この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊ならではの旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

武田の「野望」と上杉の「義」が激突!
川中島古戦場と2つのエピソード【目次】
1.川中島古戦場は、5回にわたる合戦の中の「第4戦目の舞台」
1.川中島古戦場は、5回にわたる合戦の中の「第4戦目の舞台」
日本人なら、北信濃の覇権を巡り、武田の「野望」と上杉の「義」が激突した「川中島の合戦」を知らない人はいないと思うが、実はこの戦いは5度にわたって繰り返されている。
中でもドラマチックな激戦となった「第4戦目」の舞台が、長野インターからほど近いところにある八幡原一帯で、現在は史跡公園として整備されている。
敷地の一画にある松林の中には、武田軍の本陣が置かれた八幡社が静かにたたずみ、その境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像や、三太刀七太刀之跡の碑、首塚などが残されている。
ちなみに近年の大河ドラマでは、2007年に「風林火山」で武田信玄と山本勘助、2009年の「天地人」では上杉謙信と直江兼続が取り上げられ、異なる両者の視線からこの戦いを描いていた。
当時は観光名所として毎週のようにバスツアーがやってきたようだが、今でも休日には地元のボランティアガイドが、無料で詳しい話を聞かせてくれる。
2.エピソード① きつつき戦法
川中島の合戦の「第4ラウンド」には、武田の軍師・山本勘助と上杉謙信の「頭脳戦」が潜んでいる。
それが有名な「きつつき戦法」で、武田軍が仕掛けた巧妙なトリックを、直前に謙信が見抜き、その「裏の裏」をかく奇策に打って出たことにより、数の劣勢を跳ね返して一気に武田の本陣に迫った。
きつつき戦法とは
精鋭部隊を敵陣の中核や留守城などに迂回進軍させ、相手がそれに気を取られている隙に、本軍で敵の本陣を一気に攻略する作戦。
きつつきがエサを捕る時に、木の反対側をつついて虫を驚かせ、穴から出てきたところを捕らえるという習性にヒントを得た、武田の軍師・山本勘助が川中島の合戦時に進言したとされる。
謙信にこの作戦を見破られ、確かに武田勢は大苦戦となった。
しかし、別働隊が上杉軍の背後に回った頃から形勢は逆転し、結局は痛み分けに終わっている。
ただ、戦術を見破られた山本勘助は、この戦で敵陣に突撃して戦死する。
最終的な川中島の合戦の結果は、ボクシングで云う「三者三様のドロー」のようだ。そもそも領地拡大を目指す武田と、その野望を「義」の精神で打ち破らんとする上杉では、戦の目的が異なるので、結果を論じるには噛み合わないところがある。
事実、その後の北信濃は、思惑通り武田が支配を強めることになっていく…
筆者は川中島の古戦場を取材した後、ちょっと苦労したが、なんとか山本勘助の墓前に辿りつき、冥福を祈ってきた。
この山本勘助のお墓は、「勘助宮」とは別のところにあるので間違えないようにしよう。
3.エピソード② 塩の道
これまで筆者は、上越市の春日山に残された上杉謙信の居城跡、後年に封印された米沢城、また武田側では甲府の躑躅ヶ崎館、そしてこの時代に海津城と呼ばれた松代城、さらに信濃攻略の起点となった諏訪の町にも足を運んできた。
大河ドラマを含めて、これまで幾度となく小説や映画、ドラマに取り上げられてきたこの両氏には、まだまだ数多くのエピソードが残されており、深く知るほど面白みは増す。
その典型的なエピソードが、「敵に塩を送る」の語源となった「謙信の義塩」だろう。その内容は長くなりすぎるので以下のページにまとめている。
甲信越といえば北アルプスの雄大な自然が真っ先に思い浮かぶが、実はこうした歴史上の見どころにも恵まれており、その両方が一度に楽しめる。
加えて、名湯も多く、蕎麦は際立ってうまい。
そう考えると京都や大阪よりもはるかに面白いし、長く滞在しても退屈しない。北海道には敵わないが、本州ではやはりここが一番だ。