「クルマ旅専門家」・稲垣朝則が、10年以上かけてめぐってきた全国の温泉地を、「車中泊旅行者の目線」から再評価。車中泊事情や温泉情緒、さらに観光・グルメにいたる「各温泉地の魅力」を、主観を交えてご紹介します。
それぞれにメリット・デメリットがある。
今はどんなことでも議論をすれば、「総論賛成・各論反対」が避けられない世の中だが、需要と供給がもたらす「矛盾」は温泉業界にも存在する。
お酒同様、温泉だって「何も足さない・何も引かない」自然のままが理想であることに間違いはあるまい。だが、源泉掛け流しができるだけの豊富な湯量を誇る温泉は、日本国内にごくわずかしか存在しない。
今の状況で、もし我国のすべての温泉施設が、循環や加水をやめて掛け流しにすれば、あっという間に大半の源泉は枯渇してしまうことだろう。
そうなれば、道の駅や街角に建つスーパー銭湯から、「天然温泉の浴槽」は確実に消え、地元住民だけでなく、温泉めぐりだけが目的ではない車中泊の旅人もまた、「憩いの場所」を失うことになる…
「源泉掛け流し信奉」の功罪
「源泉掛け流し」と「循環」が、善と悪の構図に別れるきっかけになったのは、2000年から2002年にかけて発生したレジオネラ菌騒動だ。
日帰り入浴施設などに設置された、浴槽内循環機がレジオネラ菌繁殖の温床とされ、平成19年の温泉法改正以降、全ての循環風呂に塩素系消毒剤の使用が義務付けられた。
すなわち、この日を境に循環風呂の温泉は、100%無添加ではなくなったわけだ。
そうなると、塩素が混入されない掛け流しの温泉に注目が集まるのは必然…
その後の温泉愛好家の間では、「掛け流しされているかどうか」が、温泉の評価基準のひとつとしてクローズアップされるようになっていった。
写真は「三日入ると三年は風邪をひかない」と詠われた白骨温泉。
だが、平成11年頃より源泉の白濁が薄くなり、一部の旅館やホテルで入浴剤を混ぜていたことが平成19年に発覚し、大々的な温泉偽装問題の火種となった。
しかし天然温泉である以上、枯渇や泉質の変化がつきまとうのは当然だ。それは「源泉掛け流し」を続ける限りは払拭できないリスクであり、どう向き合うかは、人気の高い温泉地が抱える共通の課題といえる。
スマートなのは、目的に応じた使い分け
筆者は温泉旅の目的は大きく分けて2つあると思っている。
ひとつは効能を得るためだ。それには薄めることのない「源泉掛け流し」の温泉浴場に行くのが好ましい。
ちなみに、専門医の指示を仰ぐ必要がある「湯治」はまったく別物だ。
それを勘違いしている温泉好きのおっちゃん・おばちゃんが、酸ヶ湯や草津温泉の無料駐車場に我が物顔で長期滞在することが、温泉地から我々が毛嫌いされる要因のひとつになっているのは否めない。
そうと分かれば、もう「湯治ごっこ」は卒業していただきたい(笑)。
もうひとつは「癒やし」。
個人・団体にかかわらず、冬に蟹や牡蠣を求めて出かける温泉旅や、忘年会・慰安旅行には、むしろ設備の整った温泉旅館やホテルの方が、ゴージャスで適している。
となると、いたずらに「源泉掛け流し」にこだわるのは大人気ない。誤った認識は市場を歪め、温泉旅館や温泉地の商売人を苦境に追い込む。また新たな偽装の呼び水にもなりかねない。
また複数の浴槽を持つ温泉施設の場合、ひとつでも「源泉掛け流し」があれば、広告上「源泉掛け流しの宿」と謳っても問題はないとも聞く。
インターネットが定着し、クチコミ情報が入手しやすい時代になったとはいえ、結局、真実は施設側の良心に委ねられている。
だからそれを暴く本が売れる(笑)。