【鎌倉殿の13人と連動】鶴岡八幡宮の絶対見落としたくないところ 2022年12月更新

鶴岡八幡宮神奈川県の史跡

【2022年12月更新】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する鶴岡八幡宮の見どころについての情報です。

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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
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鶴岡八幡宮で、「大河ドラマ・鎌倉殿の13人」を見ていた人が、絶対に見落としたくない5つの場所をご紹介

鶴岡八幡宮

「鶴岡八幡宮」の筆者の歴訪記録

※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。

2011.10.13
2021.05.10
2022.04.11
2022.11.24

※「鶴岡八幡宮」での現地調査は、2022年11月が直近になります。

【鎌倉殿の13人と連動】鶴岡八幡宮の見落としたくないところ

鶴岡八幡宮

※この記事はかなりの長編ですので、見たい場所の話からお読みになり、ブックマークしておき、何回かに分けてご覧いただくほうがいいかもしれません。全ての項目の最後には「目次に戻る」のリンクをご用意しています。

鶴岡八幡宮の由緒

1.若宮大路

2.舞殿

3.大石段と公暁の隠れ銀杏

4.白旗神社

番外編 鎌倉殿の13人「大河ドラマ館」

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鶴岡八幡宮の由緒

鶴岡八幡宮

源氏の氏神を祀る「鶴岡八幡宮」は、武家の古都・鎌倉のシンボルと呼ぶに相応しい存在で、1028年(長元元年)に勃発した「平忠常の乱」で活躍した、河内源氏2代目の「源頼義」が鎌倉の地を寄進された際に、東国支配の拠点とするべく、それまで氏神として信仰していた京都の「石清水八幡宮」を、由比郷鶴岡に「鶴岡若宮」として勧請し、創建したことに始まる。

これが源氏の家系図。「源頼義」は「源頼朝」の5代前のご先祖様だ。

鶴岡八幡宮

その後、源氏を再興した源頼朝が、1180年(治承4年)に現在の地に遷し、1191年(建久2)年に幕府の宗社として、新たな鎌倉の都づくりの中心に据えた。

鶴岡八幡宮

「鶴岡八幡宮」は、鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として、足利氏・後北条氏・豊臣氏・徳川氏らからの崇敬を受け続ける。

この本殿は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠によって修築造営され、さらに3代将軍・家光の時代に薬師堂、鐘楼、楼門などが建てられているが、現在の本殿は、1828年(文政11年)に11代将軍・徳川家斉が改修したものになる。

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1.若宮大路(段葛)

若宮大路

「日本の道百選」に数えられている「若宮大路」は、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に向かって、一直線に延びる約2キロの表参道。

平安京の朱雀大路になぞらえ、源頼朝が鎌倉の街づくりの第一歩として、また、妻・北条政子の安産を祈願して、頼朝自らが指揮をとり、御家人たちが土石を運んで築造したと伝えられている。

頼朝にとっては、その苦労が報われたかどうかは、後年になると分からなくなってしまうのだが(笑)、とりあえずおかげで嫡男の頼家が無事に誕生した。

段葛

その恩恵は頼朝のみならず、現代の鎌倉市民にもしっかりと受け継がれている。

おかげさまで今の「若宮大路」は、ご利益を受けて生まれた子どもたちの、まさしく「ホコ天」状態だ(苦笑)。

それにしても、ひとりくらいは気がついて、じいじに道を譲れっチューの。

段葛

さて。

赤い二の鳥居と三の鳥居の間に残る「段葛(だんかづら)」は、縁石を兼ねる葛石を置いた特殊な構造部分で、低湿地にあった「若宮大路」を特定の地位や高貴な人が歩くための通路であったと考えられている。

