いたのはうどんだった。なんと、うどんは讃岐ではなく、福岡が発祥の地だという。「天下の台所」と呼ばれる大阪にも、粉物を中心にした美味しいソールフードがたくさんあるが、もしかすると、博多はその上を行くかもしれない。

写真のラーメンは、博多一風堂の定番メニュー。一風堂といえば、創業者の河原成美が「TVチャンピオン~ラーメン職人選手権」の初代チャンピオンに輝き、1999年の「史上最強!ラーメン王決定戦II」、2000年の「大行列!ラーメン職人選手権」で3連覇を達成した、まさに伝説のラーメン店である。

たまたま筆者はその番組を全部見ていたので、博多に行った時には、ぜひそのラーメンを食べてみたい思っていた。

今の一風堂は全国に店舗があるだけでなく、カップ麺にもなっているので、ラーメン通には「当たり前すぎて面白くない」存在かもしれない。

しかし筆者が訪ねた「大名店」には、ここでしか味わえない「創業当時」のメニュー「白丸元味」がある。大阪で食べた「白丸」は、予想に反してあっさりとした上品な味わいだったが、オリジナルの「白丸元味」はとろみのある濃厚なスープで、期待通りの力強い味わいだった。

 ご承知の通り、博多には大規模な屋台筋がある。いや厳密に言えば「あった」というほうが相応しい。

終戦直後の各都市部で、一気に普及した移動式飲食店が「屋台」である。その発祥地と言われる福岡では、1970年代のピーク時には400軒を超える屋台が並び、観光スポットのひとつとして、また街の風物詩として観光客や市民に親しまれていた。筆者が博多の町を初めて訪ねた1982年には、まだ当時の勢いが感じられたが、その後、衛生面や場所、美観等の問題から規制が強まり、博多の屋台は衰退の道を辿り始める。そして1994年、ついに屋台は名義変更・譲渡の禁止を宣告される。

これにより、屋台営業は「一代限り」となったため、経営者の高齢化によって暖簾を下ろさざるを得ない廃業屋台が相次いだ。また、この規制では新規参入も不可能なため、現在は軒数が減ることはあっても増えることはありえないという。

さて、今度は黒田官兵衛の話。
関ヶ原の合戦後、官兵衛の嫡男である長政は中津から福岡の地に加増移封され、今の博多の街を築く。実は翌年、勘兵衛にも、これとは別に上方での加増が提示されるが、それを辞退し、その後は中央の政治に関与することなく隠居生活を送った。なお、終焉の地は京都伏見藩邸。59歳であった。

福岡城とは離れた場所にある崇福寺に、黒田家の墓がある。手前が長政、奥の黒い墓石が勘兵衛だ。

【稲垣朝則のオリジナル・ウェブサイト】

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