この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

北条氏が君臨した当時の小田原城は、難攻不落と呼ばれた「総構」の要塞だった
小田原城【目次】
1.小田原城の概要と歴史

出典:まちあるきの考古学
南は相模湾、西は箱根、さらにその山を隔てて駿河国(静岡県)と接している小田原は、東国と西国を結ぶ交通の要衝に位置しており、室町時代中期には東海道の通行権益を得るべく、既に関所が設けられていたという。
その頃、小田原を支配していたのは大森氏だった。
室町幕府に翳りが見え始めた1495年(明応4年)、北条氏の祖となる伊勢宗瑞(いせ そうずい)<後の北条早雲>は、伊豆から相模に進出し、その「うまみ」を持つ小田原を大森氏から奪取して新たな領主となる。
ただ、宗瑞は相模進出後も駿河国韮山城(静岡県伊豆の国市)に在城しており、小田原城を本城としたのは、宗瑞の後を継いだ2代目の氏綱だった。
氏綱は名字を「伊勢」から「北条」に改称し、支城制を整えていくなど、後の北条家代々に続く支配体制を築き上げ、それに合わせて小田原城の整備、拡張を推し進めた。
なお鎌倉幕府ゆかりの北条氏と区別するため、小田原の方は「後北条」と呼ばれることもある。
氏綱は海と山を天然の要害とする小田原城を盾に、領国を武蔵(東京都・埼玉県)、駿河、下総(千葉県の一部)にまで拡大し、東国の盟主としての地位を確立した。
1-1.五代百年の歴史を誇る、戦国大名
次にバトンを受け取った三代目の氏康は、大規模な検地とともに税制改正を行い、領国の支配体制をさらに盤石のものとする。その結果、勢力範囲は上野(群馬県)にまで及んでいった。
だが台頭し続ける北条氏を、まわりも放ってはおかない。
四代目の氏政が家督を次ぐと、1561年(永禄4年)に上杉謙信、1569年(永禄12年)には武田信玄が小田原城下まで攻め寄るが、氏康は2度とも籠城作戦をとって退けた。
だが、そこから天下の情勢は大きく変わる。
武田信玄、織田信長が立て続けにこの世を去り、豊臣秀吉による四国・九州統一が終わると、いよいよその矛先が関東に向けられた。
ここから先は、大河ドラマで何度も繰り返し取り上げられてきた話なので、もうご存知の方も多いだろう。最近では「真田丸」でも描かれている。
1-2.小田原合戦(小田原征伐)
小田原城に広大な「総構(そうがまえ)」が作られるのは、秀吉との戦が避けられなくなった1589年(天正17年)からのこと。
現在の小田原市街地の大部分が入る広さを囲って、空堀と土塁を築き、小田原は城郭都市ともいえる姿に様変わりしていく。
この時氏政は既に隠居し、5代目となる氏直が当主にはなっていたが、実権は氏政が握ったままだった。
秀吉が小田原攻めを決意した直接の理由は、北条氏政が秀吉の仲裁による真田昌幸との講和条件を、はなから無視して守らなかったことにあるとされている。
それが「小田原征伐」と呼ばれる所以だが、それ以外にも秀吉の依頼を受けた家康の説得にも関わらず、上洛の要請を撥ねつけるなど、元々秀吉の配下に座ることを良しとしなかった氏政だけに、いずれにしてもこの戦は回避することができなかったと思われる。
「小田原合戦」ではその「総構」が功を奏し、3ヶ月もの籠城を続けたが、最後は秀吉の「石垣山一夜城」の築城により、ほぼ戦わずして降伏。氏政は切腹して果て、氏直は高野山へ追放された翌年に亡くなった。

その後、小田原城と領地は徳川家康に与えられるが、江戸時代には幕府の直轄地を経て、明治3年に廃城となった。
2.小田原城の見どころ

出典:小田原城
明治3年に廃城となった小田原城は、ほとんどの建物が解体され、残っていた石垣も1923年(大正12年)の関東大震災により、ことごとく崩れ落ちてしまったという。
その後「城址公園」として整備された小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が国の史跡に指定されている。
建物では1960年(昭和35年)に天守閣が復元され、次いで1971年(昭和46年)に常盤木門(ときわぎもん)、1997年(平成9年)に銅門、そして2009年(平成21年)には馬出門が復元されている。
1960年に再建された天守は、2016年5月に大改修を終え、現在は美しさが蘇っている。改修に際し、外装だけでなく天守閣内部の展示物、展示室も一新されており、内部は歴史的資料を集めた博物館のようになっている。
筆者が訪れた2016年4月には、小田原と北条氏に関する展示が上の「小田原城歴史見聞館」で観られたのだが、現在はそれらのコンテンツが天守に移され、「小田原城歴史見聞館」は、2019年4月に「NINJA館」としてリニューアルオープンしている。
ちなみに「NINJA館」は、戦国時代の北条氏を陰で支えた風魔忍者をモチーフに据えた、体験・体感ができる、どちらかといえば若い人向けの展示になっているようだ。
小田原城 公式サイト
☎0465-22-3818
大人:510円
9時~17時(入場は16時30分まで)・原則無休(ただし、12月第2水曜及び
12月31日〜1月1日を除く)
さて。日本には桜で名高い名城がたくさんあるが、小田原城もそのひとつだ。
城址公園には全体で300本を数えるソメイヨシノが植えられており、お堀や本丸などで華麗な花を咲かせている。
開花時にはさくら祭りも開催され、ライトアップも行われるが、お城見学を目当てに行くなら、むしろその時期は避けたほうが良さそうだ。
3.駐車場について
困ったことに、小田原城址公園には一般客用の駐車場がなく、周辺の有料駐車場を利用することになるのだが、このマップの通り数が少ない。
そのため、さくら祭りなどのイベント時は、駅前の駐車場を狙ったほうが停められる確率は高そうだ。
また周辺の駐車場には、ご覧の通りハイルーフ車が入庫できないところもある。
中には「入庫できても出られない」という「キャンピングカーあるある」の駐車場も(笑)。観光地では、入庫の前に出口も確認したほうがいい。
4.小田原城のアクセスマップ
5.小田原城周辺の車中泊事情
小田原の近くには道の駅がなく、小田原城の近くで車中泊がしたい場合は、4キロほど離れた石垣山城のそばに無料の「一夜城駐車場」があるにはある。

その他では、6キロほど離れた箱根湯本の国道1号沿いに、やはり無料の「函嶺洞門駐車場 」がある。
こちらは夜もトイレは使えるようだが、トイレ側のキャパは10台ほどなので、運が悪いと満車で停められないこともありそうだ。