剣豪「宮本武蔵」と大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』 ゆかりの地

大河ドラマ宮本武蔵 ゆかりの地 車中泊で歴史旅
出典:NHK

25年のキャリアを誇る車中泊旅行家が、剣豪「宮本武蔵」のプロフィールと、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』のゆかりの地をご紹介しています。

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巌流島

この記事は、1999年から車中泊に関連する書籍を既に10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「車中泊旅行家・稲垣朝則」が、独自の取材に基づきまとめた、『一度は訪ねてみたい日本の歴史舞台』をクルマで旅するためのガイドです。

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※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。


 

~ここから本編が始まります。~

『武蔵 MUSASHI』は、謎多き生涯無敗の剣豪「宮本武蔵」の生き様を、豊かな感性で補い描いた、”秀作”と呼ぶに相応しい大河ドラマ。

剣豪「宮本武蔵」のプロフィールと、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』 ゆかり地

「宮本武蔵」のプロフィールと軌跡

青年宮本武蔵像

「剣豪」と云えば真っ先にその名が挙がる「宮本武蔵」は、稀代の剣士であったことはもちろん、優れた哲学者であり、一流の芸術家でもあったとされている。

そのプロフィールを要約すると、以下のようになる。

本名は「新免武蔵藤原玄信(しんめんむさしふじわらはるのぶ)」
生没日は、1584年頃(天正12年)~1645年(正保2年)
出身地には、播磨国(兵庫県)または美作国(岡山県)など諸説あり

出典:NHK

両手に刀を持って戦う独特の剣術「二天一流」を創始。多くの決闘を経験するも、生涯無敗を貫いたとされる。

■逸話
京都の「吉岡一門」との3度に及ぶ果たし合いにひとりで勝利。さらに「巌流島」では、宿命のライバルで秘剣「燕返し」を操る「佐々木小次郎」との決闘を、自作の木刀で制した。

また単なる武人ではなく、深い思想と、優れた芸術的感性を持ちあわせ、兵法書のほかに水墨画も数多くこの世に残している。

五輪書

とりわけ『地・水・火・風・空』の5巻から成る「五輪書」は、「二天一流」の極意だけでなく、現代のビジネスや人生全般にも通じる戦略・精神論を説いた名文として、海外でも広く読まれており、「宮本武蔵」の国際的な知名度は想像以上に高い。

その反面、「武蔵」は自身に関する史料が少ないにもかかわらず、伝説化されるほどの苛烈な生き様を歩んだ”英雄”であるがゆえに、死後は歌舞伎や浄瑠璃、あるいは小説などにたびたび描かれ、史実に大きな尾鰭が付いているものも多い。

大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』

吉川英治文庫 宮本武蔵

この本は、歴史小説の第一人者として、数々のベストセラーを世に送り出した「吉川英治」が、剣豪「宮本武蔵」のイメージを日本人に植え付けたとも云われる不朽の名作だ。

たぶん筆者は中学生の時に買って読んだのだが、それはもはや50年近く前の話。

記憶は、既に文字がかすれて読めないほど劣化していた(笑)。

だが、2003年に放送されたNHK大河ドラマ『武蔵MUSASHI』の原作に使われたことで、それが再び蘇ってきた。

大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」は、映画「戦国自衛隊」、TBS系ドラマ「男女7人夏物語」などのヒット作を手がけた「鎌田敏夫」氏が脚本を担当し、原作にはなかった、「巌流島」の決闘以降の「宮本武蔵」を描いたオリジナルのストーリーをつけ加えている。

出典:NHK

ドラマでは「関ヶ原」で敗れた若武者「武蔵(たけぞう、後にむさし)」が、放浪と修行に明け暮れ、数々の剣豪との決闘を通じて、「剣の道」から「人としての道」へと歩んでいく姿が描かれているが、そのキャストがすごい!

NHKテレビ放送開始50周年、大河ドラマ40周年記念作品にあたるこのドラマは、主演の「武蔵」を「七代目市川新之助(今の海老蔵)」が演じ、「武蔵」の幼馴染みの「本位田又八」に「堤真一」、恋人の「お通」役には「米倉涼子」、宿敵「佐々木小次郎」には元TOKIOの「松岡昌宏」が抜擢されている。

さらに小次郎の恋人「琴」役は「仲間由紀恵」、その死後に「小次郎」の恋人となる「お篠」に「宮沢りえ」を配するなど、『豊臣兄弟』と違って知らない名前がないというのは驚異的だ(笑)。

