25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、飛鳥時代から「御食国」として日本の都を支えてきた福井県の若狭湾に面した「小浜」の歴史と、名物の「鯖」のソウルフードを紹介しています。
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この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づき、全国各地の「クルマ旅にお勧めしたい観光地」を、「車中泊旅行者目線」からご紹介しています。

~ここから本編が始まります。~
クルマとバイクで旅する人に向けた、『海と都をつなぐ若狭の往来文化』が感じられる小浜の旅

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御食国(みけつくに)とは

「平城京跡」などから出土した木簡や、「延喜式」などの古文書の記述により、当時「若狭国」と呼ばれた現在の福井県若狭地方は、7世紀から「御食国」として、朝廷の食文化を支える重要な地域であったことが判明している。

日本海に面した若狭国は、質・量・種類ともに豊富な海の幸に恵まれていたため、古くから「御贄(みにえ)」と呼ばれる朝廷への食材を献上してきた。
当時の主な献上品には、以下のようなものがあったようだ。
●塩(御調塩・にえのしお)
調味料としてだけでなく、食品の保存(塩蔵)に不可欠な最重要品だった。
●鯛(タイ)
「多比鮓(たいのすし)」など、主に米と塩で発酵させた「鮓(なれずし)」に加工して納められていた。
●イガイ(ムール貝の仲間)
木簡には「貽貝(いかい)」と記され、こちらも鮓(すし)にして運ばれていた。
●鮑(アワビ)
平城京の貴族や天皇の食膳に欠かせない高級食材。
●その他の海産物
カレイ(干物)、イワシ、サバ、タコ、ホヤ、ナマコ、ウニ、イカなどの多岐にわたる魚介類と海藻類が、生あるいは干物や鮓に加工されて献上されていた。

のちにそれらは、「鯖街道」と呼ばれる陸上ルートを通って京都へと運ばれるようになり、都の食文化に大きな影響を与える。
鯖が主役になった理由

出典:ウィキペディア
若狭からの献上品の主役が「鯖」に変わったのは、戦国時代から江戸時代中期(16世紀〜18世紀頃)にかけてと云われている。
奈良・平安時代の「御贄」は、天皇や朝廷へ税(貢納)として納める制度だったことから、当然ながら高級品とされていた「鯛」や「アワビ」、そして人がつくらないと摂れない「塩」が中心だった。
考えてみれば、いくら昔でも大衆魚のさばが献上品になるはずがない(笑)。
しかし鎌倉時代から室町・戦国時代に入って律令制が崩壊すると、『朝廷への義務的な献上』より、『京都の巨大な消費市場へ向けた商業』へと目的が変わっていく。
京都への運搬が本格化し始めるのはそれからだが、実は同時期に海にも大きな変化が生じていた。
もともと北陸の海は、北から流れる「寒流」に含まれる栄養分が、南から流れる「暖流」に温められることから、プランクトンが繁殖しやすく、それを食べて育つ脂の乗った美味しい魚が獲れる地域だ。
ただ以前は能登沖が「鯖」の主な漁場だったが、若狭湾へ大群が回遊してくるようになったため、一夜にして1船で数千本もの「鯖」が釣れるほどの大漁が続き、京都へ向けて大量に送り届けることができるようになった。

それもあって、この時代に京都の一般庶民の間で、「葵祭」や「祇園祭」などの祭りの際に、若狭の「鯖」を使った「鯖寿司」を食べる文化が定着し、需要が爆発的に高まったという。
若狭と京都を結ぶ道が「鯖街道」という通称で呼ばれ、定着したのは江戸時代から近年にかけての話になる。
城下町「小浜」
ここで小浜の歴代領主の話をしよう。
というのは、戦国時代を境に小浜(若狭国)の領主は激しく入れ替わっている。

