ペリーとハリス、そして「唐人お吉」の関係は?

ハリス記念館 ロケ地ほか
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
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ペリーとハリス、ハリスと「唐人お吉」、そしてハリスと「日米修好通商条約」の関係を詳しく解説

ハリスの足湯

ペリーが黒船艦隊を率いて来航し、「日米和親条約」を締結して日本の鎖国を終わらせたことは、大半の日本人が知る話だが、下田に行くと「ハリス」という別のアメリカ人の名前をよく見かける。

そこでまずはペリーとの違いを含めて、ハリスという人物をわかりやすく紹介することから始めよう。

ペリーとハリス、そして「唐人お吉」の関係【目次】

ペリーとハリスの来日の目的

ハリスと「唐人お吉」

ハリスと「日米修好通商条約」

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ペリーとハリスの来日の目的

下田公園

軍人であるマーシュ・ペリーの目的は「日本の開国」。

別の記事に書いた通り、ペリーが日本に来た一番の理由は、北太平洋で操業するアメリカの捕鯨船・乗組員の安全確保と、食料や燃料の補給地を日本に求めたいということにあった。

ゆえに、1954年に「日米和親条約」で下田と函館の2港を開港させることに成功すると、通商には固執せず、2ヶ月ほどの滞在で日本を離れている。

出典:ウィキペディア

いっぽう外交官のタウンゼント・ハリスは、ペリーが積み残した日本との通商条約を締結するため、2年後の1856年に初代の駐日米大使として下田に赴任する。

日本での生活は6年に及び、1858年に「日米修好通商条約」を締結し、目的を果たした以降も日本に在住して、1862年に日本を離れている。

ちなみに両者には「接点」がある。

1853年の第1次日本遠征から引き上げ、清に滞在していたペリーに、当時上海にいたハリスは、次回の遠征で日本への同乗を要望する。だが軍人でないことが理由で、その許可を得ることはできなかった。

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ハリスと「唐人お吉」

尊皇攘夷

就任早々、ハリスは通商条約の締結に向けて幕府に働きかけを行うが、当時の日本は薩摩藩と水戸藩が先導する「尊王攘夷」の高揚と、篤姫が嫁いだ13代将軍・家定の体調不良が重なり、交渉は延期される一方だった。

加えて、肉や乳製品などが食されていなかった当時の日本では、西洋料理が作れず、ストレスと栄養不足でハリスは衰弱状態に陥ってしまう。

そのため通訳のヒュースケンは、「看護婦」の派遣を奉行所に要請するが、鎖国していた日本の役人が、「ナイチンゲール」を知らないのは当たり前(笑)。

やってきたのは、下田随一の芸者と呼ばれる「お吉(斉藤きち)」だった。

出典:ウィキペディア

たとえ「看護婦」でなくても、身の回りの世話をする「家政婦のおばさん」ならともかく(笑)、あらかさまな幕府の「ハニートラップ」にハリスは激怒。

健康回復とともにお吉を開放するが、彼女の人生はそこから奈落の底へと転がり落ちていく。

ちなみにハリスは、超がつくほど真面目なプロテスタントで、生涯独身で童貞だったという。

ハリス記念館

このあたりの詳細は、玉泉寺の境内にある「ハリス記念館」に行くとよくわかるのだが、中身はかなりマニアックで、観光客にとってここの入場料500円は、ちと高く感じそうだ。

ハリスと「日米修好通商条約」

出典:ウィキペディア

さて。

時を同じくして、英仏両国の連合艦隊は、広東で第二次対中国戦争を開始する。それを受けて、1857年(安政4年)7月に、米砲艦ポーツマス号が下田に入港した。

これにより、幕府は態度を急変。ついにハリスの江戸出府を認める。

江戸城

ハリスは老中・堀田正睦(ほった まさよし)ら要人と会談し、アジアにおける欧米列強の現状をもとに、日本の危機を煽り、アメリカとの通商条約締結の見返りとして、万一の場合はアメリカが他国との仲介の労をとる旨を約束する。

幕府は、「もはや条約締結やむなし」と覚悟を決めて交渉に臨み、1858年(安政5年)1月に妥結。

しかし、なかなか勅許が得られず、調印は延期を重ねていた。

そこへ6月13日、米艦ミシシッピ号が下田に入港。

英仏両国が日本に進攻するとの情報を得たハリスは、即座に幕府に決断を迫り、大老・井伊直弼は、遂に勅許のないまま最後の決断を下すに至った。

横浜

かくして6月19日、小柴沖に停泊していたポーハタン号艦上において、「日米修好通商条約」及び「貿易章程」は調印された。

その結果1859年(安政6年)5月に横浜が開港され、玉泉寺の領事館は閉鎖、ハリスも同時に下田を去り、12月に下田は閉港される。

1854年(安政元年)から、6年間に及ぶ日米外交交渉の舞台となった下田は、こうして静かに幕末の歴史から姿を消していった。

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