坂本龍馬の霧島温泉新婚旅行コースを完全追跡

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坂本龍馬が「筆まめ」だったからからか、霧島観光協会のスタッフが研究熱心だったからかは定かでないが(笑)、今から約150年前に坂本龍馬が妻のお龍(おりょう)を伴い、霧島温泉に湯治の旅に訪れた時の記録が、ほぼ克明に残されている。

地元ではそれを「日本で最初の新婚旅行」と謳い、毎年イベントを展開しているのだが、2010年に放送された「龍馬伝」以来久しぶりに、「西郷どん」で脚光を浴びることになりそうだ。

ということで、ここではその「新婚旅行の足取り」を辿りたい。

これを見れば、筆者がいかにヒマ、あるいは龍馬フリークではなく、「仕事熱心」であるかがお分かりいただけると思う(笑)。

坂本龍馬が、霧島に新婚旅行に行くことになった経緯

坂本龍馬は、1866(慶応2)年1月22日、京都の小松帯刀邸において薩長同盟が成立した2日後に、伏見の定宿「寺田屋」に潜んでいるところを、伏見奉行所の役人に襲撃される。これが世にいう「寺田屋事件・龍馬編」だが、長くなるので事件発生までの詳しい経緯は、後ほどこちらの記事を見ていただきたい。

薩長同盟締結の顛末

この事件後に龍馬の妻となる「お龍(おりょう)」の機転で、踏み込まれる直前に状況を察した龍馬は、護衛役の長州藩士・三吉慎蔵と防戦体制をとり、三吉は槍、龍馬は高杉晋作から贈られたピストルで応戦した。その際に龍馬は左手に刀傷を負うが、発砲で役人が怯んだ隙に窓から何とか逃走する。

近くの材木小屋で動けなくなっていた龍馬は、翌朝未明に三好とお龍に発見され、瀕死の状態で薩摩藩の伏見屋敷に運び込まれた。

その際に、軍医を派遣して龍馬の一命を取り留めたのが、二本松の藩邸にいた西郷隆盛と云われている。坂本龍馬と西郷隆盛は、勝海舟の導きで出会って以降、強い信頼関係で結ばれた仲だった。

その後、西郷どんと小松帯刀の勧めで、龍馬はお龍とともに薩摩藩船「三邦丸」に乗船し、長崎に立ち寄った後、3月10日(新暦4月24日)に、鹿児島・天保山に到着した。

1週間ほど小松帯刀の別邸に宿泊しながら、鹿児島周辺で寛いだ後、3月16日(新暦4月10日)に再び船で浜之市港へ向かい、そのまま上陸。いよいよここから、2人の霧島温泉・新婚旅行がスタートする。

塩浸(しおびたし)温泉で湯治

記録によると、翌日の3月17日から塩浸温泉に11泊して、傷の治療のために湯治を行ったようだ。ただし、このあたりは当時と様変わりしており、現在は日帰り温泉と資料館、そして龍馬とお龍の銅像が立つ公園になっている。

塩浸温泉の詳細と入湯レポートはこちら

この間に龍馬はお龍を連れて周辺を散策をし、和気神社や犬飼の滝にも足を運んでいる。

「谷川の流れにて魚を釣り、短筒で鳥を撃つ。誠におもしろかりし。」これは龍馬が姉の乙女にあてた手紙の中の有名な一節だ。

栄之尾温泉で療養中の小松帯刀を見舞う

3月28日、龍馬は霧島に近い栄之尾(えいのお)温泉に滞在中の小松帯刀を見舞っている。実は、小松帯刀は3月14日から4月8日までの25日間、栄之尾温泉に療養で訪れていた。

この当時の栄之尾温泉は薩摩藩御用達の湯治場で、島津斉彬をはじめとする歴代の藩主も、ここで疲れを癒してきた。ただ現在の栄之尾温泉は、渓流沿いに8つの湯殿を持つ緑渓湯苑(りょくけいとうえん)に名前を変え、霧島いわきホテルが管理している。

大河ドラマ「龍馬伝」では、その緑渓湯苑でロケが行われた。当時坂本龍馬が入ることのできなかった名湯に、福山龍馬は運よく入れたわけだ(笑)。

霧島いわきホテルは、2017年11月から耐震補強工事のために休館中。営業再開等に関する問い合わせは、霧島市観光協会☎099-578-2115まで.

霊峰、高千穂峰に登る

その翌日の3月29日には、お龍とともに高千穂峰の山頂まで登り、あろうことか伝説の剣とされる「天の逆鉾」を引っこ抜いている。

そもそも、アマテラスの命を受けた孫のニニギノミコトが、高天原から降り立ったとされる高千穂峰は、当時「女人禁制」。龍馬が暗殺されたのは、この悪事の罰が当たったからだと信じている人もいるらしい(笑)。

龍馬はその時の様子をイラストにして姉の乙女に送っている。この有名な手紙のレプリカは、「塩浸温泉の資料館」もしくは「霧島ホテル」で見ることができる。

ちなみに、ここにも「龍馬伝」のエピソードが残されている。

高千穂峰の斜面は細かな砂礫で、登りはまさに「365歩のマーチ」になる。登山客はそれを乗り越え山頂を目指すわけだが、大河ドラマのロケの際には、お龍役の真木よう子とカメラクルーのために、鹿児島県か霧島市かは分からないが、なんと写真の木段を設置したというから驚く。どこまで親切なんだ。薩摩隼人は!(笑)。

高千穂峰登山の詳細レポートはこちら

なお、下山後ふたりは霧島神宮を参拝し、「御神木の樹齢千年近い大杉を見る。」とあるのだが、本当はここですべきは、祀神であるニニギノミコトへの陳謝だったに違いない(笑)。

霧島神宮の詳細はこちら

硫黄谷温泉に泊まる

硫黄谷温泉は、江戸時代に作られた温泉番付「諸国温泉功能鑑」に薩摩硫黄湯と記載されている古いおゆ場だが、昭和24年の山崩れにより、中核施設だった霧島館が倒壊し、今は往時を偲ぶものは残っていない。

現在の硫黄谷温泉はこちら。温泉ファンなら周知の霧島ホテルにある名物湯だ。ロビーには竜馬に関する展示もある。

硫黄谷温泉の詳細と入湯レポートはこちら

この後、ふたりは再び塩浸温泉に戻って7泊した後、4月8日に日当山温泉に3泊している。もしかしたら、この時に西郷隆盛とここで合流していたのかもしれない。

西郷どんの宿の詳細記事はこちら

龍馬たちが霧島温泉を後にしたのは4月12日。ただし向かったのは、京ではなく鹿児島で、小松帯刀の原良別邸で約50日間滞在するが、毎日どこで何をしていたかは不明のようだ。

それにしても、なんと長旅。こんな定年退職者でも呆れるような「新婚旅行」が、あっていいわけないだろう(笑)。

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