段葛

その「段葛」は2014年(平成26年)に改修工事が行われ、2016年(平成28年)3月に完成。

石積みはかさ上げされ、以前よりも高くなっている。

少し上でお見せした赤い鳥居の写真と見比べれば、その違いは一目瞭然だろう。

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2.舞殿

鶴岡八幡宮 舞殿

1181年(養和元年)に源頼朝が造営した、若宮の廻廊跡に建つ「舞殿」は、1191年(建久2年)の鎌倉大火後の1193年(建久4年)に新造された、唐破風の入母屋造りの建物で、「下拝殿」の異名を持つ。

出典*NHK

1186年(文治2年)、静御前はこの場所で義経を慕いつつ、頼朝の前で見事な舞を披露した。

「鎌倉殿の13人」では、石橋静河が可憐にその役を演じていたので、覚えている人も多いのでは。

静御前は、義経が京の都で見初めた白拍子で、白拍子とは「今様」などを歌いながら、男装で舞う女性のこと。

「静御前」は奈良の吉野で義経と別れた後、近くで北条時政の手勢に捕まり、鎌倉に連行されるが、義経の子を身籠っているため、正体を明かそうとしなかった。

頼朝は「しばらく鎌倉に留め置け。生まれてきた子が男子なら、由比ヶ浜に沈めよ。義経の子を生かしておくわけにはいかぬ」と義時に命じた。

そのため義時から、「こうなったら、わざと下手に舞うしかない。静御前の名を騙った偽物のふりをするよう」と諭された静御前は、故意に扇子を落とすなどして、一度は下手に踊うのだが、途中から意を決して華麗に舞い始める…

しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな

その姿を見た政子が頼朝を説得し、生まれた男子は奪われたが、静御前は母とともに鎌倉から無事に解放された。

出典:NHK

ちなみに「今様」は、平安時代に新しく出てきた七五調四句の謡物で、その第一人者と呼ばれたのが、「鎌倉殿の13人」では西田敏行が怪演した「後白河上皇」だ。

さらに今様で特に有名なのは、その「後白河上皇」が編纂した「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に収められている、「遊びをせんとや生れけむ」。

そう、同じ大河ドラマ「平清盛」の主題歌のラストに使われた、あの一節だ。

以下の動画で、その懐かしいフレーズを聞くことができる。

「平清盛」も「鎌倉殿の13人」も平安時代末期を舞台にしたドラマだが、「鎌倉殿の13人」の「後白河上皇」は、さすがにおふざけが過ぎる感もあったが(笑)、老獪で策士っぽく、いっぽう「平清盛」で松田翔太が演じた「後白河上皇」は、いかにも「今様」が似合う、ちょっと不良がかったプリンスのようで好対照だった。

加えて「平清盛」では若々しい松山ケンイチが、いっぽう「鎌倉殿の13人」では、同じ”マツケン”でも親子ほど年が違う松平健が清盛役を演じているのも興味深い。

狙っているのか偶然なのか… NHKのやることには、何事にもウラがありそうに思えてくるから不思議だ(笑)。

浅茂川温泉浴場「静の里」

京丹後市の浅茂川温泉浴場「静の里」

ところで…

静御前は京丹後市の網野町生まれと伝えられており、奈良の吉野とともに、ゆかりの地が多く残る京阪神の人間には、比較的親しみのある女性だと思う。

静御前

ただ鎌倉を去った後の静御前の消息は諸説様々で、義経以上によくわからん(笑)。

ちなみにこの銅像は、島根県の津和野に近い山口県の「道の駅 願成就温泉」にあるのだが、長く旅を続けていると、思わぬ人の足跡まで見えてくる。

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3.大石段と、公暁の隠れ銀杏

鶴岡八幡宮

さて。

「鶴岡八幡宮」のシンボリックな朱塗りの楼門へと続くこの大石段は、鎌倉幕府最大と云ってもいい「大事件」の舞台としても知られている。

1219年(建保7年)1月27日、三代将軍・源実朝は右大臣拝賀式の直後に、源氏の血を分けた実の兄・頼家の次男、つまり甥にあたる公暁(こうぎょう)にここで襲われ、惨殺された。

