この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
日本最古級の神宮と神社に共通しているのは「融合」。
諏訪大社のことがよくわかる話【目次】
諏訪大社を、世間一般論的に超ダイジェストでご紹介。
諏訪大社を、世間一般論的に超ダイジェストでまとめると、以下のようになる。
「2社4宮」で構成されている諏訪大社は、日本最古級の神社のひとつで、全国に1万あまりの分社をもつ「諏訪信仰」の総本社。
諏訪湖をはさんで南に建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る上社、北にその后の八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祀る下社が、向かいあうように建っている。
上社には本宮(諏訪市)と前宮(茅野市)があり、下社には春宮と秋宮(下諏訪町)がある。
行事では、7年に1度行われる「御柱祭(おんばしらさい)」が有名。
いっぽう、以下はオフィシャルサイトに書かれている紹介文の引用だ。
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。
諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。
古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。
それよりも…
冒頭の説明で「なんか分かったような・分からぬような」と感じた人は、ここから続く「諏訪大社を理解するために知っておきたいこと」に寄り道して見ていただきたい。
そこには「日本最古級の神社」に共通する、この国の歴史的真実を記している。
諏訪大社を理解するために、知っておきたいこと
古代の日本には、大和政権以前から各地を治める部族が存在した。
ご承知の方も多いと思うが、現在の天皇家の先祖にあたるのは、俗に「天孫族」と呼ばれるアマテラスを首長とした部族で、後に「大和政権(大和朝廷)」を樹立し、今日に至っている。
では「天孫族」は、誰も住んでいない原野のような日本を切り開いて領土を拡大していったのかというと、そうではない。
「天孫族」が大陸から日本に来た時には、既に各地にはその地を治める有力な氏族が存在していて、彼らと戦ったり講和しながら「大和政権(大和朝廷)」へと進んでいったとされている。
「記紀」は大和朝廷が編纂した歴史書
現存する我が国最古の歴史書である「古事記」と「日本書紀」は、奈良時代の8世紀初頭に、ほぼ日本を掌握した「大和政権(大和朝廷)」のもとで編纂されている。
後世に書かれたものも含めて、歴史書というのは必ずしも真実が記されているわけではなく、時の支配者に都合よく書かれている。
諏訪信仰の真実
大和朝廷の勢力が及ぶ以前から、諏訪地方には「ミシャグジ信仰」と呼ばれる自然信仰が存在していた。
山岳信仰で知られる富士山や立山だけでなく、海なら九州の宗像や出雲、変わりどころでは京都の伏見もそうだが、古代の日本にはたくさんの地域固有の信仰があったことが確認されている。
諏訪の場合は、その「ミシャグジ信仰」に「古事記」に記された建御名方命(たけみなかたのみこと)信仰と、大和朝廷の思惑で建設された下社の信仰が幾重にも重なり、混ざり合って今日に至っている。
とはいえ、信仰に断層があるため、連続性に「矛盾」が出るのは当たり前で、それが「違和感」をもたらす要因になっているわけだ。
もちろんそのことに早くから気がついている人はたくさんいて、その「矛盾」を紐解く研究も進んでいる。
由緒ある神社を参拝する際に大事なことは、日本の神社の信仰は「そういう歴史があるもの」と心得ておくことだ。
そうすれば「これは真実、これは後付け、これは誇大広告」というのが、あらかさまに見えてくる。
時代性や正当性を調べもせず、「やれどこがパワースポットだの、ご利益がどうのこうの」と囃し立てる雑誌やウェブサイトも、いい加減せっそうがないと思うのが(笑)、「大のおとな」が若者に混じってそれに振り回されているのは、いくら慰安旅行とは云え、傍からは滑稽に見えて仕方がない。