「正真正銘のプロ」がお届けする車中泊旅行ガイド
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊ならではの旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊ならではの旅」という観点から作成しています。
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クルマ旅専門家・稲垣朝則の主な著書
車中泊の第一人者と呼ばれる稲垣朝則が、これまで執筆してきた書籍・雑誌と出演したTV番組等の紹介です。
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富良野に観光客の注目が集まり始めた頃
富良野といえばラベンダー…
そう思っている人が多いかも知れないが、実は富良野におけるラベンダー栽培は、1970年にピークを迎えた後、わずか3年足らずで急激に衰退している。
貿易の自由化を受けて価格の安い香料が広まったことと、合成香料の技術が進み始めたことで、製造していたラベンダーオイルの買上げ価格が急落し、1973年には富良野のラベンダー栽培農家はファーム富田一軒だけになってしまった。
折しも日本は第一次オイルショックに見舞われ、大不況に陥ろうとしていた…
さすがの富田家もラベンダー栽培を諦め、後日「北の国から」に使われた、このトラディショナル・ラベンダー畑に鋤を入れそうになるまで追い詰められていたという。
それが「北の国から」が生まれる、ほんの少し前の富良野だった。
「ファーム富田」パーフェクトガイド【ぶっちぎりの写真とともにご紹介】 2022年8月更新
【2022年8月更新】北海道旅行歴20余年のクルマ旅専門家が、大人の「ファーム富田」の楽しみ方と見どころを詳しくご紹介。
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だがオイルショックの嵐を抜けると、状況を好転させるきっかけが意外なかたちでやってくる。
1976年5月、旧国鉄のカレンダーにファーム富田のラベンダー畑が紹介され、徐々に観光客やカメラマンが富良野を訪れるようになったのだ。
その写真を撮影したのが前田真三。美瑛にある拓真館に飾られた数々の写真の生みの親である。
また同時期に、美瑛のパッチワークの路では何本もの有名なコマーシャルが撮影されているが、それにも前田氏の影響は少なからずあるのだろう。
このサイトに書かれた年表を見れば、当時の富良野の様子が伝わってくる。
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ありがとう「北の国から」
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