事件に至るまでの経緯から書くと長くなるので、それは以下の記事でご覧いただくとして、ここではその事件に関連する幾つかのエピソードを紹介しよう。

エピソード1 公暁の隠れ銀杏

公暁の隠れ銀杏

実朝が公暁に鶴岡八幡宮の石段で暗殺されたのは史実だが、伝承では公暁はその時、石段の脇にある大きなイチョウの木の陰に身を潜めていたとされている。

そのことから「公暁の隠れ銀杏」として、イチョウの大木は親しまれてきたのだが、2010年にその樹は強風で倒され、現在は防腐処置をされたご覧のオブジェのような姿になっている。

公暁の隠れ銀杏

ただ、もともとあった場所に残しておいた根っこから新芽が芽吹き、2代目の「公暁の隠れ銀杏」として育ちつつある。

だが専門家が様々な角度から検証した結果、公暁の頃にはまだ樹齢は30年ほどしか経っておらず、身を隠せるほどの「大イチョウ」ではなかったという見解が今では主流のようだ。

そもそも鎌倉幕府の歴史書である「吾妻鏡」には、どこで事件が起こったのかという具体的なことは記されておらず、公暁が大イチョウの陰に隠れていたという話が見られる最古の文献は、1685年に徳川光圀こと、水戸の御老公様の命により編纂された「新編鎌倉志」だという。

つまり「公暁の隠れ銀杏」は、江戸時代に創作されたエピソードである可能性が高いようだ。

「鎌倉殿の13人」の中でもイチョウの木は登場しなかったし、鶴岡八幡宮の公式サイトに、「親」銀杏・「子」銀杏と表記されているのも、「公暁の隠れ銀杏」が創作であることを物語っているといえる。

エピソード2 北条義時の行動

出典*NHK

実朝とともに、朝廷から鎌倉に派遣されていた御家人の源仲章(なかあきら)が、公暁らの手によって殺されたのも史実だが、本来なら源仲章の代わりに、その場にいるはずだった、北条義時の行動が謎めいていることは否めない。

「吾妻鏡」によると、北条義時は拝賀の式の直前に「鶴岡八幡宮」上宮の楼門で、白い犬の姿を見て気分が悪くなり、太刀持ち役を源仲章に交代してもらい、公暁の難から逃れたとされているが、現代人でそれをまともに信じる人はいまい。

事実「愚管抄」には、実朝の命によって参列から外れ、中門にいたと記されているし、ドラマでもそうだった。

にもかかわらず、義時の行動に様々な憶測がつきまとっている理由は、実朝の暗殺事件が”あまりにもうまく行き過ぎた”ことにあると思う。

言い換えれば、ここに陰謀めいた裏話がないと、源氏の滅亡は不憫なだけのオチになる(笑)。

出典*NHK

脚本を担当した三谷幸喜は、公暁の乳母夫(めのと)を務めた有力御家人の三浦義村が黒幕との立場から、ストーリーを組み立てていた。

ここから先は史実かどうかはかわらないが、「鎌倉殿の13人」第44話・45話のあらすじになる。

三浦義村は、京都で修行を終えて鎌倉に戻った公暁に問い詰められ、腹をくくって父・頼家が亡くなった真相を明かし、公暁の怒りを煽って、実朝と義時を殺害させ、それが成功すると同時に挙兵して義時の屋敷を襲撃し、北条を滅ぼして執権の座につくことを画策する。

しかし義時が事前にそれを察知して難を逃れたため、義村は救いを求めて追手から逃れて来た公暁を、非情にも口封じのために葬り去る。

しかしそれだけだと、なぜ義時は知っていて実朝を助けなかったのか? という疑惑が残るため、さすがの三谷幸喜もここにはずいぶんアタマを捻ったようで、脚色のダシに、生田斗真が演じた「源仲章(なかあきら)」を使った。

