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下田の吉田松陰ゆかりの地 柿崎弁天島

南伊豆

まず最初に、この記事は「下田に残る、吉田松陰寓寄処」の続きとして見ていただくと、話の筋がよく分かる。

蓮台寺温泉で村山行馬郎(むらやま ぎょうまろう)医師の世話になり、皮膚病の湯治を受けた吉田松陰は、1854年(嘉永7年)3月27日の深夜、柿崎弁天島から闇夜にまぎれて小舟を漕ぎ出した。この時、松陰も金子も23歳。

天候は不順で波が高く、やっとの思いで旗艦ポーハタンに乗り移った二人は、必死に渡米の意思を訴えるが、ペリーは条約交渉の障害になることを恐れ、それを認めず送り返した。

密航の企てがいずれは発覚することを悟った二人は、自ら奉行所に申し出て投獄されるが、ペリーから寛大な処置をとるよう進言があったこともあり、江戸に送られた後、ほどなくして故郷の萩に送還されている。

膿の中ほどに見えるのが弁天島。幕末は鷺島神社と龍神宮の二つの祠があるだけの小さな岩島だったが、現在は西側が埋め立てられ、下田弁天島公園として整備されている。

松陰らが身を隠したとされる祠。正面には二人を顕彰する石碑が並ぶ。

その先の広場に建つのが、有名な「踏海の朝」と名付けられた2人の銅像だ。松蔭が指差しているのは、黒船かアメリカか、それとも新しい時代の日本だろうか…

柿崎弁天島まではクルマでも行けるが、天気が良ければ「まどか海浜公園」の広い無料駐車場にクルマを停めて、「松蔭の小路」を歩くほうがいいだろう。

近くにはハリスが日本最初の「米国総領事館」を設置した「玉泉寺」もある。

 

吉田松陰のプロフィールと年表

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