ここでは「クルマ旅専門家」・稲垣朝則が、20年以上かけて味わってきた全国各地の老舗・行列店のソウルフード&ドリンクの「食レポ」を紹介しています。

「水沢うどん」は、香川県の讃岐うどん、秋田県の稲庭うどんと並ぶ、日本三大うどんのひとつ
伊香保温泉のお勧めグルメは「水沢うどん」【目次】
水沢うどんとは…
水沢うどんは、伊香保温泉からほど近い水澤寺で、約400年前に観音様の参拝客に振る舞われた、手打ちうどんが起源と云われている。
上州産の小麦と、水沢山から湧き出た名水から生まれる本場の水沢うどんは、総じて麺は細めで透き通るほど白く、ツルツルしていて喉越しがいい。
そのため冷たいざるうどんで提供される場合が多いが、つけ汁は醤油だれや胡麻だれなど、店によって異なるようだ。
群馬や関東一帯では、パック詰めの冷蔵生麺がスーパーでも手に入るので、それほど珍しいものではないようだが、伊香保温泉に行くなら、ぜひその発祥の地に足を運んで味わいたい。
水澤寺(水澤観音)
せっかくなので、水沢うどん誕生のバックボーンについても触れておこう。
水沢うどんを育んだ水澤寺は、関東に33ヶ所ある観音霊場「坂東三十三観音」の16番目の札所になる。
観音信仰
まず誰もが耳にしたことのある「かんのんさま」こと「観音菩薩(かんのんぼさつ」は、人々の苦しみを除いたり、願いごとを聞いたりしてくれる慈悲深い「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」の略称だ。
ちなみに菩薩は、王子だった頃の釈迦(ブッダ)が、如来になるための修行中の姿をモデルにしたものと云われている。
つまり若い姿の仏像というのが、大きな特徴だ。
さらに「観音菩薩」は、あらゆる人を救い、あらゆる願いをかなえるために、老人や子ども、兵士、僧侶、はたまた鬼や美しい天女など、臨機応変に33 種類の姿(三十三身)に変身すると云う。
「三十三観音」や「三十三間堂」などの「三十三」という数字は、元を辿るとこの「三十三身」に由来している。
坂東三十三観音の歴史
源頼朝によって発願され、頼朝の次男で鎌倉幕府第3代征夷大将軍となった源実朝が、西国の霊場を模範に札所を制定したと伝えられている。
その背景にあるのは「源平の戦い」で、平家の滅亡後、敵味方を問わない供養や平和への祈願が盛んになり、源頼朝の篤い観音信仰と、多くの武者が西国で見聞してきた「西国三十三観音霊場」への想いなどが結びつき、鎌倉時代初期に「坂東三十三観音霊場」が開設された。
もっとも…
「坂東三十三観音霊場」めぐりが盛んになるのは、江戸時代になってからのこと。約400年前に「水沢うどん」が振る舞われた時期と符合する。
当時の人々の気持ちは、つい先日まで有効なワクチンも薬もなかった、コロナ禍の時期を思い出せば少しは分かる。
天候不順・災害・疫病など何かあれば、「神様・仏様」に頼るしかなかった時代だ。
水澤寺(水澤観音)
さて。
水澤寺は天台宗の寺院で、本尊は木造の「千手観音菩薩像」で平安時代末期に造られたものという。
寺伝では高句麗僧の恵灌(えかん)が、奈良時代の推古朝に開山したと伝えられているが詳細は不明。
現在の観音堂は、1787年(天明7年)に再建されたものになる。
境内には、観音堂のほかに六角二重塔、円空作の阿弥陀如来坐像、天明7年の仁王門、樹齢約700年に達する観音杉などがある。
行列店「大澤屋」食レポ
伊香保温泉から約4キロほどのところにある水澤寺周辺には、「水沢うどん街道」と呼ばれるエリアがあり、「水沢うどん商標登録店組合」に加盟する13の店が道の両側に軒を連ねている。
今回はその中で高い人気を誇る「大澤屋」の暖簾をくぐってきた。
「水沢うどん街道」には「大澤屋第一」と「大澤屋第二」があるのだが、この日は大澤屋第一は定休日だった。
注文したのは、ざるうどんに舞茸のてんぷらが2個ついたセットメニューの「楓」で税込み1375円。
カリッと揚がった舞茸の天ぷらは塩味がついており、そのままで十分おいしかった。
そのレベルは、できうるならば揚げ方を教わりたいと思うほど(笑)。
うどんについても、ツルツルさと喉ごし、ボリューム、そしてつゆの味は満足できるものだったが、唯一、コシの強さはそれほど感じなかった。
他のサイトではコシがあると書かれているが、普段から冷凍とはいえ、讃岐うどんを食べ慣れているせいかもしれない。
筆者は10年ほど前の2013年11月に、同じ「水沢うどん街道」にある「万葉亭」でも水沢うどんを食べているのだが、当時はコシを含めたうどんの出来栄えに感動を覚えたことを記憶している。
あの頃はまだ修行不足で、お口がさほど肥えていなかったのかな~(笑)。
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