出典*NHK

源仲章は実在人物で、実朝の教育係を務めるともに、実朝と後鳥羽上皇との連絡係として京都から鎌倉に来ていた。

実際に義時は仲章を二重スパイではないかと疑っていたようだが、ドラマのように頼家と一幡殺害の真相を暴き、義時を追い詰めようとしていたという話は出てこない。

むしろ武人というより学者的で、家臣を持っていない仲章に、義時が脅威を感じたかどうかのほうが疑問で、ドラマで描かれた、最後に太刀を義時から奪い取るようなやり取りは、脚色だろうと筆者は思う。

だが、こう話が展開されてくると、公暁の襲撃を知っていた義時が、太刀を何ら抵抗することなく仲章に渡した意図が、はっきりと浮かび上がる。

それにしても…

最終回を前にしたこの2話は、まさに怒涛の「伏線回収」で見応え十分。

筆者は3回ほど見直したが、飽きるどころか、見るたびに違う伏線回収に気がつき、改めて三谷幸喜の凄さに感服した(笑)。

エピソード3 戌神

「鎌倉殿の13人」でも登場した、薬師如来を守護する戌神(じゅつしん/十二神将の戌(いぬ)の神)が、白い犬に姿を変えて義時の前に現われる話は、「吾妻鏡」の創作ではないかと見られている。

「吾妻鏡」によると戌神は義時の夢の中に現れ、「今年の鶴岡八幡宮への参拝は何事もなく終わったが、来年の参拝のお供はしない方がいい」と伝えたというのだが、どこか釈然としない。

「鎌倉殿の13人」では、義時はこの戌神の前で、弟の五郎に公暁が実朝暗殺を計画していることを伝え、あえてそれを実行させた後に、その場で公暁を討ち取るつもりであることを打ち明ける。

その設定の真意はどこにあるのか…

これは筆者が勝手に想像する三谷幸喜の胸の内だが、

執権職にありながら、将軍・実朝の暗殺計画を知りつつ、それを阻止するどころか、あえて見過ごし、鎌倉を捨てて京都に幕府を移す腹積もりの実朝を亡き者とし、さらに最後の源氏の血を引く公暁までも始末するという”前代未聞の悪巧み”を、人として本当にやってしまっていいものなのか…

