この記事は、車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、全国各地からセレクトした「クルマ旅にお勧めしたい100の旅先」の中のひとつです。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
長崎は、坂本龍馬「結実の地」
幕末の志士・坂本龍馬が、その生涯の中でもっとも光輝いた時期は、この長崎で過ごした日々といわれている。
長崎に残る「坂本龍馬ゆかりの地」を辿る【目次】
坂本龍馬と長崎の出会い
坂本龍馬は「神戸海軍操練所」が開設された1864年(元治元年)に、師匠の勝海舟に伴われ、初めて長崎の地を踏んでいる。
ただここから始めると、話があまりにも長くなりすぎるので(笑)、龍馬と勝海舟の出会い及び「神戸海軍操練所」については、後ほど以下の記事をご覧いただければ幸いだ。
坂本龍馬が勝海舟と同伴した際に宿泊したのは、在留華僑がキリスト教でない証しとして1628年に建立した、長崎三福寺のひとつにあたる黄葉宗「福済寺」と伝えられている。
当時、三福寺随一のスケールを誇った大伽藍では、シーボルト夫妻や勝海舟と坂本龍馬などを迎えた宴会が催されたというが、1945年(昭和20年)の原爆投下で、数々の国宝建築物は焼失してしまった。
現在の「福済寺」のシンボルである、高さ18m(地上から34m)の巨仏「万国霊廟長崎観音」は、原爆殉難者の冥福を祈って1979年に建立されたものだ。
また隣接する日蓮宗「本蓮寺」は、長崎江戸町に設けられた「海軍伝習所」の首班として赴任していた当時の勝海舟が約4年間住んでいた場所で、龍馬とともに脱藩し、その後の行動を共にした沢村惣之丞の墓があることでも知られている。
坂本龍馬の長崎での功績
勝海舟への弟子入りで順風満帆に見えた龍馬だったが、1864年(元治元年)に京都で起きた政変が引き金で勝が失脚し、「神戸海軍操練所」は解散となる。
龍馬は残された塾生たちとともに、勝の紹介で薩摩藩の家老・小松帯刀を頼り、その翌年に薩摩藩の船で西郷隆盛とともに鹿児島へ向かった。
現地で海軍技術を薩摩藩士に伝え終えた龍馬たちは、翌年薩摩藩の援助を受け、長崎に商社「亀山社中(後の海援隊)」を立ち上げる。
その時の給料はひと月一律、3両2分。
当時は1両2分もあれば家族5人が暮らせた時代だっただけに、懐具合のいい龍馬たちは、長崎きっての花街・丸山へとよく繰り出していたという(笑)。
「亀山社中」がやってのけた最初の大仕事は、長崎に事務所を構えるスコットランドの商人トーマス・グラバーから、薩摩藩の名義で武器や軍艦ユニオン号を購入し、幕府にバレることなく長州藩へ無事に届けたことだ。
これにより、龍馬は犬猿の仲と見られていた薩摩藩と長州藩の間に信頼関係を築き、さらに幕府を打倒する一大勢力となる「薩長同盟」締結の立役者となる。
長崎の豪商に愛された龍馬
さて。長崎にも龍馬たちの活動を支援する豪商がいた。
小曽根乾堂(こそねけんどう)はそのひとりで、「亀山社中」は小曽根家の別邸があった亀山焼窯の跡地を借り受け、そこを本部に活動を始めている。
小曽根家の屋敷は現在の長崎地方法務局の場所にあったが、「亀山社中」が土佐藩傘下となり、「海援隊」に生まれ変わった後は「海援隊本部」となる。
また龍馬の妻・お龍は一時期小曽根家の人々と過ごし、四男・英四郎からはピストルの手ほどきを、乾堂やその娘きくからは月琴を教わったというエピソードもあり、小曽根家があった場所には、月琴を奏でる龍馬の妻・お龍の像もある。
その他では、嬉野茶を輸出して富を得た大浦慶(おおうらけい)もまた、坂本龍馬を援助していたことで知られている。
坂本龍馬と後藤象二郎の接点
「清風亭」は、長崎で土佐藩が贔屓にしていた料亭で、1867年(慶応3年)に、坂本龍馬が土佐藩参政・後藤象二郎との会談を果たした場所とされている。
土佐藩がセッテイングし、後に「清風亭会談」と呼ばれるこの顔合わせには、2つの大きな意味があった。
坂本龍馬と岩崎弥太郎の接点
岩崎弥太郎は日本の実業家で「三菱財閥」の創業者。のちの明治の動乱期に政商として暗躍し、巨万の利を得たもっとも有名な人物だ。
坂本龍馬とは1歳違いの同郷人だが、二人の接点は大河ドラマ「龍馬伝」で描かれていたものとはずいぶん違う。
長州藩士の高杉晋作と坂本龍馬が、昵懇の仲であったことはよく知られている。
大河ドラマ「龍馬伝」では、第29話と30話で2人が長崎市内で出会う設定になっているのだが…
はたしてそれは本当の話だったのか?
長崎・坂本龍馬ゆかりの地マップ
さて。
いくら筆者に時間があるとはいえ、紹介している坂本龍馬ゆかりの地を、ネットだけで調べて訪ねるのは至難の業。実は「虎の巻」と呼べるマップが存在する。
そのPDFデータがこちらからダウンロードできるので、行かれる方はぜひ活用していただきたい。
長崎市内の車中泊事情とお勧め車中泊スポット
ここまで紹介してきた長崎市内に残る「坂本龍馬ゆかりの地」を、ワンデイで周るのはさすがに厳しいと思うが、ゆかりの地の中には石碑や銅像しかないところも多くあるため、1泊2日なら十分可能だと思う。
ただ問題は、長崎市内には道の駅がなく、簡単には車中泊スポットが見つからないことだ。
筆者も「龍馬伝」が放送された2010年に訪ねた時は適当な場所が見つけられず、20キロ以上も離れた「道の駅 夕陽が丘そとめ」まで行って車中泊をし、翌日再び長崎市内まで戻ってきた。
しかし今は、そんな面倒くさいことをしなくても、市内の驚くほど便利な場所に、車中泊ができる有料駐車場がある。


坂本龍馬ゆかりの地 車中泊旅行ガイド
坂本龍馬 関連記事一覧
長崎タウン 車中泊旅行ガイド
長崎 車中泊旅行ガイド



「アラ還」からの車中泊

この記事がよく読まれています。




