この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の紹介です。

金沢の見どころは、「日本最大級の城下町」
戦禍を免れた金沢の町には、江戸時代のリアルな城下町の面影を、今も色濃く残す場所が点在している。
仕事柄、筆者はこれまでに鹿児島から松前にいたる日本の主だった城下町を訪ね歩いてきたが、「武家屋敷」に加えて「大名庭園」と「茶屋街」を残す金沢ほど、「分厚い日本の城下町」は見たことがない。
事実、石川県と金沢市は、世界遺産登録を目指して、金沢城跡・兼六園等を構成資産とする、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」と題した申請資料を文化庁に提出している。
この記事では、その中から「王道」と呼べる観光スポットを、筆者独自のランキング順に紹介している。ただし視点は、ほかとはちょっと違っている(笑)。
城下町・金沢の「王道」観光スポット【目次】
「金沢城公園」では復元された建造物より、江戸時代からある石垣にご着目。
城下町では、いちばん風情を感じる「長町の武家屋敷跡界隈」を最初に歩きたい。
「主計町(かずえまち)茶屋街」の見どころは、細い路地の奥にある2つの「坂」
最初に訪ねるべきは「石川歴史博物館」
なに、いきなり変化球か? と君思うなかれ(笑)。

「金沢城公園」では、復元された建造物より、江戸時代からある石垣にご着目。
平成以降、着々と復元が進む金沢城のガイドには、蘇った「櫓」や「門」のウンチクばかりが、やたらと目につく。
だが「お城ファン」は別として、「嫌いじゃないけど、特に歴史やお城が大好き!というわけではない」観光客が、本音で一番聞きたいと思っていることは、「広大な敷地のいったいどこを見れば、金沢城を見た気になれるのか?」だと思う(笑)。

なんだかんだ云っても、ランドマークは「兼六園」。
「兼六園」は、岡山市の「後楽園」、水戸市の「偕楽園」とともに、日本三名園のひとつに数えられ、2009年3月16日発売の「ミシュラン観光ガイド」で、最高評価の3つ星に選ばれた国の特別名勝。

