車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家が、上高地との出会いのエピソードと、これまで積み重ねてきた上高地での主な軌跡を紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊旅行ガイド
この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。
~ここから本編が始まります。~
始まりは1997年の夏休みだった…
上高地の筆者の歴訪記録
※記録が残る2001年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2001.10.06
2002.10.26
2003.05.26
2005.12.18
2007.08.11
2007.10.06
2008.05.01
2009.02.19
2009.09.20
2011.02.12
2013.09.24
2016.02.12
2016.07.15
2018.04.27
「上高地」での現地調査は2018年4月が直近で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年8月に更新しています。
オートパッカーの原点は上高地
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最初は「奥飛騨温泉」キャンプ旅行の”ついで”
空前のオートキャンプ・ブームがピークを迎えようとしていた1997年の夏、我家は大激戦の予約を制し、人気の「奥飛騨温泉郷オートキャンプ場」に出かけた。
当時はコロナ禍と同じで、人気の高い高規格オートキャンプ場の予約を取るには、会社を休んでやらなければ無理! とまで云われた時代だった。
この頃の筆者は、本格的にオートキャンプを始めてちょうど3年、云ってみれば中級レベルの人だった。
振り返れば、キャンプに出かけても焚き火以外にアウトドアらしいことは何もできず、次々と道具を買い揃え、雑誌やカタログを真似たキャンピングサイトを演出することが、何よりも楽しく感じられた時期だ。
また各地の人気オートキャンプ場を泊まり歩くことが、キャンプをする「目的」だったようにも思う。
もっとも…
その経験がなければ、この世界を生業にしている現在の自分はいないわけで、それはけして無駄ではなかったと確信している。
ゆえに筆者は、再びブーム化している若者達のキャンピングスタイルに対して、否定どころか親近感を抱いている。
むしろそれくらいキャンプにのめり込める人間の方が、より早く本質に気づき、次のステップに足を踏み出すことができる。
上高地で受けた衝撃
「上高地」に来て何もしないというのは、実は何もできないということではないのだろうか…
初めて降り立った「上高地」には、美しき「梓川」と圧倒的な存在感を放つ「穂高連峰」、そして大きなリュックを背中に背負って行き交うアルピニストと、黒塗りの一眼レフを首からぶら下げたフォトグラファー達の姿があった。
「河童橋」を過ぎて小梨平に入ると、そこはもう明らかに別世界…
見るもの全てが新鮮に思え、強く心を揺さぶられたことを鮮明に覚えている。
そしてその想いは、当時の日記にこう記されていた。
「上高地」を自分の旅先リストに書き加えても、空しさに苛まれるだけだ。
登山・写真・スケッチ、あるいは研究… プロ・アマを問わず、 ここは何らかの明確な目的を持って訪ねてこそ、意味のある場所に違いない…
さらに運命的だったのが、ビジターセンターが主宰している無料のネイチャーツアーへの参加だった。
まだ何も知らない段階で、専門家から上高地の生き物や自然に関する丁寧なレクチャーを受けたことがきっかけで、わずか1時間ほどのうちに、「上高地」は筆者にとって「景色の美しい場所」から、「自然とアウトドアを学習するためのフィールド」へと変わっていった。
これまでの主な軌跡
初めての訪問からおよそ25年。
その間に筆者は10回以上この地を訪ねているが、その主だった軌跡を紹介したい。
2000年・ゴールデンウィーク
初めて車中泊で沢渡に泊まり、小梨平のコテージで一泊して徳沢まで足を伸ばした。
この時は300ミリのレンズをつけた一眼レフで、野鳥を一心不乱に追いかけた。
2003年・5月下旬
家内とともに小梨平にテントを張り、ニリンソウが咲き乱れる上高地を散策する。
まだ若かったので、スノーピークの重いテントを担いで行けた(笑)。
2003年・10月
新穂高ロープウェイで西穂山荘に上がり、高台から上高地を撮影。
「独標」を目指して歩いたが、途中であえなくギブアップ… 当時の筆者には、まさに「荷が重すぎた」。
2007年・夏
息子とともに小梨平にテントを張り、13時間近くを要して憧れの「涸沢」を往復。
今思えば、その距離を知らなかったからこそできたと思う(笑)。
2007年・秋
友人夫婦とともに徳沢にテントを張り、念願だった涸沢の紅葉を撮影。
さすがにこの頃には、多少は登山の知恵もついてきた。
2008年・ゴールデンウィーク
これまでの経験を、車中泊専門誌「カーネル」創刊号の巻頭特集(カラー16ページ)に掲載するため、撮影スタッフとともに上高地でロケを実施。
それが評価され、以降15年続く「車中泊で旅する」の連載が始まった。
2009年・秋
友人夫婦とともに徳沢にベーステントを張って、念願の「槍ヶ岳」にアタックする。
槍ヶ岳山荘に泊まって登頂を果たした。
2009年・2月
冬の上高地に初挑戦。
家内と沢渡のペンションに泊まり、スノーシューを借りて釜トンネルから河童橋まで、厳冬期の上高地を散策した。
2011年・2月
スノーシューを入手し、友人夫婦とともに今度は車中泊で釜トンネルから河童橋までスノートレッキングを敢行。
大雪と厳冬の車中泊は、スノートレッキング以上に過酷だった。
2013年・9月
「信州車中泊コースガイド」の編纂で、夏の上高地を再訪した。
やはり上高地は夏がラクでいい!(笑)。
2016年・2月
取材で3度目のスノートレッキング。
冬の上高地はこれで見納めになると思うが、さすがに3度で満足した(笑)。
2018年・4月
乗鞍~奥飛騨温泉郷取材の合間を縫い、開山祭に沸く「上高地」を半日ウォーキング。
そしてこの時期が最大の撮影チャンスとなるコマドリを、見事にゲット。
冒頭で記した通り、「上高地」との出会いは筆者のキャンピングスタイルの変遷と深く連動しており、それがオートパッカーの原点であるといっても過言ではない。
もしこの「上高地」での経験がなければ、北海道を含めた後の車中泊ライフを、これほど充実して過ごすことはできなかった。
5月の上高地で見た「緑のニリンソウ」は、1万本に1輪咲くかどうかの珍種とされ、幸運を呼ぶと云われている。
筆者にとって、確かにそれは本当だった。