この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊ならではの旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

山本勘助が80日間で築城した名城跡は、桜の園
日本100名城 松代城ガイド
1.海津城のロケーションと築城の目的
「甲陽軍鑑」によると、松代城はかつて海津城と呼ばれた名城で、武田信玄が宿敵・上杉謙信との「川中島の最終決戦」に備え、あの山本勘助に命じて築城させたと伝わる。
甲州流築城の模範になったこの城は、川中島平全体をにらむ、戦略的に重要な地点にあり、三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川という自然の地形を巧みに利用した堅固な造りであった。
それを山本勘助は80日で普請し、激戦となった第4回川中島合戦では、実際に信玄公はここから出撃している。
2.山本勘助

出典:NHK
山本勘助は、井上靖が1950年代初頭に執筆した小説「風林火山」の主人公で、武田信玄(晴信)の軍師として知られる伝説の人物だ。
井上靖の生誕百周年となる2007年に、同名で大河ドラマ化され、内野聖陽が山本勘助を、市川亀治郎が武田信玄(晴信)を演じた。
筆者は後年にDVDで見たが、このふたりの濃い演技にはさすがに耐えれず、少し間を入れ、2期に分けて全話を見たが、「とんび」や「JIN」でお馴染みの内野聖陽の、あの濃厚なる芝居を延々50話近く見続けるのは、並大抵の忍耐ではなかった(笑)。
3.江戸時代以降の松代城
その後の海津城は、城主の入れ替わりが激しかったが、江戸時代初頭の1622(元和8)年に真田信之が10万石で入り、名も真田幸道の代に松代城と改められた。
大河ドラマでは、ここから先の話は2016年に放送された「真田丸」に引き継がれているのだが、この城の面白さは、真田信之の苦心とともにあると思う。
明治の廃城後は建物が打ち壊されたために、城としての景観を失い、わずかに石垣が残るのみになったが、1981年に現存する城郭建築である新御殿(真田邸)とともに国の史跡に指定された。
長野市では1995年より環境整備工事を行い、発掘・文献調査をもとに、櫓門・木橋・石垣・土塁・堀などの修理・復元工事を着工。
2004年4月には江戸時代の姿に限りなく近い状態に再現された。また2006年には、財団法人日本城郭協会より「日本100名城」に認定されている。
4.映画「清州会議」のロケ地
現地に行って初めてわかったこと…
なんと松代城は、話題の映画「清州会議」のロケ地に使われていた。
偶然にも既にその映画を見ていた筆者等はびっくり! 清須城の広場や表門のシーンをここで撮影したそうだが、確かにそう云われれば…
行かれたことがあれば、この予告編でそれがわかる(笑)。
しかしこの映画を監督した三谷幸喜が、後に「真田丸」の脚本を手がけるのだから、その因果もまた面白い。