この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、原稿作成のためのメモ代わりに書き残してきた「忘備録」を、後日リライトしたものです。

伊豆高原から河津経由で修善寺温泉へ
早朝の道が混まないうちに、熱海の取材を終えて、再び伊東に戻ってきた。今度は大室山のある伊豆高原に向かう。
伊東市のシンボルとも呼ばれる大室山は、標高580メートルの独立峰火山で、阿蘇にある「米塚」とよく似ている。
ただ米塚は80メートルしかなく、誰もが上から見下ろすことができるのだが、大室山の全景は航空写真でしか見られない。
ならば、「行っても行かなくても結果は同じ」じゃないのか?
正面のなだらかな小山が大室山。
今回はたまたま桜の季節だったことから出向いてみたが、それがなければ「ここの、どこがいいわけ?」となっていただろう。
大室山の「魅力」に気がついたのは、さくらの里を上から見ようと高台に少し登った時だった。
おおっ、富士山が見えるじゃないか!
ということは… もっと高い山頂からはどのように見えるのだろう。
俄然ヤル気が出てきて、リフトに乗った。
そしてそこには、期待以上の光景が待っていた。
航空写真よりも、「こういう景観が東伊豆から見える」ことをガイドしてくれれば、もっとこの山に観光客は集まると思う。
今のプレゼンはジオパークにこだわりすぎていて、肝心の「展望所」としての訴求が欠けている。
その後、城ヶ崎に立ち寄り、そのまま河津まで南下した。
城ヶ崎は伊東で伊豆半島を引き上げる人は訪れたほうがよいと思うが、南伊豆から西伊豆方面に周るのなら、パスしてもいいと思う。
河津からは天城越えで修善寺を目指した。下田は昨年訪れ、既に取材は完了している。
ただ本来は、幕末に坂本龍馬や吉田松陰が訪れ、当時の遺構と雰囲気が色濃く残る下田に向かうことをお勧めしたい。
ペリーが来航したことで有名だが、本当に面白いのはそれよりも、開国をめぐる幕末の志士たちのエピソードだ。
さて。写真は「河津七滝ループ橋」と呼ばれるドライブの名所。
かつては山に沿って国道がつづら折れになっていた場所だが、1978年の伊豆大島近海地震による崩壊後、通行の利便性と高低差を解消する工法を採用して作られた。「なるほど」と思わせるユニークな発想だ。
♪寝乱れて 隠れ宿
九十九折り 浄蓮の滝♪
ご存知、石川さゆりの名曲「天城越え」にでてくる「浄蓮の滝」。その歌碑は「天城峠」でなく、ここにある。
そして修善寺温泉に到着。
修禅寺は807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられているが、古文書を紐解くと、空海自らがこの地に足を運んだという記録は見当たらないそうだ。
また修善寺温泉は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が幽閉され、殺害されたところとしても知られているが、こちらは史実だ。
思い起こせば、伊豆は頼朝が清盛によって「島流し」にされた場所であり、その当時に、修善寺温泉に近い韮山で頼朝の世話をしていたのが北条氏である。鎌倉幕府というのは、平家を打倒した頼朝が征夷大将軍につくまでの話は有名だが、その後の話はあまり聞かない。
実は前述のとおり、源家は早々に途絶えており、その後は頼朝の妻、政子の実家である北条家が実権を握り、執権政治を進めていた。ちなみに戦国時代に活躍する「小田原の北条氏」は、この北条氏とは別の家系である。
歴史的な話になると「ややこしくて頭が痛くなるばかり」の修善寺温泉だが、お湯はいい(笑)。2000年に復活した写真の筥湯(はこゆ)は、なんと350円。温泉地だらけの伊豆でも、この値段で入れるところはそう多くない。
しかも、訪れるほとんどの日帰り観光客は「入浴セット」など持ち合わせていないため、写真のように空いている。
既に夕方近くなり、再び空模様が怪しくなる中、筆者は進路を西にとって、昨年できたばかりの道の駅「くるら戸田」を目指した。
この温泉付きの道の駅は、昨年の取材時にはまだオープンしておらず、撮影することができなかった因縁の施設。そのため、今回は是が非でも調査しておく必要があった。
というのは、ここは西伊豆のベスト車中泊スポットになると思われるからにほかならない。
この道の駅の誕生で、伊豆半島は東の伊東、南の下田、そして西の戸田と、適度な位置に道の駅が配置され、誰もが安心して車中泊のクルマ旅が楽しめる場所になった。
関東と近畿・東海の中間に位置し、富士山にも近いことから、もともとロケーションには恵まれている。それだけに、今後はますます人気が高まるだろう。


