軍師官兵衛の城 中津城/大分県


2週間に及んだ西九州の取材ツアーも最終日を迎えた。今回は長崎県の雲仙まで足を運んだが、福岡・佐賀・長崎の3県では、良くも悪くも中国との関わりの強さを目の当たりに。脅威を感じたのはやはりPM2.5だ。

寒波が到来するこの季節でも、晴れれば昼前には霞がかった空となり、地元のニュースでは定期的にその濃度が放送され、注意が促される。偏西風で黄砂が本州まで飛んでくる春には、全国で大々的なニュースとして取り上げられるに違いない…

さて、この日は同時並行ですすめてきた「黒田官兵衛ゆかりの地ツアー」の最終目的地・中津を経由して門司港へ向かう。かなり大回りになるわけだが、ここまで来て「中津」を置き去りにして帰るのはどうしても口惜しい…と覚悟を決めた。 

道中では再び太宰府天満宮の近くを通ったため、晴れのシーンを再撮するため立ち寄った。3日前に訪ねた時は雪が断続的に舞い、ある意味では貴重といえる画像が撮れたわけだが、スッキリした青空の写真があるに越したことはない。

大分県の中津は、九州制圧と朝鮮出兵における黒田官兵衛の働きによって、秀吉から拝領した黒田家の最初の領地である。それから10余年で関ヶ原の合戦となり、黒田家は福岡に加増移封されたため、現在の中津城には、黒田家よりも最後の藩主となった奥平家ゆかりのモノが数多く残されている。

中津城の遺構としてはっきり残されているのが、こちらの石垣。ドラマが進めば、いずれ何度も目にすることになるとは思うが、この時代は自然石を石垣にしていたにもかかわらず、官兵衛は写真の右側に見える四角に加工された石を利用して石垣を築いている。

この石垣は、もともと7世紀の古代遺跡とされる「唐原山城」にあったものを転用しているらしいが、どの資料を見ても解説はここまで。

しかし考えてみればおかしな話だ。既に1000年前にあったはずの技術が、どんどん城が作られ、需要が高かった戦国時代には、なぜ利用できなかったのだろう? むしろこの謎のほうが、筆者には興味深い。まるで「ナスカの地上絵」のようだ…

最後に。中津の一番の見どころは、黒田官兵衛資料館である。中で放映されているVTRと、展示パネル、パンフレットのいずれをとっても、わかりやすく素晴らしいデキだ。官兵衛のどこが優れているかを単純明快に表現できている。しかも入場は無料。おんせん県大分、さすがに宣伝上手だ。

余談になるが、黒田官兵衛という男の才能は、戦略と戦術がピタッと合致している点に集約される。例えば、籠城してなかなか敵が落ちないと見るや、近くの村を襲わせ、村民を生かしたまま城内へ匿わせるようにしむける。そうすると城内の食い扶持が増え、兵糧が早く尽きていくことになるわけだ。

また、中津城はわざわざ河口に築いているのだが、戦略は「情報戦で優位に立つ」ことにあった。そのため「海路を活用する」という戦術を選び、上方の情報を船をリレーして伝えさせる仕組みを構築した。

そのおかげで、3日後には九州で上方の様子を掌握していたという。関が原の戦いで主君「豊臣」ではなく、徳川を選べたのもそういうリスクマネージメントに長けていたからなのだろう。

門司からは夜7時50分発の名門太平洋フェリーで大阪へ。夜明け頃に明石海峡大橋を通過し、8時30分に南港に到着した。九州の旅はフェリーを使うに限るね!

【稲垣朝則のオリジナル・ウェブサイト】

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