軍師官兵衛ゆかりの地 太宰府天満宮


心字池にかかる 三つの赤い橋は
一つ目が過去で 二つ目が現在

これでピンとくる人は、たぶん筆者と同年代の御仁だろう。シンガーソングライターのさだまさしが、1977年に発表した2枚目のアルバム『風見鶏』に収録された「飛梅」は、今日の話のテーマである「太宰府天満宮」を舞台に描かれた楽曲で、その抒情的な歌詞の中に伝説と愛が練り込まれた名曲だ。

一度聞いてみたいという方は、こちらをクリックすると天神様が願いを叶えてくれる(笑)。

さて、その「太宰府天満宮」の話をする前に、太宰府とは何ぞや? である。

九州と縁がない我々は、太宰府と太宰府天満宮が別物であるという意識が薄いのだが、大宰とは古代日本語で(おほ みこともち)と読む地方行政上の重要な役職で、府は役所を意味している。

つまり大宰府とは律令時代の地方官庁のこと。九州諸国の行政の統轄、外国使節の接待、海辺防備などに当たっていたとされている。太宰府の市内には、その広大な遺構が整備され、市民の憩いの場所になっている。

 

 

ここでようやく、菅原道真公のお出ましだ。官兵衛登場までの道のりは実に長い…(笑)。 
学問の神様で知られる道真公は、平安時代のキレモノで、宇多天皇の信任を受け、朝廷の要職を歴任するが、左大臣藤原時平に濡れ衣を着され、大宰府へ権帥(長官代理)として左遷される。

道真公は失意のうちに現地で没するが、死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となった。
その道真公が、京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」はつとに有名で、その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという伝説が「飛梅」となった。ちなみに太宰府天満宮は、道真公の墓所の上に建てられている。

さて、黒田官兵衛はキリシタンであることからもわかるように、信心深く、天満宮の祭りごとがあれば寄進を積極的に行っていた。中津から福岡に封じられた際には、太宰府天満宮の境内横に仮住まいをしており、その際に茶の湯に使っていたとされる井戸が写真の「如水の井戸」として残されている。またその隣には、御霊を祀っている「如水社」がある。

「如水の井戸」と「如水社」があるのは、楼門の外に建つ宝物殿の横。飛梅の横から抜ける梅林の方ではないので、くれぐれも迷わないように。

【稲垣朝則のオリジナル・ウェブサイト】

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