この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。

下田でおもしろいのは、勝海舟と山内容堂のエピソード
「龍馬伝」では、ペリーが下田に寄港する際に、龍馬は黒船を見るため下田までやってくる… というストーリーだったが、史実にはそれを裏付ける明確な記載はなく、どうやら脚本家である福田氏の脚色の様相が強い。
またその時に、吉田松陰や桂小五郎に出会うというのも同じく脚色のようだ。
龍馬が実際に黒船と出会ったのは浦賀沖。剣術の修行で江戸に滞在していた龍馬は、幕府の召集を受けて品川沿岸の警備の任に当たっていた。
では史実に基づく坂本龍馬と下田の関わりとは…
それは本人よりも、尊敬する勝海舟と土佐藩主・山内容堂の出会いによるものだ。
ペリー艦隊の下田寄港から、時が流れた1863年。この年の1月15日に土佐藩主・山内容堂は、江戸から大鵬丸で上洛途中にあったが、季節はずれの時化に遭い、宝福寺に投宿していた。
時を同じくして、勝海舟は兵庫から龍馬らを伴い、順動丸に乗って東帰の途にあったが、やはり時化には勝てず、下田港に緊急避難をすることになった。
幕府軍艦奉行・勝海舟入港の知らせを聞いた山内容堂は、是非とも酒席に招きたいと使者を遣わした。
勝海舟はそれに応じ、わずかな共を率いて宝福寺に参上し、謁見することにした。そして、その席で山内容堂に龍馬の脱藩の罪を解き、その身を預けてほしいと懇願する。
山内容堂は、勝海舟が酒を飲めないことを承知で、「ならば、この酒を飲み干してみよ」と切り返すが、勝海舟はためらうことなく、朱の大杯を飲み干した。
用心深い勝海舟は、脱藩罪赦免の件が酒の席での話として、後日うやむやにされることを恐れ、証拠の一筆を要求。
そこで山内容堂は、白い扇に瓢箪の絵を描き、その中に「歳酔三百六十回 鯨海酔候」と著名して海舟に手渡したという。その結果、約束どおり龍馬はほどなくして脱藩を許される。
詳しい話は下のパンフレットに記されているので、興味があればじっくり読んでいただきたい。
裏には龍馬ゆかりの地と、龍馬伝のロケ地の説明が記載されている。あまり情報のない下田では貴重な資料といえるだろう。
「龍馬伝」では黒船絡みのシーンが下田で撮影されているのだが、史実となると、正直なところ他のゆかりの地に比べて坂本龍馬との関連性は薄い。
ただ、下田は「幕末の日本」を語る上では欠かせない場所だけに、坂本龍馬が生きた時代背景を理解する上では、訪ねてみる価値は高いと思う。
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