歴史が好きで経験豊かな「車中泊旅行家」が、天下分け目の戦いの舞台となった「関ケ原古戦場」の見どころ及び車中泊事情を詳しく紹介しています。
「正真正銘のプロ」がお届けする、リアル車中泊歴史旅行ガイド

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

~ここから本編が始まります。~
「岐阜関ケ原古戦場記念館」は、”天下分け目の戦いの舞台”関ケ原に2020年に誕生した、待望の本格的な歴史ミュージアム

岐阜関ケ原古戦場記念館 DATA
岐阜関ケ原古戦場記念館
〒503-1501
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
☎0584-47-6070
おとな500円
9時30分~17時(受付最終16時30分)
月曜及び年末年始休館
「関ケ原」の筆者の歴訪記録
※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。
2011.09.12
2014.04.25
2020.06.12
2020.11.01
「関ケ原古戦場」での現地調査は2022年11月が最新で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2025年8月に作成しています。
関ケ原古戦場

「関ケ原の戦い」は、”結果”よりも”経緯”のほうが興味深い。
「関ケ原の戦い」は、”結果”よりも”経緯”のほうが興味深い。

「石田三成」率いる西軍約8万と、「徳川家康」率いる東軍約7万、合わせておよそ15万人とも云われる軍勢が、一堂に会して繰り広げられた日本史上最大の激戦…
おとなの日本人で、「関ケ原の戦い」を知らない人はまずいないと思うのだが、この大きな戦は結果よりもむしろ、そこに至るまでの経緯のほうが興味深い。
たとえば、
「天下分け目の決戦」なのに、なぜ「豊臣」VS「徳川」ではないのか…
ちなみにこの戦の西軍の大将は「毛利輝元」で、「石田三成」ではない。
たとえば、
関ケ原に集結した東軍は、「家康」直属の本隊約3万と、豊臣恩顧の「福島正則」「黒田長政」ら約4万の合計7万余りとされているが、なぜ豊臣恩顧の武将の多くが、西軍ではなく東軍についたのか…
それを理解する一番いい方法は、「大河ドラマ」を見ることだ(笑)。

出典:NHK
近年では2023年に「松本 潤」主演の「どうする家康」が放送されたが、特にその中では、決戦に至るまでの両者の水面下の攻防がよく描かれていたと思う。
「どうする家康」はあまり評判はよくなかったし、正直云って筆者も「松潤」に「家康」は荷が重かったように感じているが、こと「関ケ原の戦い」に関しては、これまでの大河ドラマにはなかった切り口が新鮮だった。
ただ、「関ケ原の戦い」の話から始めていたら終わりが来なさそうなので(笑)、それはこちらのサイトで後ほどゆっくり覧いただきたい。
それはそれとして、
このページをご覧いただいている方の中には、『関ケ原って、関ヶ原なんじゃないの?』とお感じの人もあると思う。
確かに現状は混在して使われており、その理由も諸説諸々だが、自治体は「ヶ」はなく「ケ」の文字を使った「関ケ原町」になっているので、当サイトもそちらに合わせた表記にしている。
関ケ原古戦場

15万人もの軍勢が戦った場所だけに、「それがココだ!」とはいかないのだろうが、それにしても『本当にここが、有名な関ケ原なの?』という想いが拭えないほど、古戦場には何もなかった(笑)。

筆者の記憶では、笹尾山に残る「石田三成」の本陣跡に来ると、スピーカーから定期的に大音量で『関ケ原の合戦のあらまし』が流されていただけ。
ゆえに大半の人は、笹尾山の砦を見だだけで、関ケ原から立ち去っていたと思う。

そして笹尾山は2022年の再訪時も、以前とほとんど変わってなかった…
そりゃ史跡だから、勝手には大きく変えられない(笑)。
だが岐阜県も関ケ原町も、「このままでいい」とは思っていなかったようだ。

そこで2014年に、この「徳川家康」の最後の陣地跡を利用した、大掛かりなプロジェクトを立ち上げる。
岐阜関ケ原古戦場記念館

「関ケ原古戦場グランドデザイン」と題されたそのプロジェクトは、「関ケ原町歴史民俗資料館」をビジターセンターとしてリニューアルすることを柱に、一帯を県内有数の観光拠点にすることを目指して策定が繰り返され、ビジターセンターの正式名称を「岐阜関ケ原古戦場記念館」に変更して、ようやく2020年のオープンに漕ぎつけている。

