この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
午前中に奥入瀬渓流を見た後は、八甲田山へ。
このページと連動する「車中泊で行く奥入瀬渓流 紅葉・新緑撮影ガイド」は、奥入瀬渓流を午前中に歩く設定にしているが、「石ヶ戸」から「子ノ口 」までの約9キロは、ゆっくり歩いて3時間、写真を撮りながらでも4時間あれば十分足りる。
そこで午後からは、名湯「酸ヶ湯温泉」が待つ八甲田山へ出かけよう。
八甲田山
日本百名山に名を連ねる八甲田山は、大雪山と同じく単独峰が存在しない。
標高1584メートルの大岳を筆頭に、前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、硫黄岳、石倉岳、高田大岳の8つの岳が、甲のように見えることからその名が付いた。
城ヶ倉大橋
「城ヶ倉大橋」は八甲田山の麓に架かる、全長360メートル・高さ122メートルの日本最長を誇る上路式アーチ橋。
橋の手前にパーキングがあるので、クルマを停めて橋の上から圧巻の景色を眺めることができる。彼方にそびえているのは、標高1,625 メートルを誇る青森県の最高峰「岩木山」だ。
雪中行軍避難者銅像
明治35年の雪中行軍遭難事件を後世に伝えているのが「雪中行軍避難者銅像」だ。この像は、捜索隊の目印になるよう、雪の中に仮死状態で立つ後藤房之助伍長の姿を現したものとされている。
「雪中行軍避難記念像」が正式名のようだが、筆者はこういう像に「記念」という表現を使うことに抵抗感を覚える。
我々世代には、新田次郎の山岳小説「八甲田山死の彷徨」を原作に、高倉健・緒形拳・北大路欣也らの錚々たる俳優が主演した映画、「八甲田山」を思い出す人が多いのではないだろうか。
「八甲田山死の彷徨」の概要
※ウィキペディアより転用
日露戦争直前の1902年(明治35年)に、ロシアとの戦争に備えた寒冷地における戦闘の予行演習として、また陸奥湾沿いの青森から弘前への補給路をロシアの艦砲射撃によって破壊された場合を想定して、日本陸軍が八甲田山で行った雪中行軍の演習中に、参加部隊が記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした山岳小説。
演習当日には、北海道で史上最低気温が記録されるなど、例年の冬とは比べ物にならない寒さだったといわれている。
酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)
「酸ヶ湯温泉」は、八甲田山にある温泉宿の代名詞的存在だ。
蔦温泉(つたおんせん)
実は酸ヶ湯温泉よりも遥かに奥入瀬渓流に近いところに、「千年の秘湯」と呼ばれる一軒宿の「蔦温泉旅館」がある。
名前は初めて聞くかもしれないが、この温泉宿を舞台にしたフォークの名曲を知らない中高年は、まずいない。
十和田湖
山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ
これは紀行文作家の「大町桂月」が十和田湖の美しさを評した有名な句だ。
十和田湖は青森県十和田市と秋田県鹿角郡小坂町にまたがる湖で、広さは国内12番目だが、深さでは田沢湖、支笏湖に次いで第3位にランキングされる。
最大深度は327メートル、それが神秘を感じさせる青さの源になっている。
なお写真は十和田湖随一の呼び声が高い、標高631メートルから見下ろす発荷峠第一展望休憩所から撮影している。
さて。十和田湖畔を歩くなら、乙女の像と十和田神社のある休屋(やすみや)エリアがお勧めだ。
早朝であれば、「とちの茶屋」の前に車を置いて散策することができる。
十和田湖に突き出た中山半島の湖畔にひっそりと立つ「乙女の像」は、高村光太郎の遺作だ。
坂上田村麻呂が創建したと伝わる「十和田神社」。江戸時代には恐山と並ぶ北東北の霊場として信仰を集めたという。