車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、信州のご当地そばで有名な「高遠そば」と、その老舗の「ますや」に関する情報です。
「クルマ旅のプロ」がお届けする、車中泊グルメガイド
「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、25年以上かけて味わってきた、全国各地のソウルフードの、素材・レシピ・老舗・行列店等を紹介しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
「高遠そば」は、焼き味噌ベースの「からつゆ」に、辛味大根とネギを薬味に添える、高遠と会津のソウルフード

「ますや」DATA
高遠そば ますや
〒396-0213
長野県伊那市高遠町東高遠1071
☎0265-94-5123
11時~14時半(ラストオーダー)
不定休
駐車場10台
「ますや」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2015.04.18
2017.04.16
※「ますや」での現地調査は2017年4月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年7月に更新しています。
高遠そばとは…
「焼き味噌」を好みの量だけつゆに溶かし、辛みの強い大根とネギを一緒に食べる「高遠そば」は、桜で有名な高遠生まれの郷土食だが、その歴史は奥ゆかしい。
というのは、
この伝統食は元々地元の高遠でそう呼ばれてきたわけではなく、長年にわたり、福島県の会津で親しまれてきたものが、云ってみれば「里帰り」をしている。
「高遠そば」のルーツは、江戸時代初期の蕎麦がようやく「そば切り=麺」として食べられ始めた頃に遡る。
江戸から高遠に匿われていた、徳川二代将軍・秀忠の血を引く「保科正之」は、義兄で三代将軍となった「徳川家光」に請われ、3万3千石の高遠藩主から出羽を経て、23万石の初代会津藩主になるのだが、「正之」はこの「大抜擢」に見合った家来の数にするために、高遠の百姓まで連れて行ったといわれている。
それがもとで、高遠土着の「そば文化」が、そのまま会津にも伝わった。
写真は会津にある蕎麦屋「二丸屋武蔵亭」のメニューだが、400年近い年月が経った現代でも、この通り会津では「高遠そば」が食されている。
ちなみに高遠の人々がそのことを知ったのは、ライオンズクラブが1993年に会津を訪れた時だというからおもしろい。
つまり長野県の「高遠」で、「高遠そば」というメニューが登場するようになったのは、昭和の終わり頃からのようだ。
ただ「里帰り」してきたのは「高遠そば」という呼び方であって、高遠でも江戸時代から焼き味噌ベースの「からつゆ」に、辛味大根とネギを薬味に加えて、そば切りを食べる風習は守られ続けていた。
高遠そばの老舗「ますや」
天ぷらもかけそばもない「高遠そば ますや」は、「高遠そば」を主軸に、もりそばだけを提供しているこだわりの店だ。
「高遠そば ますや」では、三つの石臼で三種の粉を朝碾きしている。
写真左の「玄」は、歩留まり6割の細めの二八そば。真ん中の「抜き」は、粒が見えるほど粗くて、もっちりとした十割そば。そして右の「田舎」は、甘皮を加えた黒くて太い十割そばだ。
この三種のそばを、お客の入りに合わせて半量ずつ茹でるのが、「高遠そば ますや」のスタイルだという。
つゆは、焼味噌の香りと枯鯖節の甘味が効いた「からつゆ」がメインだが、加えて、枯本節と希少糖できりっと仕上げた「江戸風つゆ」と、三峰川の岩魚を焼干しにして12時間低温抽出した「オリジナルつゆ」の、三種類を常時用意しているそうだ。
ちなみに筆者が注文したのは、3種類のそばが一通り味わえる「高遠三昧」。
中でも印象に残っているのは、「からつゆ」に負けない蕎麦本来の味の濃さと、もっちりとした歯応えを併せ持った、粗挽き十割そばの「ぬき」だ。
筆者は、細切りでよく冷やされた信州そばの魅力は、喉越しの良さにあると思っているのだが、この力強い組み合わせは、まったくの別世界。改めて信州のそばの深みを教わった気がした。
「ますや」のアクセスマップ
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