世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の本当の価値と見どころ 【クルマ旅のプロが解説!】2013年1月更新

宗像大社福岡県の世界遺産

【2023年1月更新】
車中泊旅行歴25年のクルマ旅専門家がまとめた、世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の本当の価値と見どころに関する情報です。

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この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
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世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』は、古代ヤマト政権の外交戦略を解き明かす鍵

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の筆者の歴訪記録

※記録が残る2008年以降の取材日と訪問回数をご紹介。

2017.12.29
2021.12.25

※『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』での現地調査は2021年1月が最終で、この記事は友人知人から得た情報及び、ネット上で確認できた情報を加筆し、2023年1月に更新しています。

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の本当の価値と見どころ

海の駅宗像

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』のロケーション

日本のゲートウェイ

世界遺産=日本の名所の時代は終わった…

沖ノ島の価値

ヤマト政権とは

宗像三女神の「生い立ち」

宗像大社の存在意義

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』のロケーション

玄界灘マップ

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』は、西九州の海岸線に面した「玄界灘」の東の端にあたる、「宗像(むなかた)」の町にある。

このマップをよく見ると、海岸線に「元寇」あるいは「名護屋城跡」という文字が見つかるが、それより以前の古代から、「玄界灘」沿岸部は朝鮮半島と中国、さらに東シナ海に通じる”日本のゲートウェイ”という宿命を背負ってきた。

日本のゲートウェイ

”ゲートウェイ”は、広義では「玄関」という意味で使われている言葉だが、本来はIT 用語で「規格の違うネットワークを中継する機器」を意味しており、簡単にいうと「ネットワークの通訳」的な位置付けだ。

その意味からすると、弥生時代から中世・近世・さらに現代にいたるまで、朝鮮半島と中国、そして大航海時代には欧米との文化交流のみならず、紛争の舞台にもなってきた玄界灘沿岸は、まさに”日本のゲートウェイ”と呼ぶにふさわしい。

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』を理解するには、この「玄界灘」沿岸というロケーションがもっとも重要だ。

極端に云えば、そこに世界遺産と認められるに至った「すべての理由」が秘められている。

世界遺産=日本の名所の時代は終わった…

金閣寺

認定が始まった当初の日本の世界文化遺産は、金閣寺や法隆寺、あるいは白川郷といった「日本人なら誰もが知っているメジャーなところ」が大半で、「観光地としての素地」が既に出来上がっていた。

石見銀山

だが島根県の「石見銀山遺跡」以降、日本の世界文化遺産は「ひとめ見ただけで、なるほど!」と思えるものばかりではなくなり、観光地とは限らなくなっている。

この『神宿る島』もその類で、「世界遺産に指定されるほどの価値が、いったいどこにあるのか」を知らなければ、「何ひとつおもしろくないところ」になる可能性は高い(笑)。

しかもそれはよくYoutubeにある、「1分で分かる」とか「5分で解る」というような浅くて簡単なレベルではない。

海の駅みなかた

ゆえに、できれば行く前に2017年11月3日に放送された、「歴史秘話ヒストリア 沖ノ島~日本はじまりの物語~」を見るか、現地で最初に「宗像大社・辺津宮」の隣に建つ「海の道むなかた館」に足を運ばれることをお勧めする。

「歴史秘話ヒストリア 沖ノ島~日本 はじまりの物語~」のストーリー(映像ではなくテキスト)

宗像大社

それが難しいという人は、スマホでこの記事を見て、多少なりとも理解を深めてから、宗像大社の鳥居をくぐろう(笑)。

沖ノ島の価値

出典:神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群保存活用協議会

さて、ここからが本論になる。

『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』のキーワードは「祭祀」だ。

孤島である沖ノ島には、ヤマト政権(大和朝廷)があった畿内から朝鮮半島まで、海上航海の無事を祈願する儀式の「500年間にわたる変遷の跡」が残されていた。

そして、その際に使われた品々から、古代日本と東アジアの交流の歴史が解明されつつある。

沖ノ島の祭祀跡と出土品

出典:ユーラシア旅行社

その沖ノ島は、島そのものがご神体で信仰の対象とされており、今でも立入禁止だ。

ゆえに観光客が行けるのは手前に浮かぶ大島までで、大島の北側の海辺に沖津宮遙拝所が設けられており、その社殿が沖ノ島を拝む拝殿の役割を果たしている。

大島へは、「宗像大社・辺津宮」からクルマで5分ほどのところにある新湊港渡船ターミナルから船で渡れる。

確かにここまでは興味深い話だ。

しかし「祭祀」のためだけに500年間も沖ノ島が守られてきたという話には、さすがに違和感を覚える。

今から500年前と云えば1523年。日本はまだ室町時代で、今川義元が生まれたばかりの頃になる。

「どうする家康」どころじゃない(笑)。

宗像大社

さて。

この世界遺産を複雑怪奇にしているのは「宗教」だ。

そして「宗教」を日本の為政者が、政治や政争の道具にしてきたのは周知の事実。

それを踏まえて、この時代の様々な「史実」を組み合わせていくと、日本の古代の真実が浮かび上がってくる。

沖ノ島での祭祀の始まりは、「邪馬台国」消滅後の4世紀後半と推定されており、「ヤマト政権」の創世記に実在したとされる「倭の五王」が、積極的に海外に進出し始めた時期と符合する。