また周りを固める、中堅どころの役者陣にも錚々たるメンバーが揃っている。

出典:NHK

沢庵(たくあん):渡瀬恒彦/新免無二斎:ビートたけし/柳生宗矩(むねのり):中井貴一/お杉:中村玉緒/朱実(あけみ):内山理名/お甲:かたせ梨乃/柳生兵庫助(ひょうごのすけ):髙嶋政伸/吉岡清十郎:榎木孝明/吉野太夫:小泉今日子/徳川家康:北村和夫/淀殿:若尾文子/真田幸村:中村雅俊 ほか

上のPR動画でも若き日の俳優陣が垣間見られるのだが、今はいい時代で、全話が「NHKオンデマンド」か、U-NEXTを通じて配信されており、有料とはいえ、好きな時に見ることができる。

筆者もこの記事を書くために、全49話を2週間ほどかけて見直した。

これまでに訪ねたゆかりの地

出典:NHK

これは「武蔵 MUSASHI」に限ったことではないが、大河ドラマは実にうまく”ゆかりの地”を掘り起こしてくれている。

もちろん中には、どこまで実話なのか定かではないものもあるが、歴史学者でもない旅人にとって大事なのは、『そこを訪ねてみたい!』という衝動が湧くかどうかだ。

宮本武蔵ゆかりの「あじさい寺」

もちろんそれはストーリー次第なのだが、「受け皿」となる現地に、石碑のひとつもないようでは興冷めだ。

前述したように今はサブスクで、いつでも”見直し”ができる時代だけに、『もう20年以上前の話だから』は関係ない。

だが、それが分かっていない行政が多いのは、嘆かわしいうえにやるせない。

武蔵の里

溜ったままのホコリを払い、傾きかけた杭や塀を立て直し、地道に『そこを訪ねてみたい!』という旅人の気持ちに応え続けていれば、『NHKがくれた観光資源』が枯渇することはない。

ということで、

ここからはこれまで訪ねてきた「宮本武蔵」、というより大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」のゆかりを地を紹介していくとしよう。

武蔵の里 岡山県美作市

武蔵の里

そのトップバッターは、「宮本武蔵」の生誕地とされる、岡山県の美作市にある「武蔵の里」だ。

ここはちょっとした「宮本武蔵テーマパーク」になっていて、特に大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の色彩が強いので、見ていた人には懐かしいと思う。

姫路城

出典:NHK

大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の中で、「武蔵」は故郷の村で濡れ衣を着せられたうえに捉えられ、一度は「お通」に助けられて逃亡するも、途中で崖から落ちて再び囚われの身となる。

その後、姫路藩主「池田輝政」と親交のある「沢庵和尚」に預けられて「姫路城」へ移され、そこで様々な修練を課せられるが、途中で信じる強さを求めて逃亡した。

出典:NHK

しかし「たけぞう」の剣士としての才を高く買っていた「池田輝政」は、その将来に期待して逃亡を許し、「宮本武蔵」の名を「沢庵和尚」に託して授ける。

だが、この一連の話は”脚色”のようだ。

出典:NHK

まず「沢庵」と「池田輝政」の関係だが、「池田家」は「臨済宗」との結びつきが強く、「菩提寺」や帰依僧を通じて高僧との交流があったことから、『只者ではない』と云われた「沢庵」の名を知っていた可能性は高いとされるが、両者に面識があったかどうかは定かでない。

いっぽう「武蔵」と「池田輝政」との関係も、「武蔵」が若い時期に姫路城主だった「池田輝政」の元に身を寄せていた、あるいは「池田家」に仕えていたという説は存在するものの、「輝政」が「名付け親」であるという明確な史料は見当たらない。

まさに、”絶妙”とも云える間を突いたストーリーと云うほかあるまい(笑)。

出典:お城めぐりFAN

そしてこちらは、姫路城内の3階部分に今もある「隠し部屋」だが、2003年の「武蔵 MUSASHI」放送期間中には、ご覧の人形が置かれ、『宮本武蔵幽閉「開かずの間」』として公開されていたという。

これも気の利いた演出だと思うが、筆者は実物を見ていないので、できれば今も残しておいて欲しかった。

三十三間堂と一乗寺下り松(京都市)

一乗寺下り松

続いてのゆかりの地は、「宮本武蔵」が剣豪の名を一気に高めた、「吉岡一門」との戦いの舞台だ。

「吉岡一門」は、もともと室町将軍家に仕えた御所方剣術師範で、当時の京都随一の剣術名門道場として知られていた。

「武蔵」はその”道場破り”に訪れるのだが、一般的に両者の間には、都合3度の戦いがあったとされている。

出典:NHK

しかし大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」には、その”前哨戦”が描かれており、実は初戦で、「武蔵」は道場の当主格である「吉岡清十郎」に敗れている。

この話は「武蔵」が自ら生涯無敗と記している「五輪書」と矛盾するため、創作されたエピソードという見方が多数だが、ドラマの中では、後の「柳生一族」との関係を紐づける、重要なファクターとなっている点がおもしろい。

