中高年が思う、知覧(ちらん)という町

知覧 武家屋敷鹿児島県の観光地
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この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
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「知覧」は異なる2つの顔を持つ町

知覧

知覧の武家屋敷群を「薩摩の小京都」と紹介しているサイトは多いが、学生時代に京都に住み、その後も40年近く足を運びながら、四季折々の京都を見てきた筆者の目には、まったくそんなふうには映らない。
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御所

そもそも京都は帝が住む町で、武士は平清盛の率いる平家でさえ、「六波羅」と呼ばれる平安京の外に屋敷を構えていた。

端正な町並みが残るという「インスタ目線」から知覧を紹介して、いったい何が伝わるのか…

薩摩は、島津家が一度も他に支配を譲ることなく君臨してきた、日本で唯一無二の土地。徳川家でさえ、最後は江戸を追われ、静岡県の駿府に封じ込まれているのにだ。
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国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている、江戸時代からの「武家屋敷群」

出典:日本遺産「薩摩の武士が生きた町」魅力発信推進協議会

江戸時代の薩摩藩は、領地を「外城」と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である「御仮屋」を中心に「麓」と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく、分散して統治にあたらせていた。

「麓」が生まれた背景

前述の添付ページ「5分で分かる、薩摩藩(島津家)の歴史」で触れたとおり、戦国時代の末に九州全土を平定する勢いだった島津氏は、豊臣秀吉に敗れて領地を大幅に召し上げられたが、武士の数だけは減らさなかった。

そのため全人口のおよそ4分の1を武士が占め、本城である鹿児島城下にそのすべてを集住させることができず、各地の山城の周辺に「麓」をつくり、そこに武士団を常駐させる、薩摩藩独自の外城制度を生み出した。

知覧はその中のひとつだ。

知覧

「知覧麓」の武家屋敷群は、薩摩の「麓」の典型的な形態で、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる、石垣と生垣からなる景観に優れ、歴史的にも文化的にも高い価値を有することから、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

筆者が思う知覧の武家屋敷群の面白さは、「武士の暮らしそのものが見えること」にある。

分かりやすく云うと、万一の戦に備えた戦闘機能を有しつつ、平穏時には感性を磨くことを忘れない。すなわち「文武両道」、まさに武士のあるべき姿だ。

知覧 武家屋敷

たとえばこの門をくぐったところに立つ石垣は、「屏風 (ひんぷん) 」と呼ばれる琉球由来のもので、沖縄の魔物は角を曲がるのが苦手なため、直進して入ってこないように魔除けの意味を持つという。

だが知覧では、屋敷の中に弓矢を射られるのを防ぎ、また侵入しようとする敵を分散させることが目的だ。

知覧 武家屋敷

またこの「イヌマキ」という針葉樹の生垣は、風通しがいいだけでなく、外から中は見えづらく、逆に中から外は見やすい特性があり、さらに柔らかくてよじ登ることができないそうだ。

知覧 武家屋敷

いっぽう、こちらは庭。

知覧には7つの武家屋敷に立派な庭があり、そのうち6つは枯山水だ。

枯山水は実際の水を用いずに、石や砂などで山水の風景を表現する様式で、有名なのはエリザベス女王も絶賛した、京都の世界遺産「龍安寺」の石庭だろう。

そもそも池泉式も枯山水も、日本の庭園は高貴な身分の人間が豊かな感性を磨くための場で、知覧に残る武家屋敷の庭も、たぶん原点はそこにある。

つまり、ここに住んでいた人々が、「のほほ~ん」と優雅な生活をおくっていたはずはなく、日々、今で云う「自己啓発」に励んでいたに違いない。

だからこそ、薩軍は日本のどこより強かったし、西郷隆盛を筆頭に多くの人格者を輩出している。

その暮らしぶりを心眼で見つめ、いい刺激を受け取って帰る。

これが、知覧の武家屋敷の正しい見方なのでは?

知覧武家屋敷 オフィシャルサイト

「遊びに来てるのに、そういうのはうっとうしい」と思う人は、まず次の特攻隊のズシッと重たい話に耐えられるはずはあるまい(笑)。知覧に行くこと自体が間違っている。

知覧特攻平和会館

ゼロ戦

「特攻」とは「特別攻撃隊」のこと。片道の燃料と爆薬だけを積み、戦死を前提に、このゼロ戦に乗って敵艦へ突撃した部隊のことを指している。

知覧特攻平和会館

旧陸軍知覧飛行場跡の一画に建てられた「知覧特攻平和会館」には、実際の「特攻」に使われ、海底から引き上げられたゼロ戦とともに、知覧特攻基地から出撃した、1036人の若い隊員たちの遺影や遺書、手紙、遺品が展示されている。

出典:鹿児島県観光連盟

さて我々はここで、どんな顔をすればいいのだ?

確かに明日「特攻」で飛び立つ若者が、親に宛てて綴った最後の手紙を読んで、涙しない日本人はいないと思う。

もちろん切なく、虚しく、辛い。それが戦後生まれの日本人の「常識」だ。

だが、当の本人の手紙にはそういう節など微塵もなく、健気というよりむしろ、誇らしささえ感じられるものもある。

実はそれが、戦時中の軍人の「常識」だった。

浦上天主堂

「常識」というのは、ある意味「宗教」のようなもので、まさに「信じるものこそ救われる」。もちろんここで救われるのは、「命」ではなく「気持ち」だ。

死を明日に控えて「なんで、俺がこんな目に遭わなきゃいかねん!」なんて思っていたら、出征できるはずはなく、そういう邪念から精神を開放し、ポジティブに考えられる自分になるしかない。

たとえそれが「軍国主義」であっても、精神の救済が受けられるのなら、間違っていると感じていても、残された僅かな時間の中では甘んじて受け入れ、そこに死する意味を見出す。

俳優として「特攻」役をするとしたら、たぶんそこから始めないと、演じ切ることは難しいと思う。またそれが息子だったとしたら、本人の意思を尊重してやることが、自らの精神の救済でもあるのだろう。

いずれにしても、我々にできるのは過去の日本から「学ぶ」ことしかない。

とするなら、日本は戦争に負けてよかったと思う。

もし勝っていたら、今の北朝鮮や中国どころではない恐ろしい国になって、もっと多くの悲劇を生んでいたかもしれない。

とどのつまり、国を良くするのも、悪くするのも為政者という「人間」。また為政者が行う「政治」が教育の内容を決め、それが民衆の「常識」となり、想像もできないことをも引き起こす。

それは江戸時代でも、昭和でも同じこと。

知覧には、そのいい教材と悪い教材が揃っている。

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