「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
俗に云う「川中島古戦場」は、武田信玄の「野望」と上杉謙信の「義」が激突した、5度にわたる戦いの中の『第4戦目の舞台』

川中島古戦場跡 DATA
川中島古戦場史跡公園
〒381-2212
長野市小島田町1384-1
入場無料
24時間見学可
駐車場
普通車145台 無料
3月から11月:8時30分~21時
12月から2月:8時30分~17時30分
※夜間閉鎖
「川中島古戦場跡」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2012.11.12
2015.04.10
2017.04.14
2021.06.28
※「川中島古戦場跡」での現地調査は2021年6月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2026年8月に更新しています。
川中島古戦場跡の概要と、アクセス&車中泊事情

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川中島古戦場跡のロケーション

まず「川中島古戦場跡」は、『現代のどのあたりにあたるのか』から話を始めよう。
なぜなら、場所が分からなくては旅のスケジュールの立てようがない(笑)。
若い人はGoogleマップがあれば万能のように思っているかもしれないが、確かにナビゲーションとして使う時には重宝するが、ざっくりした旅行計画を立てるには、ビジュアルで距離感が分かる”紙の地図”のほうが今でも使いやすい。
そのマップで分かる通り、「川中島古戦場」は上信越道の「長野インター」から約2キロ、クルマで2分ほどのところにある。

「松代城跡」には約4キロ・10分ほど、また「善光寺」までは国道で約10キロ・30分で行けるので、高速道路で長野市内に移動してくる場合は、「川中島古戦場跡」へ最初に足を運ぶのがスマートだ。
もうひとつ「川中島古戦場跡」のロケーションには、知っておきたい話がある。

出典:日本遺産マガジン
それは「武田」「上杉」両陣営にとって、「川中島」がどういう場所であったかということだ。
合戦となった最大の原因は、「武田信玄(晴信)」の北信濃侵攻によって領地を追われた武将たちが、越後の「上杉謙信(長尾景虎)」に助けを求めたことにあるとされている。
「甲斐国(山梨県)」の慢性的な飢饉や貧しさを解決するため、隣にある広大で実り豊かな「信濃国(長野県)」そのものを手に入れることを企む「信玄」と、隣国からの救援要請や自国の防衛を重視する「謙信」の利害が、交通の要所である「川中島」で真っ向から激突した。
「上杉」軍も「川中島」を突破されると、いよいよ「越後」に侵攻されてしまうので、本腰を入れて迎え撃つのは当然だ。

ちなみに「松代城(海津城)」は、「武田」軍が『川中島の合戦』のための”前線基地”として、軍師の「山本勘助」に築かせた城で、この戦とのかかわりは強い。
川中島古戦場跡と川中島古戦場史跡公園

「川中島古戦場跡」は、現在は1561年の『川中島の合戦』の第4戦で、「武田信玄」が本陣を置いた「八幡社」周辺を指して云う場合が大半だ。

静かな林の中に建つ「八幡社」の境内には、『信玄・謙信両雄一騎討ちの像』や『三太刀七太刀之跡の碑』、さらには「首塚」などが残されている。

いっぽう「川中島古戦場史跡公園」は、その「川中島古戦場跡」を含む八幡原一帯を整備した都市公園を指して云う。
敷地の中には『川中島の戦い』だけではなく、『長野盆地の歴史と生活』を総合的に紹介している「長野市立博物館」や、売店・食事処、そして大きな無料の駐車場もある。
ちなみにここは、かつては「八幡原史跡公園」という名称だったが、2017年7月に「川中島古戦場史跡公園」に名称変更されている。
大河ドラマで描かれた第4戦

近年の大河ドラマでは、2007年の「風林火山」で「武田信玄」と「山本勘助」が、また2009年の「天地人」では「上杉謙信」と「直江兼続」が取り上げられ、異なる目線からこの戦いが描かれていた。
当時は観光名所として毎週のようにバスツアーがやってきたようだが、今でも休日には地元のボランティアガイドが、無料で詳しい話を聞かせてくれている。
なお上のサイトでは予約制になっているが、無料なのでよほど混んでいなければ、当日参加も可能だろう。
エピソード① きつつき戦法

『川中島の合戦』の第4戦では、武田の軍師「山本勘助」と「上杉謙信」の”頭脳戦”が繰り広げられた。
それが有名な「きつつき戦法」で、精鋭部隊を敵陣の中核や留守城などに迂回して進軍させ、相手がそれに気を取られている隙に、本軍で敵の本陣を一気に攻略しようという作戦だ。
きつつきがエサを捕る時に、木の反対側をつついて虫を驚かせ、穴から出てきたところを捕らえるという習性にヒントを得た武田の軍師「山本勘助」が、川中島の合戦時に「信玄」に進言したとされている。

しかし「武田」軍が仕掛けた巧妙なトリックを、直前に「謙信」が見抜き、「裏の裏」をかく奇策に打って出たことにより、数の劣勢を跳ね返して一気に「武田」の本陣へと迫った。

「謙信」にこの作戦を見破られ、確かに武田勢は一時期大苦戦に陥る。
しかし、別動隊が「上杉」軍の背後に回った頃から形勢は逆転し、結局は痛み分けに終わっている。
ただ、戦術を見破られた「山本勘助」は、この戦で敵陣に突撃して戦死した。
最終的な『川中島の合戦』の結果は、ボクシングで云う『三者三様のドロー』のようなものかもしれない。
そもそも領地拡大を目指す「武田信玄」と、その野望を「義」の精神で打ち破らんとする「上杉謙信」では、戦の目的が異なるので、結果を論じるには噛み合わないところがある。

筆者は「川中島古戦場跡」の取材後、ちょっと苦労したが、なんとか「山本勘助」の墓前に辿りつき、冥福を祈ってきた。

なお「山本勘助」のお墓は、後述する「勘助宮」とは別のところにある。
エピソード② 塩の道

これまで筆者は、上越市の「春日山」に残された「上杉謙信」の居城跡、後年に「徳川家康」から大幅に領地を縮小されて国替えを強いられた「米沢城」、また「武田」側では甲府の「躑躅ヶ崎館」、そしてこの時代には「海津城」と呼ばれた「松代城」、さらには信濃攻略の起点となった諏訪の町にも足を運んできた。

大河ドラマを含めて、これまで幾度となく小説や映画、ドラマに取り上げられてきたこの両氏には、まだまだ数多くのエピソードが残されており、深く知るほどおもしろみは増す。

その典型的なエピソードが、『敵に塩を送る』の謂れとなった『謙信の義塩』だが、その話は長くなりすぎるので以下の記事にまとめている。

信州と聞けば、北アルプスの雄大な自然が真っ先に思い浮かぶが、実はこうした歴史上の見どころにも恵まれており、その両方が一度に楽しめるうえに、名湯も多く、蕎麦は際立ってうまい。
クルマ旅には、まさに”うってつけ”の地域だと思う。
川中島古戦場公園のアクセス&車中泊事情
駐車場は2ヵ所に分かれているが、「川中島古戦場跡」に近いのは上のマップの北駐車場になる。

敷地にはトイレもあるのだが、残念ながら駐車場は夜間閉鎖されるため、ここでの車中泊はできない。
ただしその代わりとなるのが、「川中島古戦場跡」から約3.4キロ、クルマで10分ほどのところにある、「勘助宮跡」に隣接した「南長野運動公園・第3駐車場」だ。
長野市郊外にも「道の駅 オアシスおぶせ」があるが、前述した「松代城跡」や「山本勘助」のお墓に加えて「真田家」絡みの史跡を周るなら、ここで1泊して2日に分けたほうがいいだろう。
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