大河ドラマでは、この敗北の直後に、「武蔵」は「柳生の里」を訪ね、「一刀斎」から指南を受けて京へと戻る。

さて。

出典:NHK

世に云う「宮本武蔵と吉岡一門の戦い」の第一ラウンドは、京都の「一乗寺」付近で行われた「吉岡清十郎」との一騎討ちだ。

敗れた「清十郎」は、肩に重症を負って右腕を失い、隠居を余儀なくされた。

その結果、吉岡家の「看板」は大きく傷つき、リベンジマッチが行われる。

リベンジマッチの相手は、「清十郎」の弟で、前哨戦で敗れた「武蔵」を逃がしてくれた「吉岡伝七郎」だった。

ドラマでは、その舞台が「三十三間堂(蓮華王院)」の長い縁側とされているが、現地にはそれに関する表示は見当たらず、実際の決闘場所は京都洛外と伝えられているようだ。

出典:NHK

結果は「武蔵」が返り討ちを果たし、伝七郎はそのまま命を落とす。

これにより「吉岡一門」の恨みは決定的となり、”弔い合戦”が避けられなくなった。

出典:NHK

ファイナルラウンドは、名目上の当主に「吉岡清十郎」「伝七郎」の弟で「吉岡家」の三男にあたる少年「又七郎」を立てた、吉岡一門総出との戦いになったが、「武蔵」が奇襲で「又七郎」を最初に斬り、包囲網を突破して脱出する。

さすがにここまで来ると、「宮本武蔵と吉岡一門の戦い」は史実なのかが疑われてくるのだが、「吉岡一門」は実在し、「吉岡清十郎」「伝七郎」は史料にも登場する。

また「吉岡一門」は急速に衰退していることも判明しているため、最終戦以外は本当にあった話と考えられているようだ。

ただ京都には、エピソードを今に伝える証がほとんど残されておらず、わざわざ行くまででもないと思う。それより、筆者のお勧めは次の「柳生の里」だ。

柳生の里(奈良市)

出典:NHK

「柳生の里」は、史実では「宮本武蔵」との関係がほとんどないように云われているのだが、大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」では登場回数が多く、「柳生一族」と「武蔵」との絡みもずいぶん深い。

ここは奈良県の観光名所でもあるので、別途記事を設けている。

巌流島(山口県下関市)

巌流島

「宮本武蔵」ゆかりの地の中で、一般的にもっとも有名な場所といえば、やはり「佐々木小次郎」との決闘が行われた「巌流島」だろう。

巌流島

関門海峡に浮かぶ「巌流島」は、下関市の「彦島江の浦」の東岸から約250メートルの沖合に位置する、一周1.6キロほどの無人島で、山口県側の「唐戸桟橋」や、福岡県側の「門司港」から、観光船でおよそ10分のところにある。

そしてこの海域は、平安時代末期に「源平合戦」の決着がつけられた、「壇ノ浦」と重なっている。

決闘当時、「巌流島」は「船島」と呼ばれていたが、後年に「佐々木小次郎」の流派の名で、その異名でもあった「巌流」が島名として定着し、昭和になって正式名として採用されている。

出典:NHK

この戦いで「武蔵」は、船の櫂(かい)を削って作った、「小次郎」の長刀よりわずかに長いとされる木刀での一撃で、勝利を手にした。

だが、そもそも、なぜここで両者が相まみえることになったのか…

大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」では、ハイライトとも呼べるこの戦いに強いスポットライトを当てるべく、既に京都で「吉岡一門」と戦うあたりから「小次郎」が登場し、「武蔵」とニアミスを繰り返すのだが、ここで「佐々木小次郎」についても少し触れておこう。

佐々木小次郎 岩国

この「小次郎」像は、有名な「錦帯橋」の近くに立てられているのだが、地元・岩国では、古くから「佐々木小次郎」が「錦帯橋」のそばで、秘剣”燕返し”を編み出したという伝承があるという。

しかし「佐々木小次郎」本人に関する一次史料はほぼ存在しないため、実在は確実視されているが、その出生から死すまでのプロフィールは謎に包まれたままで、後世に伝えられている人物像は、「吉川英治」の「宮本武蔵」に大きく起因している。

冷静沈着で理詰めの剣を使う、武蔵とは対照的に「正統派」「貴公子型」の剣豪。

出典:NHK

大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」で「佐々木小次郎」役を演じたのは、当時26才だった元TOKIOの「松岡昌宏」だが、まさに”はまり役”という感じがした。