城下町では、いちばん風情を感じる「長町の武家屋敷跡界隈」を最初に歩きたい。

出典:長町武家屋敷界隈を愛する会
「長町武家屋敷跡」は、藩政時代に加賀藩の中級武士が暮らしていた地域で、昔ながらの土塀や石畳の小路が残り、伝統環境保存区域および景観地区に指定されている。
生活エリアだったことから、今でも端正な住宅が多く、江戸時代から今日にいたる城下町の自然な姿を見ることができる。
割烹・郷土料理店・カフェなどのお店が並ぶ通りは、繁華街の香林坊に抜ける鞍月用水沿いにある。
実は写真の「菓ふぇMURAKAMI Nagaya-mon店」では、「ひがし茶屋街」で若者たちが行列を成して食べたがっている、「箔一」と同じ金箔をのせたソフトクリームが食べられる。
三連休でも「待ち時間ゼロ」。それならひとつ食べてみるか…(笑)
「主計町(かずえまち)茶屋街」の見どころは、細い路地の奥にある2つの「坂」
「ひがし茶屋街」から浅野川を隔てた、川沿いに位置しているのが「主計町茶屋街」で、2つの茶屋街は続けて散策できる距離にある。
「ひがし茶屋街」とは対象的に、観光用に整備された感の薄い、昔ながらの細くて薄暗い路地からは、茶屋街が本来持つ「妖しさ」が伝わってくるようだ。
その象徴的な場所が、昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」。
別名「暗闇坂」とも呼ばれたこの坂は、「主計町茶屋街」と坂の上にある「久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)」を結んでいて、かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために使われてきた。
ちなみに「久保市乙剣宮」の向いは、文豪「泉鏡花」の生家(現在は泉鏡花記念館)があった場所で、彼も子どもの頃に、この「暗がり坂」を通って学校に通っていたという。
「泉鏡花」は、こんな人
尾崎紅葉に師事し、明治後期から昭和初期にかけて活躍した日本の小説家で、近代における幻想文学の先駆者とされている。
地元金沢では、有名な「ふるさとは遠きにありて思ふもの」を書いた詩人、「室生犀星」と肩を並べる「文豪三傑」に挙げられている人といえば、わかりやすいかもしれない。
ただ残念なことに、筆者は彼の作品を読んだことがないので、それ以上の詳しいことはまったくわからない(笑)。
むしろ興味を抱いたのは、「暗がり坂」と平行するように町を通る、こちらの「あかり坂」だ。
2008年に地元住民から依頼を受けて、作家・五木寛之氏が命名したという「あかり坂」の登口には標柱があり、そこに本人の言葉が刻まれている。
「暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意(こころ)でもある」。
誇張するでもなく、おざなりにするでもない、まさに「さり気なく」残された文豪のリレーションに、加賀百万石・金沢の懐の深さを感じる。
少々マニアックなところはあるものの、「あまのじゃく」な筆者は、こういう価値観に弱い(笑)。
にし茶屋街では、お茶屋の中が見られる資料館と和菓子の老舗へ
「にし茶屋街」には、筆者お勧めのスポットがふたつあるのだが、イチオシは作家・島田清次郎が過ごしたお茶屋の跡地に建つ「金沢市西茶屋資料館」だ。
なぜならここでは、「ひがし茶屋街」ならそこそこ高い見学料をとられる「お茶屋の中の見学」が、無料でできる。
もちろん見られる部屋数などは違うが、「お茶屋というところ」を推量するには十分だ。
お茶屋とは…
芸妓が踊りや三味線などの雅な芸で、客をもてなす大人の遊び場。芸の披露の後には、お座敷遊びも。江戸時代は裕福な旦那衆の社交の場とされ、武士の出入りすら禁止になっていたという。
ちなみに、お茶屋には現在でも「一見さんお断り」のしきたりがあるので、夜はコネがないと入れない。
島田清次郎はこんな人
20歳で出版した自伝的小説「地上」が、50万部を超えるベストセラーとなり、一世を風靡するが、精神を病み、わずか31歳の若さで没した金沢育ちの天才作家。
ただ残念なことに、筆者は彼の作品を読んだことがないので、それ以上の詳しいことはまったくわからない(笑)。
さて大半のガイドは、次に「忍者寺」と呼ばれるこの「妙立寺(みょうりゅうじ)」を挙げているようだが、筆者は違う。
せっかくなので簡単にふれておこう。
「妙立寺」創建当時、加賀藩は徳川幕府と緊張状態にあったため、ここはその襲撃に備えた出城・砦の役目を果たしていた。
その名残として、境内には床板をまくると出現する隠し階段や、金沢城への抜け道が整備されていたと伝わる井戸といった「からくり」が今も残されている。
ただし、現在は「完全予約制」になっている。予約方法等の詳細事項は、オフィシャルサイトで確認を。
筆者がここを推さない理由は、「そういうものが見たいのなら、本家本元の伊賀か甲賀でどうぞ!」ってこと(笑)。
ここが他にたくさんの見どころを持つ金沢であることを考えれば、優先順位が違う。
ところで、金沢が京都・松江と並ぶ「三大和菓子」と呼ばれていることをご存知だろうか?
藩祖の前田利家と二代藩主の利長は、あの千利休の直弟子で、三代藩主の利常も江戸初期の大茶名人と云われる小堀遠州や金森宗和、仙叟千宗室(せんそうせんのそうしつ)に学んでいた。
特に五代藩主の綱紀は、仙叟千宗室を茶道茶具奉行に取り立て、藩を挙げて茶の湯を奨励していたほどだ。
にし茶屋街には、「らくがん」と呼ばれる米と砂糖から作る伝統の和菓子を、今なお昔ながらの製法と技で作り続けている老舗がある。
お土産にするには、様々な店の和菓子がふんだんに揃い、比較しながら買える駅や物産館がいいと思うが、「自分へのご褒美」にするなら、こういう店で女将や店主の接客を受けてみるのも悪くない。
ひがし茶屋街を見るのは、「最後で十分」
こういう日に「ひがし茶屋街」を歩けた人は、ここを一番に推すのかもしれない(笑)。
近年整備されたとはいえ、まるでテーマパークのような町並みは、まさに京都の「花見小路」を模した「小京都」だ。
だが、これが今の現実はこれだ(笑)。
インバウンドと同じく、ギャルやチャラオに「来るな」とはいえないのだから、ここで金沢らしい景色を期待するなら、自分たちが工夫するしかない。
中高年に、近江町市場は似合わない。
「ひがし茶屋街」以上に、どっちでもいいと思うのが「近江町市場」。
写真は日曜日の朝8時過ぎ。それでも既に若者は並ぶ(笑)。
その30分後…
もちろん、市場全体がこういうふうではないのだが、それでもここは、京都の錦市場よりも虚しく思えた。
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