出典:Japaaan
室町時代にこの地を支配していたのは守護大名の「若狭武田氏」で、戦国時代の前半まで君臨していたが、1570年(元亀元年)に「織田信長」が若狭を平定すると、”織田四天王”のひとりに挙がる「丹羽長秀」が若狭一国を拝領し、「朝倉氏」や「浅井氏」との戦いで最前線の指揮をとる。
その「丹羽長秀」を、2026年に放送中の大河ドラマ「豊臣兄弟」で演じているのが、「池田鉄洋(いけだ てつひろ)」で、派手さはないが文武両道の名臣として、ドラマでは「安土城」築城時の総指揮を任されるなど、「信長」からのトップクラスの評価を得ていた。
大河ドラマを見ていなければ分からないのだが、歴史上の”バイプレーヤー”は、こうして登場するドラマの俳優に置き換えて紹介すると馴染みやすい。
ちなみに「秀吉」が、「豊臣」姓を授かる前に名乗っていた「羽柴」の「羽」は、「丹羽」の一字をもらったものというのは有名な逸話だ。
また「信長」亡き後の「織田家」後継者を決める「清須会議」で、最終的に「秀吉」を支持したのも「丹羽長秀」だった…

その結果「豊臣秀吉」が天下人になると、今度は「関白・秀吉」にとって極めて重要な京都の防衛拠点に成長した「小浜」に、正室「ねね」の義弟で後の五奉行のひとりとなる「浅野長政」を筆頭に、信頼できる身内や重臣が城主に据えられた。
さらに「徳川家康」の時代には、関ヶ原の戦功により「京極高次」が新しい領主として入封し、ここから「江戸時代の小浜藩」へと歴史が繋がっていく。

ちなみに「京極高次」の正室は、「織田信長」の妹・市が生んだ「浅井三姉妹」の次女「初(はつ)<常高院>」だ。
ご存知の方も多いと思うが、「初」の姉は「秀吉」の側室となった「茶々(淀殿)」で、妹は徳川2代将軍「秀忠」の正室で3代将軍「家光」の母。

出典:NHK
2011年放送の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で、そのドラマチックな人生を描かれた、写真のセンターポジションに座る「江(ごう)」になる。
ちなみにこの時の「初」を演じていたのは、写真左のまだ初々しい20代の「水川あさみ」だった。
それが2023年に放送された朝ドラ『ブギウギ』では、大阪弁バリバリの銭湯のおかみさんに化けてしまうのだから、俳優というのは恐ろしい(笑)。
つまり「京極家」は、直接の血縁ではないとはいえ、「織田家」「豊臣家」「徳川家」との共通の親類筋にあたる、まさに名家と呼ぶに足る大名で、この時代に「小浜城」の築城が始まった。
だが「京極家」は、2代藩主の「京極忠高」が嫡男をもうけないまま急死してしまったことから松江藩へと国替えされ、後釜には徳川将軍家の信頼がもっとも厚い、譜代大名の重臣「酒井忠勝(さかいただかつ)」が武蔵国川越藩(埼玉県)から入封する。

出典:NHK
「酒井忠勝」は、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で「大森南朋」が演じていたといえば、その人物像が思い浮かぶ人も多いのでは。
「忠勝」は「京極家」から引き継いだ基盤をもとに、「近世都市・小浜」の完成形とも云える本格的な町づくりを精力的に推し進めている。
具体的には、「京極高次」が1601年(慶長6年)に着工したものの、未だ未完成だった「小浜城」の築城工事を受け継ぎ、入封翌年の1635年(寛永12年)に、3重3階の天守を完成させている。

出典:小浜市の歴史と文化を守る市民の会
残念ながら「小浜城」は、1871年(明治4年)の火災で天守や櫓が焼失し、現在は石垣のみが残るだけだが、本丸跡には藩祖「酒井忠勝」を祀る「小浜神社」が建立されている。
さらに「忠勝」は、1642年(寛永19年)までに城郭全体の整備を終えると、身分に応じた城下町の区画(町割り)を拡大・定着させている。
「小浜」の「鯖」を使ったソウルフード

さて。
若狭湾で水揚げされた「鯖」を京都へと運ぶ、「鯖街道」の起点であった「小浜」の町には、独自の豊かな鯖食文化が根付いている。
そのベースには、鮮度が落ちるのが早い「鯖」を、「京都」まで腐らせずに送り届けるために生まれた工夫と技が息づいているわけだが、ここではその中からポピュラーな3つのソウルフードを紹介しよう。
浜焼き鯖