当初オープンは2020年7月17日の予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大のため延期され、同年10月21日(関ケ原の合戦が行われた慶長5年9月15日は、西暦に直すと1600年10月21日に該当)に開館、翌10月22日より一般公開されている。

さて。
「岐阜関ケ原古戦場記念館」の見どころは、なんといっても1階に用意された映像展示(グラウンド・ビジョン及びシアター)だろう。
若者は最新技術を駆使した遊園地ばりの演出に気が取られるかもしれないが、この映像の一番素晴らしい点は、短時間に要点が伝わるように絞り込まれたコンテンツにあると思う。
床に埋め込まれたモニターに映し出されるグランドビジョンでは、合戦に至るまでの両軍の動きが紹介され、メインのシアターでは「関ケ原の合戦」のハイライトとも呼べる、西軍の「小早川秀秋」の裏切りと「大谷吉継」の奮闘と討ち死、そして最後に窮地を脱する『島津の退き口』にスポットを当てたストーリーが、ドラマチックに描かれている。
ただしここは事前予約者(前日15時まで受付)の入場が優先されるので、できれば予約して行かれることをお勧めする。
予約先:☎0584-47-6070
予約はホームページからでも可能だ。

もちろん予約枠の空き状況によっては、当日の入場枠で見学できるが、希望通りの上映時間に観られるとは限らない。
当日枠で見学する場合は、チケット売り場でその旨を伝え、上のピンクの整理札を手に入れよう。

上映時間まで間がある人には、隣接する売店がお勧めだ。
ここには「超」がつくほどマニアックな歴史グッズが数多く並んでいる。

このクリアファイルの中には、「関ケ原の合戦」に直接関係のない武将もいるが、特に「尼子経久」や「山中鹿介」は、歴女・歴男くんは無視することのできないアイテムでは…(笑)。
続いては2階の展示室だが、ここでは「関ケ原の戦い」の発端から終結までを実物資料等を交えて紹介している。
ただ撮影禁止なので画像はない。

そして最後は5階。
360度全面ガラス張りの展望室からは、現在の関ケ原が一望できる。
これで500円は正直かなりのお得感。
普通で考えれば、800円から1000円あたりが妥当と思える内容だった。

「岐阜関ケ原古戦場記念館」と古戦場跡めぐりを含めても、普通は3時間ほどあれば関ヶ原の観光は終わる。
そこで残る時間をどう過ごすかだが、コンテンツとしては以下の2つが挙げられる。
名城めぐり

関ケ原の近くには、一度は訪ねてみたい名城が目白押しだが、滋賀県方面ではやはり、国宝指定されている「彦根城」がその筆頭に挙がるだろう。

「彦根城」は「井伊家」の居城だが、彦根の藩祖となった「井伊直政」は、「関ケ原の戦い」の火ぶたを切った「家康」子飼いの武将で、この合戦で受けた鉄砲傷が悪化したため、1602年(慶長7年)に、「佐和山城」にて死去している。
「佐和山城」が「石田三成」の居城であったことを含めると、関ケ原とのゆかりがある彦根は抱き合わせて周るにはぴったりなところだと思う。
なお「彦根城」周辺の車中泊スポットとしては、「道の駅 近江母の郷」がある。

またもっと近くで、「関ケ原の戦い」とゆかりのあるお城と云えば「大垣城」だ。
全国的にも珍しい4層の天守閣を持つ「大垣城」は、「関ケ原の戦い」で「石田三成」が本陣を敷いた城で、「松尾芭蕉」の「奥の細道」結びの地としても有名だ。
なお「大垣城」を見た後は、近くにある温泉が隣接する「道の駅 池田温泉」での車中泊がお勧めになる。

そこからは「伊吹山ドライブウェイ」も近いので、いい季節には翌日の朝からドライブに出かけるのも悪くない。
岐阜県 車中泊旅行ガイド

車中泊でクルマ旅 総合案内
クルマ旅を愉しむための車中泊入門
この記事がよく読まれています。

























