京都の湯豆腐と「奥丹」/クルマで旅する京都


京都の湯豆腐は、江戸時代から続く伝統料理

京都の名物といえば…?
この問いで「湯豆腐」と答える人はたぶん稀だと思うのだが(笑)、筆者は学生時代に「湯豆腐の本場」南禅寺の近くに下宿していたため、早くから幾ばくかの認識は持っていた。しかし… その老舗の味を知るまでに、なんと40年もの歳月を要してしまった。

本題に入るまでに、少し豆腐の歴史の話をしよう。
京都で豆腐料理が発展した理由は大きく分けて3つある。まず、日本に豆腐が伝えられたのは奈良時代で、仏教とともに大陸から伝来したもののひとつと云われている。つまり、元々は僧侶が食べる精進料理の一品だったというわけだ。

平安時代になると、京の都に数多くの寺社仏閣が建立されるが、為政者は天皇から藤原家に代表される貴族、そして平家を筆頭とする武家に変遷していく。さらに室町時代に入ると、京都には金閣寺・銀閣寺に代表される北山・東山文化が広がり、その中で豆腐もまた貴族や武家の食する馳走へと発展してきた。

その豆腐の発展に寄与したのが水だ。ミネラルをほとんど含まない京都の軟水が、滑らかできめ細かな豆腐作りを後押しした。また盆地に位置する京都市内は海から遠く、当時は貴重なタンパク源として、豆腐の需要が高かったことも挙げられよう。

さて。ご承知の通り、湯豆腐は昆布を敷いた鍋に、角切りした豆腐と水を入れて火にかけ、温めたものを醤油やポン酢と薬味で食す料理だ。シンプルであるがゆえに、豆腐そのものの味と食感が評価の決め手になる… おそらくその繊細さが、昔から京都人の好みにマッチしてきたのだろう。

そんな湯豆腐の発祥地とされているのが、南禅寺北側にある創業約380年の「奥丹」だ。「総本家ゆどうふ」の暖簾を掲げて、江戸時代初期(寛永12年 西暦1635年)に創業して以来、今なお自前の工房で豆腐造りを続けている、日本最古の湯豆腐専門店である。

これでようやく、冒頭で書いた若き日の想い出につながった(笑)。

だが、ご想像どおり、奥丹の湯豆腐は学生の身分で食べられるものではなかった。もちろん、社会人になって大阪に移り住んでからも、何度か店の前を通ってはいるが、今度は値段よりも「待ち時間」が筆者の前に立ちはだかった。

筆者に「初・奥丹」のチャンスが来たのは2017年の9月。雑誌の取材で京都をまわることになり、予算と時間を十分に備えて、その暖簾をくぐる覚悟を決めた(笑)。

「どうせ待つなら開店前から」。これは筆者がプロになってから実践している鉄則だ。間違いなく時間が読めるし、昼時に比べると明らかに競争率も低い。行列店の攻略法は自然と同じ… 自分の都合ではなく、相手の都合に自分を合わせることが大切である。

実は奥丹は南禅寺と二年坂に店があり、筆者が暖簾をくぐったのは二年坂の「奥丹清水」。紙面との兼ね合い上、こちらのほうが都合が良かった。そこは仕事なのだから仕方がない。

オーダーしたのは、3つあるコースメニューの中の「昔豆腐一通り」。昔豆腐は奥丹に代々伝わる古代造りの豆腐で、少し固めだが味もしっかりしていて美味かった。コースは精進料理をベースにしているのか、食材は全て野菜で肉類はない。写真のごま豆腐は甘みがなく、実にあっさりしていた。いっぽうの田楽は、濃い目の味噌ダレで調和がとれている。

後半になって出された天ぷらとご飯。とろろは先に通されるが、「ご飯と一緒に」とのアドバイスに従い、そうすることに。中居さんは「薄味」と語っていたが、関西人にはちょうどか、濃いくらいだと思う。きっと関東から来たお客さんはそういうのだろう。ほとんど大阪弁を使わない我々は、お江戸の人と間違われたのかもしれない(笑)。

総括として。

筆者の場合、「ああ、俺も嫁さん連れてやっと奥丹の湯豆腐が食べられるようになったか…」 という感慨込みで支払える、一人前4,000円(笑)。感激するほど美味いとは思わなかったが、中後年なら十分お腹は満たされる。

でも何か付加価値がないと、行きづらいのは確か。大半の人は、それが「せっかく京都に来たのだから」とか「行列店だから」なのだろう。

いずれにしても、合理主義者には向かない店であることは確かだね(爆)。

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