「クルマ旅専門家」・稲垣朝則が、10年以上かけてめぐってきた全国の温泉地を、「車中泊旅行者の目線」から再評価。車中泊事情や温泉情緒、さらに観光・グルメにいたる「各温泉地の魅力」を、主観を交えてご紹介します。
道後温泉は松山の市街地にある。
「いで湯と城と文学の町」というのは、松山市の観光PRで用いられているキャッチコピーだが、道後温泉の観光事情は、松山市のそれとほとんど変わらない。
松山という町はコンパクトにまとまっていて、無駄なく周れば、一泊二日でもこの3つのコンテンツを十分堪能することができる。
だが、道後温泉が組み込まれたバスツアーを見ると、立ち寄り先はせいぜい松山城くらいで、そそくさとこの町を出て、やれ「しまなみ海道」だ「高知」だと先を急いでしまうようだ。
それでは「坂の上の雲」を知る旅人にとって、物足りないのは当然(笑)。ゆえにここでは、「いで湯と城と文学の町」松山をフルパッケージで紹介しよう。
道後温泉界隈
道後公園(湯築城跡ゆづきじょうあと)
道後温泉のすぐ隣にあるので「気になる場所」だと思うが、ここは豊臣秀吉による「四国征伐」以前に、松山を支配していた河野氏の居城跡。
歴史学上、希少な遺跡であることは想像できても、この公園を魅力的にガイドするのは難しい。
江戸時代の天守が残る、伊予松山城
徳川家ゆかりの松平定行が城主になったのは1635年。それ以降、明治維新までの235年間にわたり、松山は四国の親藩大名としての役目を担ってきた。
司馬遼太郎の長編歴史小説、「坂の上の雲」ゆかりの地
日本が近代国家へと歩み始めた明治時代。松山に3人の男がいた。
後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之(さねゆき)、その兄で日本騎兵の父となる好古(よしふる)、そして俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。
彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく…
歴史作家・司馬遼太郎の代表作のひとつとされるこの作品は、1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて「産経新聞」に連載され、その後単行版全6巻(文藝春秋、初版1969年~1972年)、文庫版全8巻(文春文庫、初版1978年、島田謹二解説)で刊行された。
しかし、日本人の多くが「坂の上の雲」という作品を知ることになったきっかけは、テレビだろう。
2009年11月29日から2011年12月25日まで足掛け3年にわたり、NHK「スペシャルドラマ」として放送された「坂の上の雲」は、3部構成の全13話。
NHKの「プロジェクトJAPAN」の一環に位置づけられ、国内では、愛媛・長野・茨城・奈良・福島・愛知・神奈川・静岡・広島・岡山・滋賀・熊本など、さらに海外は日露戦争の舞台となった中国やロシア、さらにはアメリカ、イギリス等で3年に及ぶロケが行われた。
また、戦闘シーンは、CG(コンピューター・グラフィックス)をフル活用し、映画さながらのリアリティーを実現している。
配役は、主役の本木雅弘(秋山真之)、阿部寛(秋山好古)、香川照之(正岡子規)のほか、西田敏行、石坂浩二、高橋英樹、渡哲也、伊東四朗、加藤剛、小澤征悦、竹下景子、松たか子、菅野美穂などの豪華キャスト。
もちろん制作費は大河ドラマを上回るケタ違いの規模であった。
さすらいの俳人・種田山頭火、臨終の地「一草庵」
愛媛県指定無形文化財 砥部(とべ)焼
「道後ハイカラ通り」で見かける砥部焼(とべやき)は、愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器で、愛媛県指定無形文化財に指定されている。
国号33号線沿いにある「砥部焼観光センター炎の里」に行けば、その製造工程のすべてが見学できる。