車中泊旅行歴25年で、四季の上高地を知るクルマ旅専門家がまとめた、明神池にある嘉門次小屋の、歴史と名物の岩魚に関するお話です。
「クルマ旅のプロ」がお届けする、車中泊グルメガイド
「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、25年以上かけて味わってきた、全国各地のソウルフードの、素材・レシピ・老舗・行列店等を紹介しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
~ここから本編が始まります。~
「嘉門次小屋」の「岩魚の塩焼き」は、いかにも上高地らしい昼食が食べたい人にお勧め。
嘉門次小屋 DATA
嘉門次小屋
〒390-1516
長野県松本市安曇上高地
☎0263-95-2418
食堂営業
4月25日〜11月15日
8時30分〜14時
■ 岩魚の塩焼き 1200円
■ 岩魚の塩焼き定食 1800円
「嘉門次小屋」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2003.05.24
2008.05.06
2018.04.27
※「嘉門次小屋」での現地調査は2018年4月が直近で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2024年8月に更新しています。
嘉門次小屋と岩魚の塩焼き

嘉門次小屋の歴史
「上高地」がどういうところかを知ってきた人には、この話は興味深いはずだ。
「上高地」を深く理解するためには、国の登録有形文化財に登録されている「嘉門次(かもんじ)小屋」の最初の主である、「上條嘉門次」のことを知るといい。
「上条嘉門次」はもともと松本藩の御用林伐採のために「上高地」に入り、「梓川」を利用して木材を「松本」まで搬出する仕事をしていた人物だ。
しかし明治に入ると国有林の伐採が禁止になり、「嘉門次」は30歳を越えた頃に明神池畔に小屋を建てて狩猟を生活の中心に構え、夏はイワナ、冬にはカモシカやクマを獲って暮らしていた。
そのため役人は「上高地」の見回りや測量の際に、現地に住んで地形を熟知している彼に、その案内役を依頼していた。
明治中期になると、政府が招いた外国人が、スポーツとしての登山を楽しむために「上高地」を訪れるようになる。
45歳になっていた「嘉門次」は、1893年(明治26年)にイギリス人宣教師「ウォルター・ウェストン」の登山ガイドをつとめ、3年後に出版された「日本アルプスの登山と探検」の中で、”抜群の案内人”として紹介されたことで一躍有名になる。
以降、上高地の山岳ガイドが「嘉門次」の生業となった。
山小屋としての「嘉門次小屋」の営業は、1925年(大正14年)から。
息子の妻が始めたそうだが、本格的な営業は1966年(昭和40年)、現在の当主である「嘉門次」のひ孫の代からだという。
嘉門次小屋の「岩魚の塩焼き」
現在その「嘉門次小屋」では、上高地ウォーキングの憩いの場として、創業当時の面影を残した囲炉裏で焼く、「岩魚の塩焼き」が人気を呼んでいる。
ただし焼かれて出てくる岩魚は、残念ながら「養殖」(笑)。
連日飛ぶように売れていく何百匹?もの「岩魚」を、天然で揃えることなど不可能な話で、それは望むほうが無理だ。
写真は、岩魚の塩焼き定食1800円。
けして安いとは思わないが、それゆえに『歴史ある「嘉門次小屋」の囲炉裏で焼かれた「岩魚」を味わった』という付加価値が大事になる。
ちなみに渓流魚を立てて焼くのは、中まで均一に火を通すためだが、それには遠赤外線効果のある炭火が最適で、「嘉門次小屋」の囲炉裏焼きは”遠火の強火”で加熱できる理想的な焼き方になっている。
そもそも「上高地」ではどこもが観光地料金なわけで、ランチとして見れば「嘉門次小屋」が際立って高いわけではない。
ありふれたうどんや丼ものを選ぶよりは、ずっと上高地らしい食事といえる。
なお、渓流釣りをする人間にとっては常識だが、岩魚は元々それほど美味い魚ではない。個人的には鮎・ヤマメ(アマゴ)のほうがおいしく思う。
そういうことも知らずに、岩魚を未だに「幻の魚」だなんて書く記事を、信用しろというほうがどうかしている(笑)。