この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

ユネスコが評価した「日光山内」の魅力は、寺社仏閣だけではない。
まずは世界文化遺産の話から始めよう。
世界遺産「日光山内」
「日光の社寺」として世界遺産に登録されているのは、もともと「日光山内」と呼ばれていた、「日光東照宮」「日光二荒山神社」「日光山輪王寺」の3つ。
「日光山内」は日光市街と大谷川で隔てられており、門前町から日光橋を渡ると二社一寺が建つ「聖域」になる。なお、写真の神橋(しんきょう)は歩行者専用でクルマは渡れない。
日光東照宮
江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る、日本全国の東照宮の総本社的存在。


日光二荒山神社
伊勢神宮に次ぐ広さを有する、日光山岳信仰の神域。現在の社は、1619 年に2 代将軍秀忠の寄進により立て替えられた、日光山内最古の建築物だ。
日光山輪王寺
日光を開山した勝道上人により、8 世紀末に創建された四本竜寺を起源とし、比叡山延暦寺、東北比叡寛永寺と並ぶ天台宗三山のひとつに数えられている。
さらに敷地には、三代将軍「家光」の廟所「大猷院」が建つ。
さて。
たしかに「日光山内」の建造物や彫刻類には、江戸時代の粋を集めた精巧な技術が散りばめられ、時代を超えて今も見る人に感動を与え続けている。
だがユネスコはそれに加えて、社殿が自然と一体となり、この地に「日本を代表する文化的景観」を残してきたことにも高い評価を与えている。
すなわち「日光山内」を観たり撮ったりする時は、「ズーム(望遠)」だけではなく、「パンフォーカス(広角)」にも気を配るといい。
興味深い日光の歴史
元々は山岳信仰の聖地
日光山を開いたことで知られる勝道上人は、奈良時代から平安時代の初期にかけて活躍した僧侶。
ここで云う日光山は、標高二千メートルを超える男体山・女峰山・太郎山の総称だが、上人は男体山の麓に四本竜寺(現在の輪王寺の一部)を構え、16年の歳月を経てようやくその山頂を極めた。
その後、中腹に神宮寺(後の中禅寺)、山頂に二荒山神社奥宮が建立され、日光は戦国時代まで山岳信仰の拠点となる。
徳川家康の巡礼地を経て、世界文化遺産へ
鎌倉幕府により関東に政治の拠点が移ると、日光山は武家や豪族からも信仰の対象となり、徐々に政治との係わりを持つようになる。
それに拍車をかけたのが江戸幕府による東照宮の造営だ。家康の霊廟を祀ったことで日光山は幕府直轄地となり、大きな発展を遂げた。