いくら頼朝とともに創り上げてきた鎌倉幕府を守るためとはいえ、それが許されるのかどうかを、自身の守護神に問いたい。

罪が罪を呼んでここまで来た義時といえ、もともとは心優しい北条家の次男坊だっただけに、その葛藤は相当なものであり、他人に相談できるものではなかっただろう。

舞台となった戌神が祀られていた大倉薬師堂は、現在は「覚園寺」の本堂として、鶴ケ岡八幡から2キロほど離れたところに残されている。

さて。

これで伏線回収は完璧!と思っていたのだが(笑)、実はこれもまた伏線であることが、「政子の大演説」で判明する。

出典:NHK

「吾妻鏡」に記された政子の大演説を、現代の言葉に訳すと以下のようになる。

皆、心を一つにして聞きなさい。これは私の最期の言葉です。

亡き将軍・頼朝様が朝敵であった平家を征伐し、関東を草創して以降、みなの地位も上がり、土地も増えた。

その恩は山よりも高く、海よりも深い。

その恩に報いる志が浅くありませんか。

そこに今、不忠の悪臣らの讒言によって、道義に反した綸旨(=後鳥羽上皇による追討の命令)が出されました。

名声が失われるのを恐れる者は、早く藤原秀康・三浦胤義を討ち取り、3代にわたる将軍の遺跡(=先人の残した領地)を守るべきです。

ただし、後鳥羽院に参りたい者は、今すぐ申し出なさい。

実は「鎌倉殿の13人」では、途中から演説の内容が、執権・北条義時のこれまでの行いに対する「最後の審判」になっている。

政子が「海より…」と言葉に詰まるところがターニングポイントだが、これは内容を知る人間にも「あれっ?」と思わせる、小憎たらしいまでの演出だった(笑)。

そして義時は報われ、団結力で朝廷軍を打ち破った鎌倉幕府は、その後武家政権を確固たるものにしていく。

最後に。

三谷幸喜は、伏線の底辺に「家族の絆」を置いていたようにも感じた。

血を分けた兄弟が信頼関係を築けずに滅んでいった源氏と、幾多の危機を迎えながらも、誰一人命を落とすことなく難局を乗り切った北条家。

それにしても、「鎌倉殿の13人」は本当におもしろいドラマだった。

三谷幸喜には少し休憩をしてもらって、またぜひ大河ドラマに戻ってきてほしいものだ。彼なら資料が乏しくてなかなか長編にできない「聖徳太子」も、なんとかカタチにしてくれそうな気がするね。

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4.白旗神社

鶴岡八幡宮

ねぇねぇ、岡村。「鶴岡八幡宮」に祀られている神様って誰?

もしかすると、このチコちゃんの問いに対し、岡村くんのみならず、多くの人が「源頼朝」と答えるかもしれないが、それは彼女の思うツボ…

間違いなく殺し文句の「ボーっと生きてんじゃねえよ!」が飛んでくる(笑)。

日光東照宮には徳川家康が祀られているのだから、無理もないようにも思うわけだが、よく考えてみれば「鶴岡八幡宮」は、冒頭で記したように、頼朝の祖先である源頼義が京都から勧請し、創建した宮様だ。

滅法思想を信じる信心深い鎌倉時代の人々だけに、いくら頼朝様だからといっても、祭神を選手交代させるわけにはいかなかったのだろう(笑)。

ということで正解は、「八幡神」と総称されている以下の3神になる。

応神天皇 (おうじんてんのう)
比売神 (ひめがみ)
神功皇后 (じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母

では、小栗くんが尊敬して止まない頼朝様は、ここには祀られていないの?

白旗神社

いやいや、そんなはずはなく、ちゃんと敷地の中から人々を見守っている。

鶴岡八幡宮の境内末社にあたる「白旗神社」は、1200年(正治2年)に朝廷から「白旗大明神」の神号を賜った源頼朝を祭神として、北条政子が創建したと伝えられている。

もとは石段の上の上宮の西側にあったようだが、1885年(明治18年)に源実朝を祀る柳営社と合祀され、現在地に遷された。

よって祭神は源頼朝と、先ほど記した石段で非業の死を遂げた次男の3代将軍・源実朝になっている。

でもなんだか、ちっちゃいよなぁ(笑)。

だが、実は鎌倉にはもうひとつ「白旗神社」が残されている。

源頼朝法華堂跡

「大蔵幕府跡」の西御門近くにあるこちらの「白旗神社」は、源頼朝が埋葬された「法華堂」が建っていた場所にあることから、「大蔵白旗神社」とも呼ばれている。

ししどの窟

「法華堂」は、頼朝の生前は「持仏堂」と呼ばれ、頼朝が厚く信仰し、大河ドラマで大きく取り上げられた「石橋山の戦い」の時に、髻(もとどり)の中に納めていた、あの小さな観音像が祀られていた。