トップに挙げるのは「浜焼き鯖」だ。
アユやヤマメなどの渓流魚では珍しくないが、大ぶりの「鯖」を豪快に串打ちし、一本まるごと丁寧に焼き上げるというのは、20年以上日本全国を旅してきた筆者も、ここ「小浜」でしか見た記憶がない。
まさに港の賑わいとともに受け継がれてきた、小浜ならではの名物だ。
傷みやすい「鯖」を、内臓を取り除いて丸焼きにすると、冷蔵庫のない時代でも1週間程度は保存できたことから、「浜焼き鯖」は「京都」だけでなく「鯖街道」沿いの山間部でも貴重なたんぱく源になっていたようで、行商の女性たちが背負って売り歩く姿は、昭和40年頃まで見られたという。
ただ奈良・平安時代に「京都」まで運ばれていたのは、主に塩サバ・生サバ・干物で、「浜焼きさば」が運ばれていたことを示す史料は残っていない。
それからすると、「浜焼きさば」が運ばれるようになったのは、庶民にまで消費の裾野が広がった江戸時代からなのだろう。
鯖寿司

もっともポピュラーなようで、奥が深いのはこの「鯖寿司」かもしれない。
実は「鯖寿司」は2種類あり、写真の塩漬けされた「鯖」を、酢で締めてつくる「生(しめ)鯖寿司」が、もともと京都で食されていたものと云われている。
江戸時代前までは、若狭湾で獲れたサバを京都へ運ぶ際に、まずは新鮮な「鯖」を塩漬けにして保存性を高めていた。
『京は遠ても十八里(約70km)』といわれた「鯖街道」を、一昼夜かけて運ぶ間に、サバは適度に水分が抜けて旨味が増す。
「鯖寿司」はそれが京都に着くと、職人が塩を洗い流して、酢に漬けた(しめた)あと、酢飯と合わせて押し寿司にするという工程を経て作られてきた。
そのため今でも、京都の伝統的な「鯖寿司」は『しめ鯖の押し寿司』が基本だ。

これは初代店主が京都の料理店で修業を積み、その伝統の技術を活かして現在の鯖寿司の味を完成させたという、「鯖街道」の途中にある滋賀県・高島市朽木の老舗「栃尾梅竹(とちうめたけ)」の、今の店主から直接聞かせてもらった話だ。

筆者はこの店の「特上鯖寿司」を『鰻を買ったつもりで食べた』のだが(笑)、その評判通りの旨さに感激。

普段は食べれそうにない量を、家内とふたりでペロッと平らげた。
大分・佐賀関の関サバ、鳥取・酒津の塩サバと合わせて、未だこれほど旨い鯖には出会っていない。
『しめ鯖の押し寿司』は、京都で洗練された味と技術が、のちに小浜側に逆流して伝わったもので、京都のソウルフードというほうが的確かもしれない。
なお同じように「しめ鯖」を使う「バッテラ」は、大阪発祥の大衆寿司で、もともとはコノシロが代わりに乗っていた、まったくルーツが異なる別物になる。
いっぽう「小浜」には、前述したように、もともと獲れたての「鯖」をそのまま浜辺で豪快に焼いて食べる、「浜焼きさば」の文化がある。

この「焼き鯖寿司」は、それをヒントに香ばしく火を通した逸品なのだが、その起源を知ればきっと誰もが驚くに違いない。
「焼き鯖寿司」がこの世に登場したのは、なんと2000年。昭和どころか、平成12年になってからの話だ。
発売当初は、それは『寿司ではなく弁当だろう』と冷ややかな視線を浴びたようだが、発売からしばらくして羽田空港で始まった「空弁(そらべん)」で”大当たり”し、瞬く間に福井県を代表する大ヒットグルメ商品になる。
確かに福井の「焼き鯖寿司」は、冷めても硬くも生臭くもならず、ジューシーだ。

