車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、車中泊で長野県の中信エリアを旅したい人に向けてまとめた、クルマ旅ならでは見どころや食べどころに、車中泊情報を加えた、オンリーワンの旅行情報サイトです。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
~ここから本編が始まります。~
「中信」は松本を中心に、北アルプスの麓に伸びる長野県の西部一帯

中信の概要
「中信」の範囲は、県外の人間からするとかなりイメージが違う。
上のマップのうち、黒部ダムに近い「大町市」から上は「北信」で、逆に「木祖村」から下は「南信」だと分かりやすいのだが、そうなると「松本」や「安曇野」がある残りの地域は、「西信」と呼んだほうがシックリくる。
にも関わらず、何ゆえ「中信」なのか?
そのおもしろい答えが、NHK長野放送局のサイトに記されていたので紹介しよう。
長野県の地理に詳しい信州大学経法学部の「武者忠彦教授」によると、
明治の初期まで「筑摩県」と「旧長野県」に分かれていた今の長野県は、明治9年に現在の形で統合され、県庁所在地が現在の長野市になった。

出典:まっぷる
統合で県庁所在地を失うことになった松本の人たちは、「位置的にも人口規模的にも自分たちこそが中心だ」という対抗意識から、かつての「筑摩県」だった領域を、「中信」と呼ぶようになったという。
ただ「中信」という呼び方と表記はなかなか定着せず、戦後のある時期までは「北信」と「南信」の2区分のほうがメジャーだったらしい。
「中信」が定着したのは、長野県の人口が急速に増え始めた1960年代以降のことで、「南信」の飯田や「東信」の上田もそれなりの都市規模になり、2区分よりも4区分の方が様々な意味で機能的だろうという思惑から、「中信」が住民の中に徐々に浸透して定着していった。
さて。
経済圏ではなく、観光地として「中信」を見た場合、長野県に険しい山のイメージを強く抱く人にとって、そこは長野県のひとつの地域ではなく、「中心」と捉えることができると思う。
乗鞍と上高地に通じる安曇野、長野オリンピックのアルペン競技会場となった白馬、さらには立山黒部アルペンルートの途中にある黒部ダムなど、大自然の圧倒的な景観が見られるのは、4つのエリアの中でここしかない。