ヤマト政権とは

ウィキペディアによると、「ヤマト政権」は奈良の大和および大阪の河内(かわち)を中心とする諸豪族の連合政権。

大王(おおきみ)と呼ばれた首長を盟主に、畿内から4世紀中頃には西日本を統一し、4世紀末には朝鮮半島にまで進出した。

種々の技術を持つ渡来人を登用し、5世紀末から6世紀頃には部民制・氏姓制度による支配機構を確立し、国・県(あがた)による地方統治組織を整備して、「大化の改新」を踏み台に律令国家へと発展を遂げた。

ということは…

「ヤマト政権」にとって、海上の重要拠点である沖ノ島は、航海の安全を祈る場であると同時に、ライバルには使わせたくない場所だったはずだ。

現代人が見ればボートのような小舟が、玄界灘を通って朝鮮半島まで行く際に、もしかするとこの島は、何らかの重要な価値を有していたのではないだろうか…

だが何の変哲もない無人島に、武器を持った逞しい番人を置けば、「ここには何かある」と、わざわざライバルに教えているようなもの。

聖徳太子のご先祖様が、そんなオマヌケであるはずがない(笑)。

そこで沖ノ島を、「畏れ多い聖域」に仕立て上げることで、誰もが自ら近づかないようにする作戦を思いついた。

そしてもし、「祭祀」がそのことを隠すカムフラージュだったとしたら…

眠りかけていた歴史の授業が、突然ミステリードラマに変わるくらいの、インパクトを受けるはずだ。

いささか乱暴かもしれないが、南九州の「天孫降臨神話」や、出雲に残る「国譲り神話」の舞台をじっくり歩いてきた筆者は、古代の「ヤマト政権」の手口を見慣れており、この推理がまったくの見当違いとは思っていない(笑)。

宗像大社

では「宗像大社」と「祀られてる女神様」は、何なんだ?

ここで再び「宗教」が絡んでくる。

途中休憩にコマーシャルでも(大笑)。

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宗像三女神の「生い立ち」

さて。宗像大社は実はここからが面白い。

「ヤマト政権」が信奉する神様と云えば、日本人の大好きな「アマテラス様」だ。

現在この世界遺産には、宗像三女神<田心姫神(たごりひめのかみ)、たぎ津姫神(たぎつひめかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめ)が祀られているのだが、土着の古代人が沖ノ島を自然崇拝の対象としていたことは、祭祀の痕跡からも明らかだ。

伝承に依れば、宗像地方と響灘西部から玄界灘全域に至る、膨大な海域を支配していたのは海洋豪族(海人族)の宗像氏で、彼らが危険の伴う航海や漁労の安全、さらには生活の安定を祈って、沖ノ島に神が降臨する磐座を設け、今日まで守り続けてきたという。

しかし、なぜそこに・そしてどのような理由から女神様が登場してきたのか… 

その経緯を紐解く鍵は、三女神の「生い立ち」にある。

国家創世記の神話によれば、彼女らはアマテラスとスサノヲの誓約(うけい)から生まれ、「海北道中(宗像より朝鮮半島に通じる道)」に降臨するのだが、この時にアマテラスは宗像三女神に「神勅」を与えている。

宗像大社

その証がこの扁額(へんがく)で、直訳すれば「(筑紫に降臨し)天孫を助け、よく祭祀を受けよ」。

この扁額は現在も宗像大社に掲げられているのだが、まさにこれが「ヤマト政権」と宗像氏の関係を示す手がかりといえる。

アマテラスを皇祖神とする「神様の体系」が整備されたのが、古事記と日本書紀が編纂される8世紀であることを考えれば、謎は蝶結びをほどくがごとく簡単に解ける。

つまり、宗像三女神は「ヤマト政権」のシナリオライターによって創世・後付けされた存在で、宗像氏はそれを受け入れることで、アマテラスの威光と「ヤマト王権」の権威をまとい、国家祭祀を執り行う氏族としての地位を確立したということだ。

何よりおもしろいのは、女人禁制の沖ノ島に女神様が祀られていること。いちばん最初に掟(おきて)が破られているのだから、支離滅裂~!(笑)

ただ強力なバックがついたことで、500年間に及ぶ貴重な記録が現代に伝えられたことを思えば、それは結果的に悪いことではなかった。

ちなみに、世界遺産に認定されるほどの大きな功績を遺した宗像氏は、朝廷の権力が衰えた戦国時代に滅亡し、その後、九州は豊臣秀吉による平定を迎える。

宗像大社の存在意義

宗像大社

これまでの話の展開でおわかりだと思うが、筆者は「宗像大社」も沖ノ島の秘密をカモフラージュしてきた、ヤマト政権の戦略拠点だとしか思っていない。

誰もが常に身近に「畏怖」を感じるビジュアルを用意することは、この時代の定石で、ヤマト政権の象徴である「前方後円墳」はその典型と云われている。

ちなみに宗像大社は、国の重要文化財と世界遺産の構成要素に認定されているが、国宝ではない。

新宝館

国宝に指定されているのは、宗像大社の「神宝館」に収蔵されている8万点に及ぶ沖ノ島からの出土品で、本当は国もそこんところをよく解っている(笑)。

というわけで、ご利益やらパワースポットといった後世に客引き用に作りあげられた話は、やたらとそういうのが好きな「現代の御師」こと、若いライターさんにお任せしたい。

ただクルマに装着する交通安全のお守りは、宗像大社が発祥であるという話は、あまりにもよくできていて笑えた。

それにしても海から陸まで、よくもまあ思いつくもの。

むしろその商魂にこそ恐れ入る(笑)。

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