さて。

現在の研究によると、「武蔵」と「小次郎」は、世間の評判を通じて互いの名前と腕前は知っていたが、実際に会うのは「巌流島」が初めてだったようだ。

出典:NHK

「巌流島の戦い」は「小倉藩(細川家)」のもとで行われた公式性の高い立会いで、「佐々木小次郎」は「細川家」の剣術指南役格の剣客、そして「宮本武蔵」は浪人剣士として対峙したとされている。

分かりやすく云えば、この試合の表向きは、「細川家」の正規の剣術指南役の座をかけた”タイトルマッチ”で、暫定チャンピオンが「佐々木小次郎」、そして挑戦者が「宮本武蔵」という位置づけになる。

ただ諸説の中には、そもそも当時の「船島」は小倉藩の所領ではなかったため、そこに他藩の役人が立ち入ることは不可能で、「巌流島の戦い」は「宮本武蔵」と「佐々木小次郎」が、『他人の土地に無断で侵入して、勝手に果たし合いを行っただけ』というものもある。

そうなってしまうと後が続かなくなるのだが(笑)、筆者がすごいと思うのは、この戦い以降の大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の展開だ。

ドラマでは第38話で「巌流島の戦い」が描かれているのだが、最終回は第49話。

以下のサイトにその全話のサムネイルが記載されているが、実際に残る史実は”スカスカ”で、そこを埋めるのは相当難しかったに違いない。

前述したように、その部分は脚本家による創作のようだが、「武蔵」と「小次郎」の対決の背後に「柳生宗矩」を絡ませ、単なる「細川家」の行事ではなく、2重3重の伏線を引くことで、ドラマに”立体感”をもたらせている。

出典:NHK

父「柳生石舟斎」のあとを継いで、「柳生家」を「徳川家」の兵法指南役へと押し上げることに成功した「柳生宗矩」は、幕府の中枢として「武蔵」を『戦いの世の亡霊』に仕立てるべく、「細川家」に圧力をかけて、「小次郎」とともに”相打ち”に見せかけて抹殺しようと図ったり、独自の価値観で日々平穏に暮らそうとしている”宮本村”への襲撃を指示する。

さらに「大坂冬の陣」では、まさに”ドリームマッチ”が如く、「宮本武蔵」との対決シーンまで描かれているが、「真田幸村」の登場も含めて、さすがにちょっとやりすぎとは感じた(笑)。

2008年の「篤姫」が、『大河ドラマは時代劇ではなく、ホームドラマ』と揶揄された最初の作品と云われているようだが、「武蔵 MUSASHI」にもその片鱗は十分あったと思う。

霊巌洞(熊本市)

出典:NHK

というような流れがあって、「武蔵 MUSASHI」の最終回は、熊本の「細川家」に身を寄せた晩年の「武蔵」の話になるのだが、実際はどうだったのだろう。

「武蔵」の軌跡を辿ると、「巌流島の戦い」以降は表立った真剣勝負の記録はなく、どの大名家にも仕官せず、兵法者として各地を訪問し、芸術家・文化人としての人生を歩んだようだ。

「宮本武蔵」が正式に「細川忠利」の客分となったのは1638年で、1612年の「巌流島の戦い」から26年を経てからのこと。

「細川家」は1632年に豊前小倉から肥後熊本へ移封され、家督も「忠興」から「忠利」へと譲られているが、「武蔵」と「細川忠興」の間には「巌流島の戦い」をきっかけに親交は続いていたようだ。

1640年から亡くなるまでの5年間、「武蔵」は「細川忠利」のもとで政治や統治思想に影響を与える正式な客分として厚遇され、「忠利」の死後も、次代藩主「細川光尚」によって変わらぬ待遇が継続された。

出典:NHK

「武蔵」は60歳を迎えた1643年から約2年間をかけて、熊本の「霊巌洞(れいがんどう」で執筆し、没する直前に「五輪書」完成させたと云われている。

ただ「武蔵」直筆の「五輪書」は見つかっておらず、消滅している可能性が高い。

そのため現代見られるものは、主に弟子や関係者の写本になる。

残念なことに、筆者は「霊巌洞」には足を運べていないのだが、代わりに熊本市にある「島田美術館」を訪ねてきた。

島田美術館

「島田美術館」は「武蔵」の研究家として知られる「島田真富」氏が収集した、「宮本武蔵」の貴重な遺墨(書画)や遺品を多数収蔵・展示している私設美術館で、その中には「武蔵」が「吉岡一門」との対決の際に使用したとされる、刀剣「無銘 金重」も含まれている。

最後に。

筆者は車中泊で『大河ドラマのゆかりの地めぐり』を楽しんでいるが、このコンテンツと車中泊の愛称はすこぶるいいと思う。

もしマイカーで同じような旅をされているのなら、車中泊にチャレンジする価値は大いにあるだろう。

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