「若狭エリア」の道の駅やサービスエリアでは、どちらの「鯖寿司」も買えるところが多いので、機会があれば食べ比べてみるといいと思う。
へしこ

出典:ふくいドットコム
脂の乗った「鯖」を塩漬けにした後、米ぬかに長期間漬け込み熟成させた、福井県若狭地方の伝統的な郷土料理で、冬の保存食として昔から重宝されてきた。
樽に魚を「へし込む(押し込む)」という工程が名前の由来で、云わば『鯖の漬物』のような発酵食品だ(笑)。
軽く水洗いしてぬかを落とし、皮目から香ばしく焼いて食べるのがもっとも一般的で、ご飯にそのまま乗せたり、お茶漬けやおにぎりの具材にする人も多い。
また塩味が効いているため、日本酒や焼酎のおつまみにもなるというが、筆者が食した経験から云うと、食べなれていない都会人は、水で洗って「塩抜き」をしないと、あまりにも塩辛すぎて食べられないし、糖尿病や高血圧の症状がある人には、とてもじゃないが勧められない(笑)。

ちなみに酒と昆布を使って、「へしこ」の旨味を逃さず、塩分だけを程よく抜く方法がネットで見つかったので紹介しておこう。
【手順】
- 糠を落としたへしこを、「酒:水=1:1」の液に浸す。
- そこに昆布を入れ、冷蔵庫で5日~1週間ほど寝かせる。
- 取り出して水気を拭き取り、焼いていただく。
ただの水だと旨味まで抜けてしまうが、酒と昆布を使うことで、浸透圧を利用して「塩を抜きつつ旨味を入れる」ことができるとのこと。
筆者も次回はこれに挑戦したい。
鯖街道には3つのルートがあった

続いては「小浜」と「京都」を結ぶ「鯖街道」についてだが、実は「鯖街道」は、物資や文化を運んだ複数の街道群の総称で、大きく分けると3本のルートがあったとされている。
若狭街道(朽木ルート)

江戸時代にもっとも多くの物資が往来した「鯖街道」のメインルートで、車道換算で長さはおよそ77キロ。
現在は全線が舗装された国道になっており、ドライブやツーリング、そしてサイクリングにも適している。
道中には国指定の重要伝統的建造物群保存地区である「熊川宿」に隣接する「道の駅 若狭熊川宿」と、自然豊かな安曇川沿いに建つ「道の駅くつき新本陣」があり、京都の大原を含めて見どころも多い。
■主な経路
小浜(起点) ⇒ 国道303号 ⇒ 熊川宿 ⇒ 滋賀県高島市朽木 ⇒ 国道367号 ⇒ 花折峠 ⇒ 大原 ⇒ 京都・出町柳(終点)
針畑越え(はりはたごえ)

出典:まるっとおばま
「小浜」と「京都」をほぼ一直線に最短距離で結ぶ、いちばん古くて険しい山岳古道ルートで、本格的なハイキングや歴史トレッキングを楽しみたい人に向いている。

急峻な峠道を越えるため、クルマでの通り抜けは困難(一部通行不能・未舗装・狭隘路)とのことで、「おにゅう峠」などを迂回路を経ておよそ88キロ。

「おにゅう峠」は近畿屈指の紅葉と雲海の名所なので一度通ったことはあるが、もうこりごりだね!(笑)。
■主な経路
小浜(遠敷) ⇒ 下根来(鵜の瀬) ⇒ 針畑峠(福井・滋賀県境) ⇒ 桑野橋 ⇒ 久多 ⇒ 花脊峠 ⇒ 鞍馬 ⇒ 京都・出町柳
西の鯖街道

「周山街道」と呼ばれる自然豊かな丹波高地を越えて、福井県西部から京都へ抜けるルートで、走行距離は約100キロ。

美山の「かやぶきの里」など、日本の原風景を感じられる観光ルートとして、昔からライダーにはよく知られた道だ。
途中にある「名田庄」は、陰陽師「安倍晴明」の子孫が、「応仁の乱」の戦火を逃れて移り住んだ地で、1970年代から1980年代前半にかけて活躍した、伝説的なフォークバンド「ザ・ナターシャー・セブン」のゆかりの地でもある。
■主な経路
福井県高浜町・おおい町名田庄 ⇒ 京都府南丹市美山町(かやぶきの里) ⇒ 京都市京北 ⇒ 京都御所
「小浜」にある鯖街道関連施設

