この記事は車中泊関連の書籍を10冊以上執筆し、日本全国で1000泊を超える車中泊を重ねてきた「クルマ旅専門家・稲垣朝則」が、「車中泊ならではの歴史旅」という観点から作成しています。
※ただし取材から時間が経過し、当時と状況が異なる場合がありますことをご容赦ください。
龍馬も晋作も通った、長崎の花街・丸山に残る料亭
長崎の史跡料亭「花月」【目次】
長崎の花街・丸山
江戸時代の丸山は、江戸の吉原、京都の島原とともに、天下の三大遊郭と謳われ栄えた場所で、特に幕末と明治時代は、長崎を舞台に活躍した国際人の社交の場となっていた。
現代に当時の繁栄ぶりを伝えている場所がここ。
人々が「行こか戻ろか」と思案したことからその名がついたという「思案橋」は、花街・丸山の近くにあり、昔から丸山の繁盛と深い関係があったそうだ。
ただ今の「思案橋」は地名を意味しており、橋は欄干の跡を残すのみ。これには高知の「はりまや橋」以上に驚いた(笑)。
史跡料亭「花月」
「花月」は、1642年(寛永19年)に創業された丸山随一の遊女屋「引田屋(ひけたや)」の庭園内に、幕末の頃造られたと伝わる茶屋。
大正の終わりに「引田屋」は廃業したが、「花月」の名称と引田屋の庭園、そして建物は現在に伝承され、1960年(昭和35年)に長崎県の史跡に指定された。
令和の今でも、「花月」は丸山遊郭の歴史を現代に伝える”史跡料亭”として、日々営業を続けている。
さて。
史跡料亭「花月」の名物は、坂本龍馬も高杉晋作も食べたであろう、この卓袱(しっぽく)料理だ。
鎖国中でも長崎だけは、オランダやポルトガル、中国などの貿易船が入港し、様々な文化が入ってきた。
そこで誕生したのが、日本の「和」、中国の「華」、オランダの「蘭」が融合する「卓袱料理」で、漢字のゴロから「和華蘭(わからん)料理」とも呼ばれている(笑)。
ちなみに、御鰭で始まり、お造りや湯引き、三品盛(前菜)、大鉢などの約15品に加え、最後は梅椀(お汁粉)で終わる「花月」の卓袱料理のフルコースは、ひとり19,800円から。
お昼限定のサービスコースでも、ひとり10,560円 ・14,520円 ・17,160円となっているため、Goto-eatを駆使しても、一般人は簡単にはありつけない(笑)。
しかし、当時薩摩藩から高給を得ていた龍馬たちは、この「花月」によく出入りをしていたらしい。
「花月」の中にある「集古館」では、当時の貴重な資料を展示しているが、それを見ることができるのは利用者だけだ。
龍馬伝に登場する芸者、「お元」は実在人物?
さて。
「龍馬伝」では「花月」の宴会シーンが流れるたびに、必ずといっていいほど登場していたのが、蒼井優演じる芸者の「お元」。
調べてみると、龍馬には「おもと」という芸者の愛人がいたことは事実のようだ。
ただ、この時期の長崎には「おもと」を名乗る芸者が複数いたらしく、龍馬の愛人の「おもと」が、その中の、どの「おもと」だったかまでは判っていない。
ある時は、長崎奉行所のスパイ
またある時は、龍馬の愛人
そして、最後は隠れキリシタン…
「龍馬伝」に登場する「お元」は、脚本家の福田氏が生み出した架空の人物と云ってもいい。
ドラマ的見地に立てば、これほど都合のいいキャラはないだろう(笑)。