この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、現地取材を元に「車中泊ならではの旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
「北の国から」の聖地となった、五郎の石の家。
筆者の歴訪記録
※記録が残る取材日と訪問回数をご紹介。
2002.07.25
2008.07.04
2011.07.17
2016.06.18
2022.07.23
五郎の石の家・最初の家【目次】
黒板五郎のお墓
2022年6月23日、放映40周年を迎えたドラマ「北の国から」で、田中邦衛が演じた主人公・黒板五郎の墓が、石の家の敷地の一画に完成した。
建立のきっかけは、2021年3月24日に田中邦衛(享年88)がこの世を去ったことにあるが、実は「北の国から」では、遺言は書いたものの、五郎はまだ生きたままだ。
しかし筆者の中では、田中邦衛と黒板五郎は同一人物(笑)。
そんなわけで、公開後早々に五郎の墓を拝んできた。
五郎の墓は、炭焼小屋と石の家の間の少し山側に入ったところに設けられている。
しかしご覧の通り質素なもので、最初は気づかずに通り過ぎてしまった(笑)。
ただこれができたことで、久しく麓郷から離れていた人たちがまた、石の家を訪ねることになりそうだ。
その意味からすると、石の家は「北の国から」の本当の聖地になったともいえる。
せっかくなので、6年ぶりに「最初の家」にも足を運んできたが、あの大きな天然の燻製器はどうやら朽ち果ててしまったらしく、見当たらなかった。
そのことは、改めて40年という歳月の長さを思い起こす、いいきっかけになった。
五郎の石の家のヒストリー
富良野の畑から大量に出る石を使って建てたという、このユニークなヨーロッパ調の家は、丸太小屋のある麓郷の森の近くに保存されている。
ドラマでは「’84夏」で丸太小屋が焼け落ちたあと、「’89帰郷」でその再建を目指していた。
だが丸太を買ってコツコツと準備を始めていた五郎のもとに、「’92巣立ち」で上京した純が、タマ子を妊娠させてしまった知らせが届くと、五郎はその丸太を手放し、慰謝料の100万円を用立てして、東京の純の元へと向かう。
その一連の親父姿に胸が熱くなるのだが、丸太を失った五郎は、やがて畑の石を使って家を組み上げることを思いつくのだから逞しい…
「石の家」はそんなストーリーから生まれた家だった。
ただ、その後も「’95秘密」「’98時代」とシリーズが続いたため、筆者が家族と富良野を訪ねた2000年当時はまだ一般公開されておらず、遠く離れた展望台のようなところから、眺めるだけしかできなかった。
そんな「石の家」の中が自由に見学できるようになったのは、遺言が放送された2002年以降。
「北の国から」の「完結宣言」がフジテレビで公式発表されたことで、有料開放されることになった。
石の家の見どころ
こちらが石の家のリビングスペース。ドラマでもっとも使われていたところだ。
木の階段の奥には、お馴染みの石のお風呂がある。
ロフトは意外に狭く思えた。
そしてリビングの反対側は、キッチンになっている。
ファンなら見逃したくないのが、石の家の室内に飾られた、数々の名場面が思い浮かぶスナップ写真。ちなみに花嫁は”98時代 後編”で正吉と結婚した蛍だ。
こちらが野外に作られたデッキテラス。
当初テラスは開放されていたが、2011年に訪ねた際には立入禁止になっていた。しかしその後修理が行われ、2016年には再び使えるようになっていた。
最初の家
なお石の家の近くには1981年の本編に使われた「最初の家」があり、石の家の有料開放に合わせて見学ができるようになった。
入口には第一話で使われた、有名な「純と五郎の会話」がパネル展示されている。
ただ2022年に訪ねた時は、展示内容がけっこう変わっていた。
また前述したように、懐かしいこの燻製器も今はない。
幼い純と蛍が育った家の中。ファンにはここが一番感動的な場所かもしれない。
入場料・駐車場・アクセスマップ
「石の家」が保存されている森は、昔は分かりにくい場所にあったのだが、今は案内板が設置されているので迷うことはないだろう。
入口には未舗装ではあるものの、広い駐車場とトイレ、そして売店がある。
●所在地:富良野市麓郷
●☎:0167-23-3388(ふらの観光協会)
●営業時間:4月下旬~8月:9:00~18:00 9月~10月:9:00~16:30(最終入場)17:00(閉園)
●料金:500円 小学生以下・障がい者手帳提示の方無料 (麓郷の森、やがて町との共通入場券 ¥1500→¥1200)
●駐車場:あり(無料)