この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
竣工から半世紀を経て、今なお健在。黒部ダムの誕生秘話から現在までを詳しくレポート。
昭和の歴史的建造物、「黒部ダム」の本質に迫る!【目次】
1.黒部ダムはSDGsの元祖
黒部ダムがこの秘境で操業を開始したのは1963年。
今から半世紀以上も前のことだが、雪害防止と自然景観維持の観点から、発電所と変電所を、地下150メートルの場所に設けているのをご存知だろうか。
エコロジーどころか、水俣や四日市で公害が社会問題になる以前に、その発想が建設計画に盛り込まれて実現したというのは、驚くほど先進的な話だ。
信州の自然は人を謙虚にし、信仰や慈愛だけにとどまらず、イノベーションをも呼び起こしてきた。
これまでに黒部ダムを訪れた観光客は延べ4千万人以上。
毎年100万人を超える人々がこの光景を目にしてきたが、多くは「なぜ黒部ダムの放水が霧状であるか」を知らないと思う。
スプレー放水するのは、水圧で黒部川源流の川底が、滝つぼのように深くえぐられるのを防止するためだ。
ちなみに、2006年に黒部湖の土砂堆積率と、ダム本体の耐久性とあわせて試算した結果、この先約250年間はダムとして機能するとの答えが出ている。
これぞまさにSDGs。「Sustainable Development Goals(持続可能な開発)」と云わずして何という。
そういった観点から「くろよん」を改めて見直すと、「ダムカレー」とは一味違う大人の見どころが、次々に浮かびあがってくる(笑)。
2.黒部ダム建設物語
さて。次はなぜ黒部ダムの建設が、今なお「世紀の大事業」と呼ばれているのかについて詳しく話そう。
この知識があるのとないのでは、現地に行った時に大きな違いになる。
まず、黒部ダムの総工費は当時の費用で513億円、関西電力の資本金の実に5倍に相当し、単純に現在の資本金に置き換えると、約2兆5千億円もの巨額になる。
また動員された作業関係者の数は、延べ一千万人以上にのぼる。
2-1.くろよん建設の背景
当時の日本は急速な経済復興に電力供給が追いつかず、特に関西は深刻な電力不足に喘いでいた。
そこで関西電力は豊富な水量と大きな落差を持ちながら、その厳しい自然環境の前に開発を躊躇してきた、黒部川上流部に「くろよん」の建設を決意する。
1956年10月、いよいよ大町トンネルの掘削が始まる。
だが翌年5月に「破砕帯」にぶつかり、大量に流出する地下水に阻まれ工事は難航を極めた。
足踏み状態は7ヶ月近く続いたが、最後は総力戦で突破に成功、ついに資材と重機が現場に届く。
本格的なダム建設工事が始まったのはそれからだ。
そして着工から7年を経た1963年、ようやく「くろよん」は完成を迎えた。
実はその一部始終が記された一冊の本が、筆者の手元にある。
2-2.「黒部の太陽」
「黒部の太陽」は、毎日新聞編集委員であった木本正次が、1964年の毎日新聞に連載した、大町ルートの破砕帯との苦闘を描いた小説で、同年に書籍化され、後に映画とドラマの原作となった。
その影には、黒部第三発電所建設工事を描いた吉村昭の「高熱隧道」がある。
実は「くろよん」の建設では、この時の経験が生かされ、工事による死傷者を大幅に抑えることに成功しているのが、それは本でなくても今はDVDで観ることができる。
2-3.殉職者慰霊碑
とはいえ、くろよんの建設工事でも171名の尊い命が犠牲になった。
その慰霊碑は「六体の人物像」と呼ばれ、「尊きみはしらに捧ぐ」という言葉とともに、今も黒部ダムを見つめている。
3.黒部ダムの必見ポイント
上の話を踏まえて、最後に現地の「必見ポイント」を紹介しよう。
3-1.放水シーン
こういう構図が撮れるのは、マップ5の「放水観覧ステージ」だ。ダム湖を入れた黒部ダムの全景が撮れる場所はここしかない。
ただし放水される期間は、6月26日~10月15日。
黒部ダムの放水は、発電に関係しない観光放水のため、グリーンシーズンにしか行われない。写真は「雪の大谷」の時期に訪ねた時の様子だが、ゴールデンウィークはまだ黒部湖が凍ったままだ。
3-2.くろよん記念室
レストハウスの3階にあり、写真やパネルの他、記録映画「くろよん物語」を
常時上映している。また難工事の様子を再現した等身大のジオラマも展示。
3-3.破砕帯の湧き水
建設工事で最大の障害となった「破砕帯」の湧水は、今も枯れてはいないが、制御されて訪れる観光客の喉を潤している。
トロリーバス乗り場からダムの堰堤に出たすぐ脇にあるので、知っていないとまず気づかないと思う。
3-4.「ワダチ」モニュメント
建設現場を奔走した工員と、24トンのダンプトラックやショベルカーなどの走行軌跡を、コンクリートで型取りしたパネルで展示。隣には当時の貴重な写真があわせて展示されている。
3-5.コンクリートパケット
マップ4の外階段の途中の休憩スペースに、建設工事で実際に使われたコンクリートバケットが設置されている。
破砕帯の突破で失った時間を取り戻すため、これで打ち込み場まで1日960回も運搬した日があったという。
4.アルペンルートへのいざない
さて。濃厚なる筆者の黒部ダムガイドは、いかがだっただろうか…
だが、話はこれで終わりじゃない。
「立山黒部アルペンルート」における黒部ダムは、コースの中の一部に過ぎない。
そう、貴方はまだ「本編」の扉を開けてはいないのだ。