最後に、「小浜市内」にある「鯖街道」の2つの資料館を紹介しておこう。
鯖街道MUSEUM(ミュージアム)

「日本遺産」ガイダンス施設として、 2020年3月8日(鯖の日) に開館。

結論から云うと、ここは展示を見るというより、記念撮影とボランティアガイドによる歴史解説を聞くための施設と思って行くほうがいい。
一番の見ものは、「日本遺産」に登録された「鯖街道」の歴史および、京都から伝わった小浜の伝統芸能や祭礼(放生祭など)を詳しく紹介している映像だろう。
ちなみに館内の様子は、以下の動画が参考になる。
正直なところ、展示は拍子抜けするほど少なく、予習もしないまま初めて「小浜」を訪れる若者が、旅の最初に立ち寄る場所という感じがした。

確かに入口にあるこのトリックアートはユニークだが、展示がその名に見合ってなければ”子供騙し”に終わってしまう。
鯖街道ミュージアム
☎090-5071-4355
入場無料
9時~17時
火曜 定休
※近くに1時間無料の小浜市営大手第1駐車場がある。
ただ… それには理由がなくもない。

実は「鯖街道ミュージアム」には、「旧鯖街道資料館」という〝前身”がある。

この施設は、『鯖街道の起点』に近い「旧いづみ町商店街」で細々と営業していたのだが、小浜縦貫線の道路拡張工事にともない、2019年に取り壊されることになった。
筆者は、このいかにも昭和っぽくて違和感のないノスタルジックさが、「鯖街道」にどこかマッチしていると思っていただけに残念だった。

ただその決定の背景には、この時期に小浜市が進めていた『「中心市街地活性化」および「まちなか周遊観光」の連動プロジェクト』があり、その第一弾として2016年5月に、明治初期の芝居小屋「旭座」を移築・復元した「小浜市まちの駅(旭座)」がすぐ近くに開業している。
いっぽうその直前の2015年4月に、「鯖街道」が「日本遺産(「御食国若狭と鯖街道」)の認定を受けたことで、全国から脚光を浴びることになる。
もしこのタイミングで「旧鯖街道資料館」の取り壊しが決まっていたのなら、「鯖街道MUSEUM(ミュージアム)」は、「まちの駅」の一画に収まっていたのだろうと筆者は思うが、そこには5年近いタイムラグがあり、実現は困難だったのかもしれない。
その結果「旧鯖街道資料館」は、日本遺産ガイダンス施設「鯖街道MUSEUM(ミュージアム)」として、 2020年3月8日(鯖の日) に、「まちの駅」からわずか100メートルほどのところに移設・リニューアルオープンする運びとなった。

なお、純粋に「鯖街道」の詳しい情報が知りたい人には、「若狭街道」の途中にある、「道の駅 若狭熊川宿」に併設されている「鯖街道ミュージアム」のほうが見応えがあると思う。
御食国若狭おばま食文化館

「御食国」としての「小浜」の歴史から「鯖街道」のルート、さらには日本全国の和食文化を学ぶことができる大型施設。

1階のミュージアムは見学無料で、全国51種類のお雑煮や、30種類におよぶ鯖料理のリアルな食品レプリカの展示は見事。
また2階では「若狭塗箸の研ぎ出し」をはじめ、めのう磨き、若狭和紙の紙漉きなど、小浜が誇る伝統工芸の制作体験が有料で楽しめる。

なお3階は日帰りの温浴施設「濱の湯」となっている。ただし天然温泉ではない。
御食国若狭おばま食文化館
☎0770-53-1000
入場無料
3/1-10/31:9時~18時
11/1-2/末:9時~17時
水曜 定休
濱の湯は大人700円
ここは前の波止場の駐車場でそのまま車中泊もできるし、近くに「道の駅わかさ小浜」もあるので、車中泊の旅人には入浴を兼ねて行かれることをお勧めする。
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