「持仏堂」は頼朝の亡骸が埋葬されて以降、「法華堂」と呼ばれるようになり、命日には将軍を筆頭に多くの武将が参列して、法要が執りおこなわれてきた。

しかし明治に入ると、廃仏毀釈によって「法華堂」は破却され、1872年(明治5年)に、その跡に源頼朝を祭神とする現在の「白旗神社」が建立された。

北条義時法華堂跡

なお源頼朝の墓がある場所は、北条義時の墓とされる法華堂遺構と共に、「源頼朝墓・北条義時墓」として、国の史跡に指定されている。

鎌倉法華堂跡

またその義時法華堂遺構の隣には、毛利季光・大江広元・島津忠久・三浦泰村一族の供養墓もある。

それにしても…

幕末に同盟を結び、世間を驚かせた薩摩藩と長州藩の祖先が、ともに鎌倉幕府の御家人であったというのは驚きだ。

ついでに書くと、公暁を最後に討ち取った長尾定景は、なんとあの上杉謙信の先祖にあたる。

大蔵(大倉)幕府跡

いずれにしても「鎌倉殿の13人」を見ていた方には、鶴岡八幡宮の次に「大蔵幕府跡」の一帯へ、ぜひとも足を運んでみていただきたい。

もしかしたら、明らかに頼朝の存在が感じられるこっちのほうが、おもしろいと感じるかもしれない。

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番外編 鎌倉殿の13人「大河ドラマ館」

鎌倉殿の13人 ドラマ館

2022年に限って云うなら…

ここが鶴岡八幡宮で一番見落としたくないところの筆頭だと思う(笑)。

鎌倉殿の13人 大河ドラマ館

筆者は2010年に放送された「龍馬伝」以降、全ての作品の「大河ドラマ館」に足を運んできた。

中には衣装などの筆者にはどっちでもいい展示もあるが(笑)、登場人物と演者のプロフィールは本当によく分かる。

鎌倉殿の13人 大河ドラマ館

特に登場人物が多い「鎌倉殿の13人」は、その相関関係がこのようにまとめて見られるのは素晴らしかった。

鎌倉殿の13人 大河ドラマ館

あわせて毎回感心させられるのが、その歴史検証だ。

主人公が”どこで・いつ・何をしたのか”を、ここまで入念に調べ上げられるのは、潤沢な制作費を持つ大河ドラマならでは。

またそれによって新たに確認されたり、脚光を浴びることで案内板や石碑が設置された史跡も少なくはないはずだ。

鎌倉殿の13人 大河ドラマ館

だがイチオシは、ドラマ館でしか見ることができないメイキング映像だと思う。

大河ドラマの特集時に、たまにテレビで流れることもあるが、実は膨大な量の「番外編」が撮影されていて、それをドラマ館では時期を分けて公開している。

鎌倉殿の13人 ドラマ館

「鎌倉殿の13人」では、2022年2月に伊豆、2022年6月に鎌倉、そして2022年11月にも鎌倉でドラマ館に足を運び、そのメイキング映像を見てきたのだが、いずれも内容は異なっていた。

歴史を都合よく”いじくり回した”感のある「龍馬伝」以降、大河は「ホームドラマ」と揶揄されているが、演者がその脚本をどう受け止め、どういう想いをもって撮影に臨んでいたのか…

ドラマでありながら、歴史ドキュメンタリー的な要素を背負い、さらに過去に何度も俳優を変えながら描かれてきたシーンを、どう自分なりに表現するのか…

これこそが大河ドラマの「見どころ」であり、大役を担う俳優の力量と云っても過言ではあるまい。

そのプレッシャーに打ち勝った俳優を、リスペクトするのは当たり前。

筆者はそれをホームページや雑誌の原稿にも反映したいと思っているが、これもまた経験に投資を重ねないと難しい(笑)。

鎌倉殿の13人「大河ドラマ館」

開催期間
2022年3月1日(火)~2023年1月9日(月・祝)・無休
会場
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム
開館時間
9時30分~17時(最終入館16時30分)
※1月1日~1月9日 9時~17時30分(最終入館17時)
料金
大人1,000円(高校生以上)

なお入場料は1000円と高いが、大河ドラマ館入館時にもらえるパンフレットを提示すれば、鎌倉国宝館・鎌倉歴史文化交流館(平常展 各大人400円 )に各1回無料で入場できる特典がついている(2023年3月31日まで)。

最後に。

このとりとめもない長編記事を最後までご覧いただき、ありがとうございました。

※いったん目次に戻る

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